笠島(かさじま)
村上義顕は『天龍』の砲列甲板に立っていた。砲を発射するところを、どうしても見てみたかった。上甲板から命令が響く。
「左舷砲発射」
轟音とともに、砲列甲板に真っ白な煙で覆われた。準備の出来ていない義顕が激しく咳き込む。砲列甲板の煙は船尾の方から、しだいに薄れていく。
「これは、かなわん」そう言って、義顕は上甲板に逃げた。上を見上げると、火矢の刺さった帆が燃えているのが見える。
「一時停止。焼損した帆を交換せよ」『中筋の太助』と呼ばれていた若者の声がした。
ヒーブ・ツーというルビは、太助がこのように発音しているのではない。対応する日本語は踟というのだが、この言葉を知っている人が多いとは思えないので、西洋帆船の用語を使っているだけだ。
主檣の帆が裏帆を打つ。幾つもの帆を自由自在に操るものだな、と義顕が感心する。
村上水軍の艦が、集まってくる。粟島沖で停泊している安宅丸の第三艦隊が帆を開いていた。彼らも来るらしい。
態勢を立て直した艦隊が、『天龍』を先頭にして、再び動き出す。針路を東北東に定め、塩飽諸島本島と牛島の間の水道を目指す。
本島の東に突き出る鼻を回り込み、針路を北に変えた。鼻の向こう側に細長い丘がある。丘の北端に砦が見えた。丘が海に落ちるところで、さらに針路を西に変える。丘の西側に小さな砂浜が見えた。艦隊はその砂浜に沿って一列に停泊し、錨を降ろした。
砂浜の向こうには、一列に石を積み上げた防塁が見える。防塁の向こう、東の丘と西の尾根との間に細い路で区切られた家々が見える。
塩飽水軍の本拠地、笠島であった。笠島と言っても、島の名前ではなく、字の名前である。
片田艦隊の艦上では、船倉から迫撃砲が引き上げられ、上甲板に並べられていた。迫撃砲が試射を始める。撃つのは催涙弾である。いつもの山椒と石灰の微粉末を詰めたものだ。弾頭は竹で覆われているため、爆発しても殺傷力はほとんどない。
村上水軍の艦が砲艦の列と、砂浜の間に割り込んで来る。
笠島を防衛する守備隊は、それほど多くない。守備隊が防塁の向こう側から矢を放ってくる。各艦の迫撃砲が距離を把握したようだった。一斉に催涙弾を放つ。
村上の艦が、櫓を漕ぎ、砂浜に艦首を乗り上げる。片方の手で、舷側に立てられた楯を取り上げ、もう片方の手に刺股を持ち、村上の兵たちが、防塁に向かって走る。
塩飽の守備隊は、催涙弾で反撃を妨げられていた。村上の兵は防塁を越え、守備兵を拘束する。
水際を制圧した村上は、左の丘にある砦を目指す。片田艦隊が錨を上げ、砦の北側の海面を包囲するように動いた。丘の高度は海面から三十メートル程である。迫撃砲で攻撃できる高度だった。
艦隊の迫撃砲が、笠島の砦に向かって、催涙弾を撃つ。艦の甲板から砦の中を窺うことはできなかったが、爆発の煙が見えた。
やがて、砦から艦隊に向けて、白旗が降られた。村上の兵が砦を制圧したらしい。
笠島の砂浜に塩飽の頭領、組頭、砦や守備隊の統率者が集められた。十名程の塩飽の指導者たちを後ろ手に縛っていた縄が解かれる。
彼らの前に村上義顕が進み出る。
「負けを認めるか」
「俺達をどうするのか」高階という名の頭領が尋ねる。
「それは、出方しだいだ。片田艦隊と俺達村上は、これから大内、河野と共に、瀬戸内から細川方の船を締め出す。それに協力するならば、船も兵も返そう。協力しないのならば、兵は開放し、船は貰っていく」
「それだけか」
「それだけだ」
高階が、組頭などの顔色を窺う。戦力差は圧倒的だ、そういう顔をしていた。
「わかった。塩飽は村上の下に付こう」高階が答えた。
村上の兵が歓声をあげる。
「止めよ」村上義顕が大きく手を振って、自分の兵を睨みつけ、歓声を押さえる。
歓声が止まる。
「仲間が増えたのだ。称える拍手をせよ」
おずおずと拍手が始まる。拍手が増えていき、やがて大拍手になる。
村上義顕が、高階に手を差し伸べる。両者が握手をした。
村上義顕は、能島に帰る自分の艦隊を部下に任せ、また『天龍』に乗り込んでいた。高階氏も同乗している。片田艦隊は尾道の大内政弘、河野通春のところに向かっている。
塩飽水軍が味方になったことを河野通春に報告しなければならない。また、大内政弘が支配する大瀬戸(関門海峡)を、片田の第三艦隊が通過する許可を政弘から得なければならない。




