『とび』の村の戦い
片田軍が『とび』の村から、粟原運河の南まで後退したので、北畠の家城保清の軍が『とび』の村に入った。片田村からは抵抗が無かった。
「刑部、女寄峠の方は、どうなっている」北畠教具が腹心の藤方基成に尋ねる。基成の通称は刑部少輔だった。
「はっ、女寄峠は、騎兵二十、兵三百で片田村の粟原からの出口を封鎖しております」
「なら、これで片田村の包囲が出来たわけだが」
北畠教具は、貴族的な風貌の男であった。この時代に国司をしているだけのことはある。
刑部とよばれた藤方基成は、教具の父満雅が応永二十一年(一四一四年)に幕府に対して挙兵したとき以来の家臣であり、北畠家の重臣である。
基成の城は、伊勢の中央部にあり、桑名から来る伊勢街道を押さえる位置にある。伊勢国の南半分を制する北畠氏と、桑名、四日市、鈴鹿などの北伊勢を押さえる幕府守護とが接する重要な位置に城を構えている。
「封鎖したは、よいが。将軍はこれからどうしようというのか。このままいつまでも封鎖していれば、いずれ和泉国の片田商店の私兵が来るであろう」
「和泉国は、すでに片田商店のものとなり、守護の細川氏が追い出されたと聞いております」
「和泉国、あまりにも他愛なく落ちたものだ」
「片田村の包囲が完成した旨、足利将軍様に報告いたしますか」
「うむ、手配してくれ。片田村に何かしたいのであれば、片田商店の軍が来る前に片付けてもらいたいからな、早馬で出せ」
昼頃になり、西方から十市遠清の軍がやってくる。兵数は五百程であった。北畠軍とは兵力差がありすぎるため、十市の軍はすこし南に下り、若桜神社と鳥見山の線に竹矢来を組み、防衛線とした。
片田村との連絡線である浅古口を確保するのが目的だった。北畠軍はこれを無視した。
「刑部、片田村には何があるのであろうな」
「さあ、片田村と言えば干しシイタケ、硫安、眼鏡が有名ですな。私の郷でもシイタケ栽培をしている民がおります」
「うむ、聞いたことがある」
「あと、鏡なども製造しているようです」
「鏡、あれは京都の鏡屋が販売していたのではないのか」
「はい、京都と堺で販売しているのですが、製造はこの片田村だそうです。一時期、堺の鏡取引が停止されたときは、伊勢の安濃津を経由して博多に送っていました。私の城下でも片田の旗幟を上げた鏡の荷駄がずいぶんと通っていたものです」
「なぁ刑部、片田村には、何が……」
「殿、どうしても調べてみたいのであれば、一当たりしてみたら、いかがでしょうか」閉口した基成が言った。
北畠教具と基成は、慈観寺脇の大和川沿いに本陣を置いていた。北畠と片田の前線は目の前だ。北畠の兵は、これも竹矢来を組んで運河を守る片田兵と対峙していた。
教具が粟原運河を守る片田兵に対して、弓の一斉射撃を命じた。
その矢が運河の対岸にある防壁に吸い込まれる。
片田側からは何の動きも無かった。彼らに必要なのは一刻でも時間を稼ぐことだった。
数度の攻撃にも、何の動きもなかったため、教具は槍兵に前進を命令した。
槍兵は板楯を前にして、背を低くしながら運河に接近する。
運河まで、あと少しというところに近づいたとき、防壁の上辺から幾つもの白い煙が湧き、鋭い爆発音が聞こえた。
北畠軍の兵が何名か倒れる。
銃声に呼応するように、北畠兵の周囲に何かが落ちてくる。地面に落下すると、これは太い音を立てて爆発する。
『とび』の村は大和川が大和平野に出るところにある扇状地である。従って土地は平坦であり、身を隠すところが無い。このような平坦地では、重迫撃砲は、着地点から半径十間(十八メートル)程の範囲に破片をまき散らす。
運河からは、銃声が続く。
運河に接近していた北畠兵は算を乱すように陣地に逃げ帰ろうとする。
竹矢来の背後に控えていた兵達も、竹矢来では防備にならぬことを知り、持ち場を離れざるを得なくなった。彼らは『とび』の村の民家の影に隠れるように入っていった。
『とび』の村人は、戦場となった村を離れて片田村に避難している。
兵が隠れるのを見届けた片田村の兵が、発砲を停止した。
「あれは、なんだ」北畠教具が言った。
「はて、空から降ってきたのは焙烙玉でしょうが、それにしてもよく飛ぶものです。おそらくあの西の山の頂上から撃っているのでしょう。山頂に煙が見えました」基成が言う。
「村の方から撃ってきたものは、なんだかわかりませんな。見たこともありません。なにかを撃ち出しているのでしょうが、矢とは異なり、真っすぐに飛んでくるようですな」
「宋書に突火槍という物がある。鉄球を火薬で撃ち出すそうだ。似た兵器であるかもしれぬな」教具がため息をつく。
「はい、いずれにしても、片田村は大量の火薬を持っているに相違ありません」
「刑部、室町の狙いは、火薬ではないか」
「そうかもしれません」
とりあえず、前面の兵は日が暮れるまでは、民家の影に隠れているしかあるまい。夜になったら、翌日以降の戦いの対策を行うことにしよう。
二人は相談し、残りの兵については、後退させることにした。
その日の朝、犬丸達は早朝に動き出し、水越峠に向かった。犬丸は知らなかったが、亀の瀬や、三つの峠を押さえていたのは筒井の兵である。筒井は大和盆地北部に本拠を持っていたので、水越峠までは手が回らない。
犬丸達は水越峠を押さえた。すぐさま堺の片田に、水越峠に向かうように、という連絡の馬を送る。
加えて、水越峠を守備する騎兵百人隊の派遣を希望した。これらの騎兵が峠に着けば、犬丸達はすぐに片田村に向かうことが出来る。
同時に大和の片田村にも伝令を出した。
“水越峠を越えて、明日にはまず百騎が救援に行くので、持ち堪えてほしい”




