あやとり
「黎民の竈には朝夕の煙厚く、百姓の門には東西の業繁し。仁政の甚だしきが致す所なり」
『たまがき』が庭訓往来を読む声がする。もう四月の段まで来たか、祐清が思った。
寛正三年(一四六二年)の秋、その年の収穫が終わり、百姓達も一息ついた頃だった。彼らは数年ぶりに村祭りをやろうという相談をしているそうだ。
『たまがき』の声が止む。しばらくして祐清の部屋にやってきた。
「お客様です。片田村の茸丸、とおっしゃっていますが」
「待ち人だ。お通ししてくれ」
夏に若松荘に着任し、現状を把握したのち、祐清は堺の片田商店を訪れた。肥料である硫安を安く融通してもらえないか、相談するためだった。
百姓が半減した若松荘で増産するためには、肥料が有効なのではないか、と考えたためだ。
話を聞いた片田が、そういうことであれば、農閑期になったら片田村から人を送るので、相談してみてほしいと言った。
冒頭の挨拶を終えた二人が、土地台帳を検討した。
「耕作地に対して、耕作者がまったく足りませんね」茸丸が言った。
「そうなんですが、荘の民は外から人が入ってくるのを嫌っています」
「なぜです」
「しばらくして、子供達が育てば、耕作ができるようになる、それをあてにしています」
「そうですか。まあ、どこもそうです」幾つもの村で復興の手伝いをしてきた茸丸は経験していた。
「では、夏場、使用しない水田に蕎麦を蒔いたらどうでしょう。蕎麦は水田程手がかかりません。それに蕎麦は最近、値があがっていますから年貢の足しになるでしょう」
「蕎麦ですか。それはいいですね。私も堺で蕎麦切りを食べてみました。おいしいものです」
醤油の普及に伴い、最近蕎麦切りを出す店が、大和や堺に開店していた。
「飢饉のとき、若松荘は、どのようだったのでしょうか」茸丸が尋ねる。
「村の者が言うには、この荘は水はけが良いので、水害にはならないそうです。その代わり水不足でやられたそうです」
「では、利水が必要ということですね。わかりました、それでは荘を一回り回ってみたいのですが」
「いいでしょう」そう言って二人が立ち上がる。
「『たまがき』、二人で出かけてくる。明るいうちに帰ってくるが、留守を頼む」出がけに祐清が声をかけた。
「恐々謹言なりぃ」『たまがき』が答えた。
「なんですか」茸丸がきょとんとする。
「ああ、庭訓往来を習っているのです」
庭訓往来は習字や読本の教科書で、手紙文の形式をとっている。手紙文なので、末尾に『恐々謹言』と書かれている。
「東の丘、木が生えていませんね。背の低い藪のようですが、何かあるのですか」茸丸が尋ねる。彼らは石津川の上流に向かっていた。
「ああ、あの丘のあたり、古代に須恵器を焼く窯があったのだそうです。窯にくべる薪を取りつくして、はげ山になったとのことです」
石津川は栂のところで妙見川と合流する。妙見川をすこし遡ったところに櫻井神社があった。
「この湾曲部に揚水風車を置けば、若松荘の東側は渇水に困らなくなるでしょう」
「風車ですか。今の若松荘に風車を造る銭はありません」
「大丈夫です。菌床を渡しますので、シイタケを作ってください。片田村が定額で買い上げます。市場価格より安くなりますが、差額を返済に充てることにしましょう。数年で返済できるはずです」
「そうしていただけると、ありがたい」
代官所への帰り道。
「若松荘の西側は、石津川から、田池でしたっけ、あの溜池に水を揚げましょう。そうすれば、水を貯めておくこともできます」
「え、あの高さを揚水するのですか。七間(十二メートル)程も高さの差がありますが」
「大丈夫です、途中に小さな池を三つ程作って、順々に揚水すれば、田池まで揚げられます」
代官所に帰り、三人で夕食を食べる。
「『たまがき』は料理が上手だな」茸丸が言う。
『たまがき』は恥ずかしそうな顔をしている。
「知らぬ人に褒められるのが、恥ずかしいのか。では、これではどうだ」茸丸がそう言って、紐を取り出してきて,大きな輪を作る。
「親指と小指に引っ掛けて、こうやって中指を通す。そうして、こうやって、こうやって、どうだ、『かえる』だ」茸丸が一人あやとりをやって見せる。
『たまがき』が驚いて目を丸くする。ついで祐清の方を見た。
「次は、初めは『かえる』と一緒だが、こうやって、こうやって、ほら『かに』だ」
『たまがき』が、思わず手を延ばす。
「やってみるか」そういって茸丸が紐を渡す。茸丸はもう一つ輪を作り、『たまがき』の前で、手順を示す。
床にはいる時刻になるころには、茸丸と『たまがき』で二人あやとりが出来るまでになった。
「川」「船」「田んぼ」「菱」「かえる」「船」「田んぼ」「菱」「つづみ」「川」……。




