鼎三城(かなえさんじょう)
片田商店の軍二千が二手に別れて、鼎三城に迫った。
細川氏の岸和田城を攻める前に小谷氏の鼎城を落としておかなければならない。小谷保盛が持つこの城を放置したまま、岸和田城を攻めた場合、岸和田城攻めにあたり、背後から攻撃される恐れがあるからだ。
小山七郎さんの率いる軍は小谷城の北方に陣を張った。
もうひとつの、小山朝基さんの率いる軍は、北方で石津川を西に渡り、栂山城の北正面に布陣した。
鼎三城とは、小谷城、栂山城、豊田城の三つの城を言うが、栂山城だけが石津川の西にあり、川を境界線とした場合に孤立しているといえる。
また、栂山城は、他二城と異なり平地にある城でもあった。
小山七郎さんは、栂山城が最も脆弱であろうと考え、まずこの城を落とそうと考えていた。
小山七郎さんが小谷保盛に使者を出した。
「小谷保盛とその一族は和泉国から退去せよ、さもなくば三城を攻撃する。我が方の戦力を持って攻撃がなされれば、三城はたちどころに落城するであろう」
保盛は拒否した。
小山朝基の軍は五十の砲を連れていた。その五十門が火を噴いた。
栂山城の兵に向かって、梅干し大の小石が一日中降り注いだ。栂山城の兵の頭にコブが出来、ところどころ青あざが出来た。
翌日はオニギリ程の大きさの石が降り注ぐ。これは危険だった。当たれば骨折することがあり、打ちどころが悪いと死ぬ可能性もあった。
小谷城と豊田城からは、栂山城の周囲に白い煙が立つのが見える。何がおきているのか、彼らには解らなかったが、救援の必要があると思われた。
二つの城から兵を出し、栂山城に向かおうとする。
石津川沿いには、小山七郎さんの斥候騎兵が哨戒していた。栂山城を支援しようとする小谷兵を見つけた斥候は、火箭を空に放つ。
すると、百騎程の騎兵が土煙を立てて、小谷兵に向かって来る。先頭は犬丸だった。
竜騎兵による一斉射撃で、彼らは城に退却させられた。
三日目の夕刻、栂山城から停戦の使者が出てきた。
「停戦条件について、話し合いたい」
「栂山城を明け渡し、兵は全て小谷城に退却せよ」
思いのほか、寛容な条件だった。栂山城の兵が小谷城に向かって退却していった。
栂山城に火が放たれる。戦国期前の平城なので、燃やしてしまえば、堀の他はなにも残らない。
小山朝基の軍が、石津川を渡って、東方に移動する。そして、なんと、小谷城と豊田城の間を通って、豊田城の東側に出ようとした。
いま、二つの城から打って出れば、挟み撃ちに出来る。
保盛が、小谷城から狼煙を上げ、小谷城、豊田城から小谷兵が出てくる。
朝基軍の縦列から、白い煙が立ち上る。弓の有効射程よりも遠くを走る小谷兵が次々と倒れる。
朝基軍が、二度、三度と白煙を立てる。その度に何名かの小谷兵が倒れる。そして、小谷兵が崩れ、城に向かって退却していった。
圧倒的だった。圧倒的であることを見せつけるための機動だったのだろう。
小山七郎さんが、降伏勧告の使者を送る。
「初日は、まだよかったんだ。ただの石ころだった。当たると痛いが、その程度だ」小谷城に退却した栂山城の守兵が言う。
「それが、二日目には、ゲンコツ程の石が飛んできた。これは陣笠でも防げない。始終頭の上に楯を置いておかないといけない。当たって死んだやつもいた」
小谷保盛は降伏勧告を拒否した。
小山朝基が、豊田城の東側、豊田城と同じ高さの台地に陣を展開し、栂山城の時と同様に砲撃を始めた。
祐清の代官所は、豊田城からすこし南に下った街道沿いにある。祐清が代官所を出て、東の丘に登る。村人が粗朶を取る道を歩き、豊田城の南に出る。ここは豊田城のある台地よりも高く、眼下に豊田城を見下ろす。右手の草原に片田商店の軍が黒い鉄筒を中心に陣を張っていた。
その筒から、大きな音とともに、白い煙が吐き出される。なにかが飛び出して、豊田城に降り注ぐ。屋根板に穴が空いたり、兵が倒れたりする。祐清のところにも異様な臭いの煙が流れてくる。
よく見ると、豊田城の空堀と、鉄筒陣の間に、木の楯を立てて矢を防いでいる片田商店兵が横に並んで腹這いになっている。
彼らは短い槍のような棒を持っている。その先端から、やはり白い煙が出る。鉄筒とは異なり、すこし高い音がする。
豊田城の城壁の上で、木楯を持っている兵に当たる。木楯が縦に割れ、兵が城内に落ちていく。矢倉の兵にも当たった。
“あの距離で、矢が飛んでいくのであろうか”祐清が思った。
周囲を見渡すと、祐清と同じように合戦を見物している百姓が多数いた。小谷軍、片田軍どちらが強いのか。どのように戦うのか。彼らも関心があった。
彼らは強い者につかなければならないからだ。
「片田、案外強いな」
「ああ、見たこともない武器で、離れた所から攻めちょる」
「片田が勝つかもしれん」




