尋尊(じんそん)
「面をあげよ」
平伏していた体を伸ばす。
大和は僧侶の王国であった。
片田が居る庭の一角から、前にある階を登った縁の床几に腰かけていたのは僧侶であった。しかも片田とほぼ同年代の若者である。
「そちが作った眼鏡というものを見せよ」
片田が脇に置いた箱から眼鏡の枠を取り出して見せた。そして視力の検査が必要だということを説明した。片田は度数の異なるレンズを一枚の板に埋め込み、板に度数を書いた視力検査板というものを作っておいた。
若いから、近視であろうと推測し、凹レンズの視力検査板を、控の者に渡した。
若者は、手元の書類を、その視力検査版で読む。
「左は五。右は三がちょうどよいようだ」
片田はその度数のレンズを眼鏡枠に嵌めて、再び控の者に渡した。
「うむ、これは良い。これで夜も書物が読めるであろう。求めることとする」
「ありがとうございます」
「で、瓢とかいうものがあるそうじゃの」
「はい、瓢と鮎というものがございます」
「鮎か」
「瓢は、眼鏡の縁の部分の鉄を隠すものでございます。こちらに黒漆、赤漆、黒漆金砂がございます。また鮎というのは耳のところに懸ける紐に付ける飾りでございます」
片田は、普通の白絹で編んだ紐以外に、金襴や黒、緑、青などに染めた紐と、鮎と呼んだ小さなぼんぼりのような総飾りをとりだした。
「このように飾ります」
片田は眼鏡の縁に黒漆の瓢をつけ、青の紐に黄色の総飾りをつけて、自分で眼鏡をかけてみせた。鮎が、眼鏡の両脇で揺れる。
「瓢は、注文があれば、べっ甲、沈香、白檀なども用意できます」
周りの僧がざわついた。
「沈香とな、そのような瓢を目につけておれば、常に香るではないか」
「はい」
「それはすばらしい」
この若者は源氏物語を好んでいた。自分が薫大将や匂宮のように、常によい香りに包まれていることを想像した。
若者の表情を読んだのか、脇にいた老僧が尋ねた。
「沈香の瓢はいくらであるか」
「二十貫でございます。舶来のものでございますので、値が張ります」
「瓢は沈香にする。鮎と紐は紫のものを作ってまいれ」若者が即決した。
「承知いたしました。では、本日のところは、仮に黒漆金砂の瓢と、黒の紐、鮎を納めさせていただきます。お求めの瓢などは、出来次第お届けいたします」
若者は上機嫌になっていた。片田にいろいろなことを話しかけてくる。自分の目が悪くなったのは、書物を多く読むためだ、とか、この眼鏡があれば今まで以上に書物がよめる、とか、寺には大量の書物があり、土地の訴訟や、座の争いのときに、その書物が役に立つ、とか、それら残された書物を整理しなければならないが何しろ膨大な量である上に、いままでの者がろくに整理していないので苦労する、とか、いまの大乗院では記録をとるという習慣がないので、何でもおこなったこと、あったことは自分で記録に残さなければならない等々。
ややしばらく一人で語った若者は、最後にいった。
「ところで、最後だが、しろむすびというものを売っているそうであるな、次に来るときは持ってまいれ」
若者が去っていった。まず初めに高僧と思われるものが、次いで若い僧などが、こぞって注文してきた。適合するレンズがあるだけ、その場で売り、それ以外は視力だけ測り、次に来る時まで待ってもらうことにした。
「今日の尋尊様は、見たこともないほど上機嫌だった」十市播磨守が言った。
十市播磨守というのは名を十市遠清といい、とびの村を含む十市郡の領主だ。大乗院の門跡、尋尊にいきなり素性の知れぬものを合わせるわけにはいかない、とのことで、数日前に覚慶さんに連れられて、十市城で引見されていた。城に住む領主が僧侶の姿だったので、片田は驚いた。
「書物を読むのが、飯よりも好きなお方だから、眼鏡がよほどうれしかったのじゃろ」覚慶さんが応えた。
「ところで、順、どれほど売れた」覚慶さんが言った。
大乗院で、今日現金で売れたのは十五貫程だった。その銭は近くの土倉で預かってもらい預かり証に代えていた。それ以外で注文を受けたのは尋尊の分を含めて百三十五貫ほどだった。
「注文を受けたものを含めれば百五十貫くらいですね」片田が言った。この時代の普通の人間は暗算が苦手である。
「その銭、慈観寺に蓄えるのか」
「それは物騒でしょうね。いくつかの土倉に分散して預けようと思っています。十市の殿様が預かっていただけるのであれば、十市様にもお願いします」
「預かるのはかまわん、必要であれば言ってきなさい。今日のことは感心した。十市の城への出入りを許す。ところで、尋尊様の言っていた、『しろむすび』とはなんだ」
白米の握り飯のことを説明した。
「それは、欲しがるわけだな」
「越智の殿様からも、ときどき精米の注文をいただきます」
「なに、越智だと」播磨守が言った。
「はい、慈観寺前をたまたま通りかかられて、食べていかれました。それ以来です」
「たまたま、とな。そうか」播磨守がなにか考え込むようなしぐさをした。そして、袈裟を直しながら言った。
「今度、わしも食べに行ってみよう」




