奔流(ほんりゅう)
小笠原信正の兵が、二度、三度後退しながら、北畠軍を攻撃する。
北畠の第二軍も、かなり消耗してきた。
信正が右手の丘に向かって、両手を上げ、合図する。
この位置では、片田村に向かう道がある北の端が一番低くなっており、南側はなだらかに高くなっていた。
その南側の丘から、鍛冶丸が指揮する隊が一斉に発砲した。
北畠の第二軍は、正面の信正と左側面の鍛冶丸の二方面から同時に攻撃を受ける形になり、堪らずに崩れた。
「片田村の防衛線が破れるまで、あとわずかだ。正面の数百名を崩せば、それで終わりだ。第三軍、攻撃せよ」北畠教具が叫ぶ。
同時に教具は、手元に置いていた騎兵を左に向かわせ、鍛冶丸の兵の右側面に投入した。ここで戦の帰趨が決まると判断したのであろう。
小笠原信正の隊に、北畠の第三軍が全速力で突進してくる。弓が届くところまで詰められてしまった。
北畠の矢が信正の周囲に落ちてくる。徐々に負傷する者が増えていった。
これ以上後退すると、鍛冶丸の隊との連絡が絶たれると判断した信正は、右の丘への退避を命令した。
北畠教具に、片田村への道が開かれた。
鍛冶丸の兵たちは、急遽右側に戦線を作って北畠教具の騎兵に対処せざるを得なくなった。それだけ、北畠第三軍への側面攻撃が手薄になる。
鍛冶丸の陣から、数発の軽迫撃砲が撃たれ、北畠騎兵の周囲に着弾する。
爆発音に慣れていない北畠騎兵の馬が興奮して暴れ出す。
犬丸達のところから見ると、北畠騎兵隊のいるあたりに土煙が立つのが見えるほどの暴れ方だった。あれでは、馬は役に立たないどころか、かえって邪魔になる。
「鍛冶丸を救援に行かなくていいのか」騎兵の一人が、犬丸に言う。
「ああ、鍛冶丸は大丈夫だ。俺達は別にやることがある」
彼らは馬を降りていて、多数の放牧馬の中に紛れていた。
馬が暴れて役に立たないのを見た教具は、第四軍の一部を鍛冶丸の隊に向けた。
銃と軽迫撃砲のおかげで小笠原信正と鍛冶丸は互角に戦っていたが、北畠軍は数が多い。自然に片田軍を包囲するように横展開していった。片田軍も包囲されまいとして、横に延びてゆくが、少数であるために限界が来る。
横展開をあきらめた片田軍が徐々に後退し始めた。
片田軍が、片田村への突入路から十分離れたと見た北畠教具は、第三軍、第四軍の半数、及び第一、二軍の残存兵を纏めて、これに片田村への突撃を命じた。
石英丸は、鍛冶丸隊の後方に立って、北畠軍約二千が片田村に突撃するのを見た。
「『ふう』、頼むぞ」
そう言って石英丸が二本の火箭を地面に突き立て、点火した。
赤と黄色の火を噴き出しながら、火箭が青空に飛んでいった。
『ふう』が石英丸の二本の火箭を見る。
「本当に、やるのか」
実行を判断する権限は村長代理の石英丸にある。石英丸がやる、と決めたのだから、やらなければならない。
「回して」『ふう』が背後にいる女に言った。
二人の女が、サイレンのハンドルを回し始める。サイレンは以前に応神天皇陵で嶽山城包囲軍の夜盗と戦闘したときにも使っていたが、このサイレンは、直径一メートルほどもある大きなものだった。
回せば片田村全体に警告が届く。
『ふう』の後ろで、二十人程の女たちが立ったままサイレンの音が谷に響くのを聞いていた。
鉛蓄電池から伸びた導線を両手に持ち、一瞬、接触させる。青い火花が飛んだ。
“電気があるのは確認できた”
二本の導線を起爆器に結び付ける。
ニッケルもクロムも無いので、片田は電気信管にニクロム線の代わりに水銀を使っていた。水銀は、伊勢国の丹生鉱山で古代から産出しており、八世紀には東大寺の大仏に金メッキするのに利用されている。
水銀はニクロムに近い電気抵抗率を持つ。一センチメートル程の細いガラス管の中に水銀を詰め、両端を銅線で密閉する。銅線は小さな木の枠に巻き付け、水銀信管を枠の内部に置く。衝撃に弱いので、周囲に火薬を塗した綿で覆い、その上から和紙で巻いていた。
電気信管であれば、導火線と異なり離れた場所からの起爆でも確実である。
準備は出来た。
『ふう』が立っているのは、倉橋溜池の土手の端だった。右手には鍛冶丸達の戦場があり、そこから左に道が延びている。道の先が片田村だ。
今、その道を無数の北畠兵が村に向かって走っているのが見える。
『ふう』が、まだ片田村が出来たばかりの頃を思い出す。あの時は『ふう』も小さかった。
秋の日差しが射す教室で『じょん』に勉強を教えてもらった。教室の隅に枯れ葉が舞い込んでいた。
食堂で、みんなと食べた給食。白米のおいしかったこと。
冬のキノコ小屋は暖かかった。子供達が集まって、いつまでも話をしていた。
どの建物も、粟原川の川沿いに今でもある。
なんか、涙がにじんできた。
北畠兵の列が絶えた。村に向かう北畠兵は、すべて『ふう』の前を通過したようだった。
「サイレンを止めて」
『ふう』は目を瞑って、起爆器の発火釦を押した。
四つの低く響く爆発音がして、足元が地震のように振動する。溜池の水を遮る堤防に、縦に四つの爆炎が立つ。
女たちが火薬を堤の底に降ろした立て坑から噴き出したものだ。
堤の斜面が盛り上がり、やがて膨れ上がり、そこから泥水が噴き出した。溜池の水が奔流となり、北畠兵が通った道に向かっていく。
道に達した怒れる水は、道の向こう側で山の斜面にぶち当たり、泥水の高い峰をつくる。峰は、ゆっくりと崩れ、なおも溜池から来る水と合流して、片田村に向け、左右に蛇行しながら下っていく。
奔流は経路にある全てのものを巻き込み、破壊していった。
教室も、食堂も、キノコ小屋も。




