金剛山地
片田は、焼失した堺の片田商店の二軒程南に、仮店舗を構えた。
その仮店舗に、鍛冶丸が発した駅馬が到着する。
「北畠軍が、初瀬にいるのか」片田は驚いた。
「普通ならば上洛しているはずだ。上洛途中だとしても、南伊勢から名張、伊賀、笠置と行き、南都の北方に出て京都に向かうはずであろう。初瀬などに、なぜおるのじゃ」小山七郎さんも、意外だった。
片田村の場所は、伊勢に抜ける道以外は、大名の軍が通過するような所ではなかった。北側は大和国が広がっており、南側は吉野などの山中に入るばかりである。いうなれば、大和盆地の奥座敷のようなところに片田村はある。
その伊勢の軍が、片田村のすぐ隣にいる、という。
「片田村が、火薬の生産地、と見破った東軍が、伊勢の北畠軍を使って片田村を制圧するかもしれない、というのか」七郎さんが続けた。
片田達が火薬を大量に使用して戦をしているということは、まだあまり知られていないはずだった。まず、海上での戦いは、人目に触れない。陸上の戦いであっても、和泉国を追われた細川常有、持久、小谷保盛などは、身に染みる程、火薬の威力を感じていたであろう。また幕府の中枢部にも報告が上がっていると思われた。しかし、日ノ本全体に噂が広がる程にはなっていない。
火薬に注目している者など、ましてや火薬の生産地などを気にする者は、ほとんどおるまい、という油断があった。
「この間盗まれた砲と火薬に注目した、というのか。なるほどのぉ。」七郎さんが感心する。
片田も七郎さんも、国造りに忙しく、そこまで気づかなかったことを悔やんだ。
「犬丸、大和の片田村に兵を送らなければいけなくなった。騎兵を連れて、急ぎ亀の瀬の運河を押さえてくれないか」片田が犬丸に言った。
「亀の瀬が、すでに敵の手に落ちていたらどうします」
「あそこで、砲を撃つことは出来ない。運河を壊すことになる。別の峠を探してくれ」
犬丸が、百騎を連れて堺を出た。
急ぐ場合、馬は『駈足』という速度で走ることができる。時速二十~三十キロメートルを出すことが出来るが、駈足の持続時間は三十分程度であり、一日にそれを二回程度しか繰り返すことが出来ない。移動距離は一日に三十キロメートル程度である。
『速足』という走り方もある。これは時速十五キロメートルであるが、一時間程度継続することが出来る。速足は、一日に二、三回繰り返すことが出来、強い馬ならば一日に五十キロメートル程速足で進むことができる。
犬丸は、速足を選んだ。
石川との合流点を過ぎ、登り路になり速度を常足に落とす。一刻(二時間程)で亀の瀬運河の下流部分に到着した。犬丸が、運河の馬道に進もうとしたところで、喚声が聞こえ、両側の山の斜面から矢が飛んできた。
「これは、だめだ」犬丸がそう言って、馬を返した。
喚声の様子から、相手は五十名程であろう。しかし無理やり通れば、かなりの損失を被るに違いない。
「この近くの峠は、他にどこがある」犬丸が尋ねた。
「北は、山が険しいので、馬が越せるような峠はありません。南は近い所から、穴虫峠、竹内峠、平石峠があります」
いずれも、古代からの道であった。
穴虫峠も竹内峠も閉鎖されていた。近づくと罵声と共に矢が幾つも飛んできた。
敵兵は散開しているらしかった。周囲は多くの木が茂っており、姿が見えない。銃があっても、無駄玉を打つばかりで埒があかないだろう。軽迫撃砲の着発信管は、枝に当たっただけで爆発してしまう。攻撃を仕掛けても、暖簾に腕を押すようなものだ、そう犬丸は判断した。
平石峠の麓にたどり着いた時には、日がかなり傾いていた。下から峠を見上げると、峠のあるあたりから、幾つもの炊事の煙が立っていた。登ってみるまでも無かった。
犬丸はだんだん不安になってきた。
“平石峠も閉鎖されていた。今夜は麓で野営する”と堺に連絡の馬を出した。
犬丸が金剛山地の麓で大和盆地への道を探していた時、大和では北畠軍が『とび』の村に達していた。
『とび』の村を含む十市郡を支配する十市遠清の代官、羽鳥氏が慈観寺脇で、北畠軍の使者、家城保清と馬上で面会していた。
「室町将軍の下知により、東軍お味方のために上洛せんとする。十市郡の通過を許可されたい」保清が、将軍発行の御内書に書かれた、義政の花押を羽鳥氏に見せた。
「御内書、弁えました。十市郡の通過を許可いたします。ただし、大和川を越えず、三輪道から山野辺の道を進み、式上郡に入られよ」
大和盆地の中央に入らず、東の山際を進んでほしいということだ。
「承知した。ところで、野営の夕食は明るいうちに行わなければならぬ。今は八を過ぎた頃(午後二時頃)である。兵の内千名のみ、三輪に進め、残りはここで野営したい」
「それは、よろしいでしょう。許可します。北の山際の弁財天境内を宿所に提供します」
二人は別れた。
「北畠軍の将は、上洛すると言っていた」片田村の役場に戻った羽鳥氏が石英丸達に言った。
「やはり、茸丸の取り越し苦労だったのではないか」石英丸が言う。
「そうかもしれない。そうであってほしい」茸丸が言う。
「気にするな、茸丸。用心するに越したことはないぞ。俺は準備してよかったと思っている」鍛冶丸が茸丸をかばうように、そう言った。
翌朝になった。
北畠の笹竜胆の旗印をはためかせた千名の軍が、『とび』の村の向こう側に布陣していた。三輪に向かった兵が、未明に大和川を渡り、南下したものだった。
羽鳥氏が、十市遠清向けの伝令を浅古口から放ち、応援を求めた。
石英丸は、小笠原信正と相談し、『とび』の村の大和川沿いに配置していた兵を、粟原運河まで後退させることにした。
今のままでは、『とび』の村の兵は、背後から攻撃され、全滅してしまうであろう。




