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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順
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迫撃砲(はくげきほう)

 華やかな朝日影あさひかげの中、ウツロギ峠越えの最高点付近を、片田商店軍の荷車が越えていく。五幡いつはた海岸から、木ノ芽川の関に向かっている。

 荷車には米をはじめとした食料、小銃弾、兵の着替えなどが積載されていた。

 秋に入り、数の少なくなったツクツクボウシの鳴き声が、夕立ゆうだちのように輜重しちょうに降り注いでいた。


 虹色の光が斜めに射す。セミの声が止む。


 多数の矢が輜重隊に降ってきた。

 護衛の兵が、荷物の陰から右斜面に向かって発砲を始める。

 右側の斜面は安宅丸あたかまるによって焼かれており、山肌には、焼かれた木の幹が無数に立っていた。東軍、若狭わかさ国の武田国信くにのぶの弓兵は、焼かれた立木の影から撃ってきていた。

“今日は数が多い”片田の護衛兵が思った。おそらく数十人の弓兵がいるようで。飛んでくる矢も、いつもより多かった。


 荷車をいていた五幡海岸の百姓は、牛を車から放し、五幡海岸に向かって逃げていった。

 護衛兵は、なお踏みとどまって戦うが、どうにも分が悪い。彼らは十名もいなかった。

 隊長が兵を一か所に集めた。

「一斉に五回斉射する、よく狙えよ。相手がひるんだら、木ノ芽川の陣に向かって走る。いいな」

 護衛兵が、五回銃を発射し、全員東に向けて走り去った。

 田尻たじりという開けたところまで出たときに、背後で大量の爆竹が弾けるような連続音が聞こえた。荷物に火がかけられ、小銃弾が爆発したのだろう。


 護衛兵の報告を聞いた安宅丸は、いままでのような嫌がらせではないな、対策をとらねばならない、と考えた。

 恐らく敵はウツロギ峠の南側の尾根に拠点を得たのだろう。でなければ数十名もの兵が一斉に攻撃してくることはできない。


 関を守る兵から百名を引き抜いて、ウツロギ峠に向かうことにした。この百名で峠南斜面の敵兵を、尾根先まで追い払う。ついで峠の南側斜面に展開させたまま、臨時の陣を構える。

 百名の兵は、そこで待機させる。

 安宅丸は、峠を抜け、砲艦五十鈴いすずに戻り、小銃弾、兵糧などを再送するとともに、峠上の敵兵に対する対策を練ることとした。


 安宅丸が、峠南斜面に広く兵を散開させる。散兵が使えるのは片田軍の強みだった。

 小山七郎さんに鍛えられた兵は、逃散する恐れが無い。仮に逃散したとしても、遠い異国の地にいるので、その後、どうにもならないことを兵は知っていた。

 さらに敵の弓よりも、かれらの小銃の方が長射程である。敵の攻撃を恐れずに、遠距離から攻撃できた。逃げる理由も無かった。


 山火事跡の斜面を広く囲むように片田軍が展開し、発見した敵兵を狙撃してゆく。片田側が広く展開しているので、立木の陰に隠れても、違う角度の片田兵から攻撃される。敵兵は頂上に向かって後退していった。

「このあたりでいいだろう。これ以上登ると、敵が有利になる。今の位置で待機させて補給隊の到着を待て。補給隊通過後もここに残り。私が帰るのを待ってくれ。あの高地を攻略する」安宅丸がそう言って五幡海岸に向かった。

 攻略すると言っても、こちら側の高度が低い。高度差を克服する道具が必要だった。


五幡海岸では、逃げかえってきた百姓と牛を見た五十鈴艦長が、次の補給物資を荷車に載せて用意していた。

「十名程の兵を付けて、送ってくれ。峠の南側斜面に百名を配置してある。その兵が通過を支援してくれるはずだ」安宅丸が言った。


「重迫撃砲を五基、降ろしてくれないか。あと重迫用の榴弾りゅうだんを二百だ」

「ついで、軽迫撃砲を二十基。こっちの榴弾は二千必要だ」

 榴弾とは、砲弾の一種で、爆発により弾丸の破片が飛散するものを言う。


 片田は、二つの迫撃砲を作っていた。いままで瀬戸内海の笠島で塩飽水軍に、ここ五幡海岸で斯波義敏よしとし軍に対して使用してきたものは重迫撃砲だ。

 重迫撃砲は、現代風に言うと、口径約八センチ、砲身長が一メートル程で、最大射程が二千メートルだった。

 片田は、陸軍の九七式曲射歩兵砲をモデルにして設計していた。

 重さは、七十キログラムほどもある。なので通常は艦や荷車に載せて運搬する。人間の手で運ぶ場合には、砲身、支持架、底盤の三つに分けて三人で運ぶ。平城ひらじろの攻城に用いるものとして開発した。


 もうひとつは、軽迫撃砲だった。これはまだ使用していない。山中でも人手で運搬することを前提とした迫撃砲で、山城やまじろ攻撃に使用することを想定していた。重さは五キログラム程度である。

 口径は五センチ程で、砲身長は短く、四十センチ程だった。射程は短く、五百メートル程しかない。

 こちらは、片田がニューギニアで、オーストラリア兵に対して使用した八九式重擲弾てきだん筒を思い出して設計した。


 どちら迫撃砲用の砲弾の信管も、いまのところ着発信管しか持っていない。

 砲弾の種類は、榴弾、焼夷弾、発煙弾の三種類があった。


 迫撃砲や榴弾を納めた木箱が、五十鈴の船倉から、帆桁ほげた起重機クレーン替わりにして持ち上げられ、連絡艇に移された。

 木箱が砂浜に引き揚げられ、荷車に載せられる。


 五十名の兵と、迫撃砲を乗せた荷車を伴い、安宅丸が峠に向かう。日脚ひあしが移り、太陽が南中なんちゅうしていた。

 目標としているウツロギ峠南側の高地を、仮にウツロギ高地と呼ぼう。安宅丸が思った。名前が無いと、作戦を遂行するにあたって不便であった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] そう言えば、日本帝国陸軍師団の支援火力は完全編成なら列強でも上の方なんですよね [一言] 完全な編成が出来た場合の師団なら、列強でも上の方でした……
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