散所(さんじょ)を作るのか
キログラムをどのように定めたのか、というご指摘をいただきました。
鉄一立方センチメートルが7.86グラムである、という部分を付記いたしました。
(7.86は、昭和の時代の鉄密度であり、現在は7.87強となっております)
ニッケル硬貨をつぶして薄片にし、メタン反応炉にいれたところ、メタンが出てきた。科学は正直だ。片田は反省した。なんとかなる、というやりかたでは失敗する。アンモニア反応炉の気圧調整も、当初は適当にやっても出来るだろうと思っていたが、考え直すことにした。
ちゃんと、気圧計を作り、測定しながらやろう。
一気圧は、一センチメートル四方で一キログラムの力がかかる。三百気圧であれば、三百キログラムだ。この気圧を測定するために、鉄で縦横三十センチメートル、高さ四十二センチメートルの直方体の重りを作った。これが三百キログラムだ。鉄は一立方センチメートルあたり七.八六グラムだからだ。
この重りをいれるために、やはり鉄で高さ五十センチメートルほどの高さのシリンダーをつくる。シリンダーの底に一センチ四方、深さ十五センチほどの竪穴を掘る。この穴は、途中で直角に曲がり、シリンダーの側面の吸気穴につながる。この部分は片田が慎重に作業した。
シリンダーを立て、竪穴に、牛脂を少し入れ、さらに牛脂を塗った一センチ四方、深さ十二センチの鉄棒を挿し入れる。そのあとで、三百キログラムの鉄の重りを乗せる。吸気穴に、アンモニア反応炉から伸びたパイプをつなげる。シリンダの上には、重りが十センチ以上上昇しないように枠をはめた。
これで、重りが浮き上がれば、アンモニア反応炉内部の気圧が三百気圧、ということになる。
メタンは、いちどボンベに詰めようと思っていたが、メタン炉とアンモニア圧縮ポンプを直結することにより、メタン圧縮工程を省略した。
アンモニア製造装置に火をいれる。水車が回り、メタン炉からメタン圧縮ポンプのシリンダーにメタンが流れ込む。ピストンは水車が回す。アンモニア反応炉の中にメタンが流れ込む。炉の内側には弁をとりつけているので、シリンダー側に逆流してくることはない。炉の圧力が上がり、やがて三百キロの鉄の重りが浮き上がる。
アンモニア反応炉上部においた亜鉛温度計が融けるまで炉を加熱する。炉のポンプと反対側には、アンモニア取り出し用のバルブが取り付けてある。わずかにバルブを開き、においを嗅いでみる。アンモニア臭がした。バルブにボンベを取り付ける。
しばらく待ち、ボンベの所に行って、ボンベを振ってみる。チャプチャプという水音がした。
アンモニアはメタンと異なり、常温では八気圧程度で液化する。水音がする、ということはアンモニアが出来た、ということだ。
田の水が落とされ、土にひびがはいり、穂が黄色くなり始めた。十市の殿様が、領地の収穫見込みの巡回を行った。『とび』の村にも寄った。慈観寺の本堂では、村の乙名(長老)たちが十市播磨守と年貢の交渉をしている。
十市の殿は、今年は水がふんだんにあったのだから、台帳どおり、いやそれ以上の収穫があったであろう、というと、村人は、いや、いつもより害虫が多かった、稲の病もあったなどと、年貢をまけるように交渉した。好胤さんに言わせると、毎年恒例のことなのだという。
今年の年貢は台帳どおり、ということで決着したようだった。十市播磨守が、控室がわりに仕立てた好胤の書院に下がってきた。
「順ひさしぶりじゃ、達者でいたか」
「はい、播磨守様もお元気そうです」
「うむ、今年はそちの竜筒のおかげで、水の心配をせずに済んだ。よその郡では、日照りの害があったものもあるそうだ」
「お役に立てて幸いです、ところで」と片田が言う。
「播磨守様にみていただきたいものがあります」そう言って片田は十市遠清を寺の菜園の方に導いた。
菜園には短い畝が十程作られ、麦が植えられていた。畝の側に茸丸がいた。
