小谷城 降伏
夕方になり、小山朝基さんが、七郎さんとの軍議を終えて、自軍に帰ってくる。
「焼夷弾とは、また、すさまじいものだな」姿も見えぬ程の黒煙を上げて燃えている豊田城を見ながら、朝基さんが言った。
「『かぞえ』殿。ご苦労であった」
「はい」『かぞえ』が短く答える。
「城を焼かれた敵兵が、夜襲してくるかもしれぬ。砲を中心にして、周囲に篝火を焚け。鳴子を、その外側に巡らせるのだ。今夜は、二交代直をおこなう」朝基さんが命令した。
夜襲は無かった。豊田城の兵は夜の内に小谷城に退却していた。
夜が明ける。
朝日のなか、小谷保盛が小谷城の矢倉に立っていた。小谷城は周囲で最も高い小山の上に建っていた。豊田城の焼け跡が、眼下に見える。豊田城は小谷城の立つ小山から下り、その先すこし台地に向かって登ったところにある。
燃え残った材木から、まだ何か所か煙が上っている。
保盛は昨日見た光景を思い出す。片田軍の荷車。その上に斜めになった箱が置かれていた。そこから白い煙の尾を引いた何かが飛んでいき、豊田城に落ちる。
炎が拡がり、火の粉が飛び、城のいたるところに引火する。
半刻もしないうちに、二の丸も本丸も黒煙に包まれてしまった。
「あれでは、戦いようがないではないか」保盛がつぶやく。
片田軍が動きはじめた。あの火箭を放つ荷車も動き始める。小谷城に向かって来るのであろう。
不思議な戦だった。小谷城には、栂山城、豊田城から逃げてきた多数の兵がいた。骨折しているもの、火傷をしているものなどはいるが、槍傷、刀傷を受けた者がいない。火の出る棒から発射された玉に当たった者は、傷を受けた場所によっては重傷であった。玉はよほどの勢いで撃たれているのであろう。体の奥深くまで傷を負っていた。腕や足に玉を受けた者たちのなかには、玉が貫通している者もいた。
豊田城を攻めた片田商店軍が、小谷城の東に布陣する。
火箭車が小谷城の方を向き、狙いを定めたようだった。
小山七郎より、三回目の使者が来た。条件は以前と同じであった。
「小谷保盛と、その一族は和泉国から退去せよ」
小谷保盛は降伏した。
使者が帰り、片田商店軍から勝利の雄叫びがあがった。
片田商店軍が城内に入り、武装解除が始まる。
「ちょっと、家に帰って来てもいいか」小谷軍の侍が片田兵に尋ねる。
「槍刀を置いていくのなら、かまわんが、気を付けろよ。百姓達も興奮しているから」
「わかった。助言、かたじけない」
小谷軍の兵は、名主が小谷氏に被官して地侍化したものが多かった。名田と屋敷を持っている。屋敷に残してきた者たちが心配であった。
侍が自分の屋敷に近づく。荘の所々で火事がおきているようであった。俺の屋敷はどうなのか、侍が不安になる。
屋敷の門と生垣が見えてくる。門の扉が開いている。侍が自邸に近づくと、中から知らない男が出てきた。手に抜き身の太刀を持っている。
その切っ先を見た侍の心が凍り付いた。血が滴っていた。
なにか、得物が無いか、と周囲を見るが、これと言ってない。仕方がないので石を二つ拾い、両手に持つ。
抜き身を持った男が、侍に気づき、太刀を振り上げ、叫びながら向かって来る。
侍が石を構え、太刀が届く直前まで間合いを切って、相手の顔面に石をたたきつける。男が悲鳴を上げて倒れる。
門の中から、五、六名の男が出てくる。いずれも太刀や槍を持っていた。
侍は、一旦小谷城に引き揚げることにした。
「なに、そんなことになっているのか」小山七郎さんが言った。
「若松荘に治安維持の兵を出せ。目立つように騎兵も連れていけ」
戦後の治安維持に注意しなければならないのは、七郎さんも知っていた。しかし、こんなに早く乱れた経験はなかった。
七郎さんが知っているのは、大名と大名の戦いであった。そのような場合には、このように急速に治安が悪化するものではない。
この戦いは武士と百姓の戦いになっていた。




