自由と自治
五年が経ち、祐清達の若松荘は、昔の賑わいを取り戻した。シイタケ、蕎麦などの商品により、飢饉前よりも豊かになった。
揚水により、耕作面積が増え、旱魃の恐れもなくなった。
年貢も、ほぼ満額を収められるようになり、仁和寺からは、経営を褒める書状が祐清のところに来た。
『たまがき』は十五歳になっていた。梯子を抱えて来て、代官所に立てかける。先日の風で、屋根板が何枚か剥がれていた。それを直そうとしている。
重しの岩を背中に括り付けて梯子を登ろうとする。子供の頃の栄養不良の影響が残っていて、小柄だった。
通りかかった祐清が、見とがめる。
「それは、いくらなんでも無理だろう」祐清が、梯子に伸ばした『たまがき』の手を押さえる。
「出来るわ」そういったとたん、『たまがき』の胸が鳴った。
「いや、屋根から落ちでもしたら、大変なことになる。男を雇うので、止めとけ」
「……」
「どうした」
「あ、はい。止めます」そう言って、背中から岩を降ろした。祐清に押さえられた手の甲が、なぜか熱かった。
「祐清様、櫻井神社にこんなものが投げ込まれたそうです。堺の片田商店です」現地荘官がやってきた。
「って、『たまがき』なにやってんだ。屋根板を直そうってか。それはこっちでやるからいい」現地荘官が言った。
『たまがき』が走って逃げていった。
「なにが投げ込まれたんだって」祐清が尋ねる。
「これです。なんでも和泉国を新しく建てるそうです」
祐清が印刷された紙に眼を落す。
一、和泉に新しい和泉共和国を建てる
一、共和国では、それを構成する全ての民が平等であり、貴族、武士などの制度は廃止する。
一、既にある律令、式目は廃止する
一、共和国では、共和国が定めた法に従って、統領が政を治める
一、統領は民の第一の代表者であり、民により民の中から選ばれる
一、法は、民に選ばれた議員が集まる議会により発議、審議されて定められる
一、民は法を作る権利を持つと同時に、納税、兵役、教育の義務を負う
一、共和国の防衛は兵役に就く民によってなされ、武士は用いない
…………
「統領は民により選ばれる。幕府が任命する守護でも国司でもない、というのか。これは国犯ではないか」国犯とは、国事犯のことである。
「そうでさぁ。でも、この共和国に賛同する荘が増えているんだそうです。堺の近くでは、塩穴荘がすでに参加し、参加希望の書状が幾つも届いているようです」
「うちの、若松荘の乙名たちはどうしておる」
「いまのところ、動きはなさそうですが、調べてみます」
「あの片田様が、このような大それたことを」祐清が言った。
「“自由と自治”という言葉が叫ばれているようです。幕府などに強制されず、自ら治める、ということらしいです」
「これは、国中の大名が和泉に集まってきて、潰されるであろう」
「ところが、国中の大名は、京都で大戦中です。それを狙ったんでしょうね」
「そういうことか。しかし、片田様は西軍に属しているようだが、西軍の大名達がこれを許すであろうか」
「さあ、どうでしょう。旗揚げしたのが東軍の細川の国だし、大戦の間は目をつぶるかもしれません。西軍の助けにもなっているようですし」
「荘園をどうしようと考えているのであろう」
「税について書いてある所を見ると、二割で、すべて共和国と属する村に納めるようになっていますから、地頭も荘園も廃止でしょうね」
「やはり、そうか」
その夜、祐清は片田の書状を繰り返し読んでみた。
「よく出来ている。このようになれば、どれほどよいことか」呟いた。
とくに、現場の変化を知っている民でなければ法は作れぬ、というところはその通りだと感心した。
読んでいて、胸が熱くなるのを感じた。僧である私ですらこうなのであるから、この書状に接した百姓達の心中はいかばかりのものか。
祐清は気づいた。
これは、大変なことになる。仁和寺にとっては、危機だ。
京都は、すでに半分焼け野原になっている。仁和寺は西に離れているので、まだ戦災にはあっていないが、時間の問題かもしれない。
いっそ仁和寺が燃えてしまえば、私は荘民達とともに、共和国に参加するかもしれない。