「これは、麦、だが、すいぶん育ち方が違うな」十市遠清が言った。
確かに左の川の近くの麦は小さく、右の三輪道側は大きく青く茂っていた。
「この麦は、夏に縁の下の涼しいところで発芽させたものを、ここに植え替えたものですが、畝ごとに育て方を変えています」
「変えていると、なにを変えているのじゃ」
片田は、茸丸に説明するように言った。
「これを」といって、茸丸は手を広げ、白い粒を見せた。
「これを、川の方の畝は入れていない。畝一つ毎に一掴みづつ、増やして撒いた。つまり一番向こうの畝二つは、いれない、次の二つの畝は一掴み、一番右のは四掴み撒いている」
「これを畑に撒くと育ちがよくなるというのか」
「そうです。こういうものを肥料といいます。たい肥なども肥料です」
「肥える物ということだな」
「そうです。これは肥料の一種で、硫安といいます」
「竜安、また竜か」
「いえ、字が違います。硫安と書きます」そう言って片田は地面に字を書いて見せた。
「次はこれを売ります」
「これを入れるだけで、これほど育ちが変わるのであれば、収穫もさぞかしなものになるであろう。効き目が確かなら、民が買うであろうな」
「この肥料は、春に田にいれれば、稲を大きく育てます。大きく育てば、実のなり方も増えるでしょう」
「うまくいくであろうか」
「今年の秋の麦と、来年の水田で、やってみます。とびの村がうまくいくようであれば、ほかの村でも使うようになるでしょう」
「わかった、試してみてくれ」
「もう一つみてもらいたいものがあります」
「なんだ」
片田は、十市遠清をキノコ小屋に招き入れた。
「これは、なんということだ」遠清は叫んだ。
「シイタケが、この季節に、これほどできているとは」
「菌床栽培といいます、うまく暑さ寒さや、湿り気を調節してやれば、おそらく一年中シイタケが作れると思っています。まだ始めたばかりですが」
「順、おまえは、これがどれほどのものか、わかっているのか。例えばこれを大乗院にもっていけば、相当な高値で売れるだろう」
「いくらで売れるかは知りませんが、好胤さんも高値で売れるだろうと言っていました。天日で干して、干しシイタケにすれば、さらに高く売れると聞いています」
「そうだ。それをいつでも、いくらでもつくれるのか」遠清はうなった。
「なぜ、これをわしに見せた」
「人手が必要なのです」片田は言った。
「播磨守様の領地で、暮らしに困っている人を、ひとところに集め、シイタケや眼鏡を作らせたいのです」
片田は続けた。
「働けるが土地が無い。亭主が戦で死に、母と子だけの家庭、そういうものが居ると思うのです。放っておけば飢えて死ぬだけでしょう。それらを集めて仕事をしてもらいます。生きて仕事をすれば、金を稼ぎます。」
「どこにじゃ」
「慈観寺の東側の林の斜面あたりがいいと思っています」
「村の乙名たちに話しているのか」
「かれらはいいのではないかといってくれました」
「つまり、散所を作るということじゃな」
散所とは、有力者が自分の所有地に浮浪人などを集めて、作業をさせることを言う。
「いえ、散所ではありません。年貢は払います。銭で」
「年貢をわしにはらうというのか」
「はい、代官を置いてください。また、代官の下に兵も何名かつけて治安と防衛にあたってもらいたいのです。兵の賄は私の方で出します。シイタケや眼鏡を盗みに来るものもおるでしょう」
「で、どれほど年貢を払うのじゃ」
「まだ、うまくいくかわかりませんので、まず、一割でどうでしょう」
「考えておくことにする」
その夜。十市遠清と、好胤と、片田の三人が僧坊で夕食をとった。シイタケご飯、シイタケの汁物、シイタケの煮つけと、トウガンの糠漬けというシイタケ尽くしの夕食となった。遠清の御付きの兵はしろむすびを気に入ったようで、いくつも『おたき』さんにお代わりをしていた。




