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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順
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火薬

 片田村の役場で、石英丸せきえいまる鍛冶丸かじまるが弾薬製造数を修正する相談をしていた。いくさ前には、大量の銃弾が消費されると、彼らは思っていた。しかし、始まってみると、重迫撃砲と多連装噴進ふんしん砲の焼夷弾しょういだんの消費が予想以上だった。

 小山七郎さん達は、兵の損耗を防ぐため、銃の射程よりも遠い距離での攻撃を行っていた。


「火薬と銃弾は余っている。もっと荏胡麻えごま油を調達して、焼夷弾を作らないといけない。次の淡路あわじ国攻めで焼夷弾が不足しそうだ」鍛冶丸が言った。

「淡路は和泉いずみより広い。鍛冶丸の言う通りだろう」石英丸も同意した。


 石英丸の部屋に、茸丸たけまるが入ってきた。

「石英丸、ちょっといいか」

「ああ、どうした」

初瀬はせ衆が言って来たんだが、長谷寺はせでら北畠きたばたけ軍が動き出しそうだ」

 茸丸はシイタケの菌床栽培の指導などで、近畿の村々との交流が深い。自然と茸丸のところに情報が集まってくる。

「やっと、京都きょうとに向かうのか、長かったな」鍛冶丸が言う。

安宅丸あたかまるの北陸封鎖で、東軍も兵が足りなくなったのだろう。元南軍だからといって、背に腹は代えられない、ということかな」石英丸も言う。


「そうだといいのだが、もしかしたら、北畠軍が片田村に向かってくるかもしれない、とは考えられないか」茸丸が言った。

「そんなはずはないだろう、大和国は東軍側だ、大和国の村を攻めれば、ほれ見たことか、やはり南軍の末裔まつえいだ。幕府に楯突くつもりだったのだ、と言われるだろう」鍛冶丸が言う。

「そのとおりだ。今の北畠教具のりともは、なんとか幕府に接近しようとしている。そんなことしたら、なおさら将軍に嫌われるだろう」


「将軍が片田村を攻撃せよ、と命令していたら」


「なぜ、そんなことを思う」石英丸が尋ねる。


「まず、俺達の輸送船が、何故筒井に襲われたのか、考えてみてくれ」

「それが、北畠軍と関係があるのか」

「今、京都では東軍が劣勢だ。そのようなときに、筒井が勝手に離脱するだろうか」

「在地の兵かもしれん」

「魚簗舟に乗っていた兵によると、周囲を囲まれた、と言っている。十市様の護衛兵も二百以上の筒井兵が攻めてきたと言った」

「ちょっと、多いな」鍛冶丸が言う。

「西軍方の越智家栄いえひでの上洛軍が騎兵百五十騎、歩兵二千名と言われている。筒井の勢力ならば、上洛している兵は、多くても千名程だろう。今大和には戦も一揆もない。領地に残した兵は多くても百か二百がいいところだろう」

「それはそうだな」

「そこに二百名以上の兵が居る、ということは京都からかなりの人数が戻ってきている、ということではないか。城を守る兵も残しておかなければならないからな」

「そうかもしれない」

「勝手に戻って来たのではない、ということであれば、命令されて戻ってきている、と言いたいのか」

「確信はないが、そうだ。彼らは安宅丸が北陸でやったように、片田軍の補給路を絶とうとしているのかもしれない」


「それは、どうかな。考えすぎではないか」石英丸が言った。


「まだある。彼らが略奪したのは、火薬と砲だ」

「ああ、そうだな」

「今まで、彼らは片田軍が、どこで火薬を手に入れているのか、不思議がっていた。畠山の殿様も、琉球貿易で火薬を手に入れたい、と『じょん』に持ち掛けたという。これは『じょん』が言っていた」

「その話なら聞いたことがある」鍛冶丸が言う。

「ところが、彼らは火薬が大和川を下って和泉の片田軍に届けられている、ということを知ってしまったということだ」


「そういうことか」鍛冶丸が机を叩いた。石英丸は、まだ半信半疑の様子だった。


「しかし、北畠といえば伊勢の国司だ。国司の軍が、私たちの村などを攻撃するのか」石英丸が言う。

「いや、石英丸違うぞ。俺達は火薬も銃も当たり前のものだと思っていた。思っていたから気付かないんだ。火薬が手に入る、もしかしたら火薬の製造手段が手に入る、となったら、どの大名でも本気で片田村を襲うだろう。襲ってこないのは、大和国の坊主ぼうずどもくらいのものだ」鍛冶丸が言った。


「と、とにかく、用心するにこしたことはない」まだ信じられない石英丸が言った。


 鍛冶丸が、火薬があると分かれば大名でも攻めてくるだろう、と言った。

 しかし、足利義政は南朝方であった北畠氏を信用していなかった。そのため教具には、火薬の事は知らせるな、と細川勝元に指示した。

 義政の意を受けた勝元は、ただ、片田村を包囲封鎖せよ、という命令だけを出していた。

 封鎖だけさせて置いて、時が来たら、勝元自ら片田村を攻め、火薬とその生産手段を自分のものにしようとしていた。




 改めて片田村の戦の舞台について書きます。

 今は読み飛ばしてもかまいません。戦闘が始まったら、戻ってきて読めるように、ここに書くことにしました。

地図を見ることが出来るのであれば、片田村は近鉄の大和朝倉駅の南あたりにあることにしていますので、あわせて見ていただくと、より楽しめるかもしれません。


 片田村は、南東から北西に流れる粟原おおはら川の両岸に沿って細長く伸びている。東西は山である。

 東の山を忍坂山おさかやま(現在は、外鎌山とかまやまとも言う)、西の山を鳥見山という。忍坂山の頂上には本城ほんじょうである山城やましろが築かれている。鳥見山頂上には出城でじろが置かれている。

 鳥見山は南で一度低くなり、浅古あさこから来る道を過ぎると、北東に口を開くコの字型の山がある。コの字の中は倉橋の溜池がある。片田達が出口のところに堤を築いて作った人工の溜池である。

 溜池を上り切ったところに倉橋の砦がある。

 片田村を守る城は以上の三つだった。


 片田村の北端は、『とび』の村の最高点であり、村の向こうには大和川が東から西に流れる。東側に大和川をさかのぼると長谷寺を経由して宇陀うだ榛原はいばら村に至る。

 片田村を流れる粟原川は、片田村の南端で東に向きを変え、大和川と平行に伸びて行く。粟原川に沿った道は、女寄みより峠の下を過ぎて、これも宇陀郡に伸びている。


 宇陀郡に向けて延びる大和川と粟原川の間にはいくつものひだを持つ山々が連なっていた。最大の襞は、長谷寺からこま峠を経て、女寄峠に至る峠道をなしていた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 周辺勢力の動きをどう分析していたのか。というお話ありがとうございます。 [一言] 複数の情報からどういった結果を導くかということでしょうか。 完全に独立した勢力でなくそこに東軍や西軍という…
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