若松荘
小谷城の城門が開き、馬に乗った小谷保盛が出てくる。彼の後には一族の者と家臣が徒歩でついてくる。片田方は、一族の和泉国退去のみを求めていたが、若松荘で、侍の家に対する襲撃事件が何件もあったため、家臣達の多くも保盛に従うことにした。
彼らの後に、牛にひかれた荷車が続く。
最後尾には、片田商店軍の護衛兵が続く。彼らも荷車を従えていた。この車には、兵糧などの他、小谷とその家臣の武器なども載せられていた。
小谷保盛は、京都の六波羅にまだ残っている遠縁を頼ることにしていた。片田側との約束では、大和国との国境、亀の瀬運河まで片田の兵が護送し、そこで武装解除を解かれることになっていた。
保盛が進む道の両側に、荘民が群れとなり、彼らの、元の領主が去っていくのを確認していた。
どこからか、小石が飛んできて、保盛の馬に当たる。石の飛んできた方を見ると、十歳くらい男の子が、片田兵にこづかれて、見物人の列から外されていった。
“ふっ、随分と民を慈しんできたつもりであったが、それでもこんなものか”保盛が思った。
保盛は、祐清の求めに応じて揚水水車やキノコ小屋建設の資金の一部を出すなど、経営に努力してきたつもりだった。
それでも、不作の年にも年貢は取り立てねばならぬ。嫌われるところもあっただろう。
“そういえば、祐清はどうするのであろう。仁和寺に帰るのであろうか”
馬の歩みを止め、保盛が振り返る。小山の上に小谷城の矢倉が見えた。
“もう、この城を見ることもないかもしれぬ”
領家方(荘園側)の名主層は若松荘に残っていた。それに対して地頭方の名主層の多くは小谷保盛について出国していた。
それでも、とりあえず両方の百姓の代表者達が集まって、今後について話し合っていた。
片田商店軍の小山七郎は、こう言った。
「今回若松荘を攻めたのは、鼎城の排除という軍事的目的のためである。若松荘を和泉共和国に編入することが目的ではない。共和国への参加は、荘の自発的意思による。参加を望むのであれば、おのおの達で相談してから申告するがよい。望まぬのであれば地頭領も含めて仁和寺に帰属するがよい」
片田も七郎さんも、確信があった。いま帰属しなくとも、岸和田城まで落せば、かならずや帰属するであろうと。
“自由と自治”、あるいは年貢二割に希望を見て和泉共和国に編入を希望する農民がいた。
一方で、新興勢力に危うさを感じる農民もいた。
「しかし、あの勝ちっぷりを見ろ。すさまじかったじゃないか。小谷の殿様は手も足もでなかった」
「じゃが、強いといっても、兵力は高々一、二万だという。いま京都で戦をしている東西両軍が停戦して和泉国に向かってきたら、ひとたまりもあるまい」
「片田商店の片田は、大内、畠山と懇意である、というぞ」
「俺達の代表者が法を決める、というが、そのようなことが出来ると思うか」
「片田様が言っている。出来るようになるまで待つ。俺達が出来なくとも、俺達の子供たちには出来るようになるだろうと」
「それまでの間、幕府につぶされるんじゃないだろうか」
「幕府が攻めてきたときは、自分たちで国を守らなければならないそうだ」
「それって、百姓も町民も、男達は全部兵になるということだよな」
「ああ、そうだろう。それだったら数では負けないかもしれんな。で、俺達が全部、あの銃とかいうものを持ったら、勝てないことはないんじゃないか」
若松荘は、和泉共和国への編入を希望することになった。
「ところで、祐清さんについては、どうするか」
「祐清って、領家の代官のことか」これは地頭方の土地を耕す百姓の一人が言った。
「ああ、祐清さんはこの五年、ずいぶんと荘のために尽くしてくれた。できれば仁和寺に帰らずに荘に残ってもらいたいもんだ」
「そうなのか」
「ああ、水車もキノコ小屋も祐清さんが持ってきたもんだ。蕎麦もな」
「そうだったのか」
「それに、祐清さんだったら、学がある。もともと僧侶だからな。だから俺達の代表者になってもらえれば、片田様が言うような仕事ができるんじゃないだろうか」
「なるほど」
領家側の名主たちが、祐清のところに、若松荘が仁和寺と決別し、和泉共和国に参加することを告げにいかなければならない。その時、彼らが祐清に、若松荘に残ってくれないか、と申し出ることになった。
若松荘の領家の側に、豊岡某という名主がいた。今は名主ではない。祐清に追放されて、地頭側の親戚の家に身を寄せていた。
彼の親戚の多くが地頭方で名主をやっており、地侍となっていた。豊岡も地侍となることを望んでいた。そこで仁和寺に対する年貢を滞納し、小谷保盛に名田ごと被官したい旨、願い出た。
仁和寺と揉めたくなかった保盛は豊岡の申し出を断り、祐清に次第を話した。
祐清としては、やむをえず、豊岡から名主の地位を剥奪し、追放した。
豊岡が頼った親戚の家は百姓の襲撃を受け、彼は寺に身を寄せていた。
そこに、若松荘が片田の共和国に加わる、という知らせが入った。ということは仁和寺の支配が無くなるということである。この混乱に乗じて名主の地位を取り戻そう。
豊岡はそのように決意した。




