防衛線
北畠軍の前線は、まだ百七十間(約三百メートル)程の拡がりを持っており、西に向かって駈足で進軍してくる。北畠の弓兵達が時々立ち止まって矢を放ってくる。牧草地はそこから、防衛線の所で九十間(百六十メートル)と急に狭くなる。
犬丸の騎兵隊は、彼らの防衛線の前まで押されていた。
「騎兵を下がらせる。あとは頼む」防衛線の外側に立つ犬丸が、内側にいる小笠原信正に言った。
「おう、よく削ってくれた。次はわしの番じゃ」片田村守兵隊の隊長が言った。
騎兵が、南側の端から防衛線の内部に走りこんで行く。
犬丸は騎兵を南側に広がる小さな牧草地に誘導した。ここには、粟原川の牧草地全域から避難させてきた馬達が群れている。
彼らは馬を替えた。
小笠原信正は、南北に延びる二列の防衛線を作っていた。九十間の狭隘部には土嚢を積み、その内側に銃隊を配している。そこから三十間(約五十メートル)程背後には、軽迫撃砲を構えた兵を並べていた。
犬丸の騎兵隊がいなくなったことで、銃隊の前を遮るものが無くなった。防衛線と北畠軍前衛との間は二百間(三百六十メートル)くらいまで迫っていた。
加えて牧草地の幅が狭くなっていたので、北畠軍の兵の密度も増す。
ここから、北畠軍は防衛線にたどり着くまで、全力で駆けて行くしかない。一刻でも早く片田村の防衛線にたどり着かなければ、撃たれる一方となる。
「銃隊、乱射」小笠原信正が叫ぶ。あたりに火薬の白煙がたちこめ、北畠の最前線で兵が倒れる。
ついで、信正が背後を向き、人差し指を大きく上に向かって差し上げた。
軽迫撃砲隊を指揮する士官が、発射を命じる。
密集しかけている北畠軍のいたる所で、爆発が起きた。
「娘、お前の弾は敵兵の頭の上を飛んでいる」十人隊長の一人が銃を構える娘に言った。
「恐らく発射の威力に体が負けているんだろう、敵兵の足元を狙ってみろ」
必死の表情で銃を持つ娘が頷いた。
「銃を左右に傾けると、当たらない。地面に対して真っすぐに銃を持つのだ。そして銃の床尾を肩のくぼみにしっかり当てて、頬を銃身に着ける。そうだ、そうやって撃てば安定するぞ」
若者が言われた通りに射撃してみる。当たったようだ。若者が兵の方を向いてニヤリと笑った。
「発射するときには、息を止めるんだ」
「引き金を引く時は、真っすぐ後に引け。斜めに引くと当たるものも当たらなくなる」
新兵の教官役を務めていた士官達が、新兵や村人達に射撃の方法を教えて回る。
接近する北畠軍の兵達もわかっていた。ここから防衛線までの二百間は、全速力で走り抜けるしかない。北畠軍の第一軍が防衛線にたどり着いて内部を攪乱させてしまえば防衛線が破れる。そうすれば余力を残して走ってくるであろう第二軍が片田村に侵入できる。
「分隊、全速力で敵防衛線に向かえ」北畠軍の分隊長が、そう叫んだとたんに、銃弾に倒れる。
「副長が引き継ぐ。分隊全速力で突撃。土嚢を越えて、片田兵をなぎ倒せ」分隊長が倒れたのを見た副分隊長が即座に、分隊指揮を引き継いだ。
防衛線まで、あとわずかというところで、北畠軍の勢いが衰えた。接近したことで片田側の命中率が上がったのかもしれない。
このままでは、防衛線の前で力尽きてしまいそうであった。
北畠教具は四千の兵を千名ずつ四つの軍に分けている。
「第二軍、突撃。前線を交代せよ」教具が後続する千名の兵を前面に押し出した。彼の左右にいた第二軍が、一斉に前方に駆け出していった。いままで鳥見山の重迫撃砲に撃たれるだけだった第二軍は、攻撃の機会を与えらえたことで勇み立った。
小笠原信正のところから、敵の第二線が突出してくるのが見えた。
「あれは、持ち堪えられぬかもしれん」信正が思う。
北畠軍の第二軍が防衛線から五十間(九十メートル)の所まで迫ってきた。勢いが衰えない。この距離になると、敵の弓兵が放つ矢が届くようになってきた。それをみた信正は、軽迫撃砲隊の士官に合図を送る。
防衛線を守る銃兵が後退し、迫撃砲隊の後ろに回る、という意味だった。
相手方から、了解の合図が返ってくる。
「全員射撃を止めよ。第三線に移動する」信正が命令した。彼らが迫撃砲隊の背後に移動する間は、迫撃砲隊が援護する。
銃隊が移動を終わらせ、今度は迫撃砲隊が、銃隊の援護を受けて、第四線に後退した。
いまや防衛線のあった狭隘部は北畠軍のものとなった。彼らは再び広がり、片田村目指して前進する。




