遭難(そうなん)
豊岡某の考えは、こうである。
祐清の居る代官所を訪れ、祐清を脅迫して、土地台帳に豊岡の名を元通りの名主として加えさせる。その上で台帳を奪い、祐清を若松荘から追放する。
その土地台帳さえあれば、若松荘が和泉共和国に加盟したとき、名田所有の証拠として台帳が採用されるはずである。
祐清に対して多少手荒なことをしてもかまわない。
なぜなら、地頭の小谷保盛はすでにいない。武家の式目による警察権は無くなっている。片田の和泉共和国の法律とやらは、若松荘が共和国に加盟しないと効力を発揮しない。国司と荘園による警察権など、とっくの昔に地頭に奪われていた。
惣掟は村人に対してのみ効力がある。
片田が、この時代に来た時、『とび』の村人は、片田を人買いに売り飛ばそうとした。片田が余所者で、掟の対象外だったからだ。
祐清は村人ではない。仁和寺との間に外交的問題は発生するが、この当時、荘園主の仁和寺が、和泉で何かできるわけでもなかった。
小山七郎さんが治安維持のため、各所に兵を配置しているが、法的根拠は無かった。
豊岡が手下二人を連れて、代官所に乗り込んできた。
「あ、いけませぬ」
『たまがき』の声がしたと思った直後、祐清の部屋に豊岡が土足で入ってきた。
「祐清、ひさしぶりだな」豊岡が言った。
「ここに居れるのも、あとわずかだ。知っているか」
「そのようだな。その件で今夜、名主達が来ることになっている」祐清が言う。
「おう、間に合った。では土地台帳を出せ。そこに俺の名前を元通り戻すのだ」
「断る。そちは年貢をわざと滞らせた。名主の資格はない」
「では、これではどうだ」豊岡が太刀を抜く。
豊岡は抜いた太刀を、手下二人に抑えられて立っている『たまがき』に向けた。
「村の娘を手にかけたら、そちが裁かれることになるぞ。若松荘の掟では、斬首になるはずだ」
「ほう」そういって豊岡が祐清のことを睨みつけ、しばらく、どうしてくれようかと、思案した。
「おい、弥三郎、祐清の手元の台帳を奪え」豊岡が手下の一人に命令した。
弥三郎と呼ばれた男が『たまがき』を放し、室内に入ってくる。
祐清が、脇に置いてあった太刀を鞘のまま、畳にドスンと立て、二人を威嚇する。
「いつでも、抜くことができるぞ」
祐清は僧侶であった。
しかしこの時代には、荘園の代官などの危険を伴う任務に就く場合、僧侶でも帯刀することがあった。
僧がここまで歯向かって来るとは、豊岡の予想外だった。
「弥三郎」豊岡が言う。
「お、おう」そう言って、弥三郎も太刀を抜いた。
「どうだ、こちらは二人だ。台帳を渡せ」
「断る。おとなしく帰るのだ」
「あ、痛てぇ」『たまがき』を抑え込んでいた手下が叫ぶ。指を噛まれたようだ。
『たまがき』が手下の太刀を帯から抜き取り、鞘のまま振り上げて、豊岡に襲い掛かる。
豊岡が、刀を返し、峰で『たまがき』の振り下ろす鞘を払おうとする。
『たまがき』が危ういと思った祐清は鞘を払い、豊岡の脇を突こうとした。
豊岡がやられる。
弥三郎が、祐清に向かって太刀を下ろした。
『たまがき』が叫び声をあげる。
祐清は首の脇を切られていた。そこから濃い血が流れだし、畳を染めている。
「しまった」豊岡と弥三郎が思った。“これは死ぬ。殺人はまずい”。二人は、太刀を鞘に納めた。
「祐清がわしに襲い掛かったので、やむを得ず、なしたものだ」豊岡が『たまがき』に向かって言い放つ。
豊岡が、文箱の中から土地台帳を探し出し、懐に入れる。
「ひきあげるぞ」
「祐清様、祐清様」
『たまがき』が祐清の背中に抱きつき、祐清を呼ぶ。胸や腕を通じて、祐清が痛みに耐える強張りが伝わる。
やがて、それが止む。なんの音も聞こえなくなった。
『たまがき』が、永く、低く、泣いた。




