砲列甲板(ガン・デッキ)
香川県の西部に荘内半島という、細く瀬戸内海に突き出した半島がある。ここより東は塩飽水軍の勢力圏だ。
その半島の先端のところが、村上義顕と、片田の会合予定地点だった。片田はここで二日待ち、三日目の早朝に村上義顕の艦隊がやってきた。
この日は夜明け頃が満潮で、西南西の風が吹いていた。満潮のとき、瀬戸内海のこのあたりは潮が落ち着いている。そこに背後からの風にのって、村上の艦隊が滑るように片田達の方にやってくる。
一隻が片田の『天龍』に接舷した。両船の間に板を渡し、村上義顕が渡ってくる。
「待たせた。だが、下ごしらえは出来ているぞ」
「知っています。大浜の物見から、昨日の北風に乗って志々島の東に塩飽水軍の艦が集結していると報告がありました」
「お、やはり来ているか。今日村上が塩飽を襲う予定だと触れ回ったからな」
「で、どのように戦いますか」片田が義顕に尋ねる。
「塩飽の奴らは知らないが、お前がいるおかげで、今回はこちらが有利だ。できれば、この機会に塩飽を支配下に置きたい」
「そうですか」
「なので、なるべく殺生をしないで戦いたい。このあいだやったように、塩飽水軍の帆だけ狙うことが出来るか」
「出来ますが、敵艦に近づかなければなりません」
「では舷側に木の楯を並べろ、たくさん用意してきた」
村上や塩飽の水軍船は、舷側に木の楯を隙間なく並べて戦う。予備を持ってきているのだろう。
「帆が破れ、航行できなくなった塩飽船を俺達の船で囲み、降伏させる」
「わかりました。こちらは片っ端から、敵艦の帆を打ち破ればいいのですね」
「そういうことだが、片っ端からではない」
「と、いうと。どうすればいいのでしょう」
「塩飽水軍の艦にも、上下がある。全艦隊の指導者は、帆柱に赤色に染めた細い手拭の風見をなびかせている。こいつを一番最初に叩いて欲しい」
「なるほど」
「その次は、紅梅、紫、朽葉、萌黄、縹などの色の風見を付けているやつらだ。こいつらは組頭だ」
「うむ」
「白い風見は、一番下だ。これは数が多い。こいつらは片っ端からでもいい」
「承知しました」
「あと、風は昼にかけて南に変わるだろう。潮は午までは東に流れるが、午を過ぎると、西に変わる。塩飽に近づく程、潮が強くなるから気を付けろ」
「はい」
「最後に、戦闘の間、俺はこの船に乗っていたいのだが、許可するか」
「わかりました。って、何と言いました」
「戦闘中、俺を乗艦させてくれ、と言ったのだが」
「村上艦隊はどうされるのです」
「大丈夫だ。頭領が倒れたら二番手が、二番手が倒れたら三番手、といつでも交代できるようになっている。海の上で生きる水軍はそのように鍛えている」
「それならば、そちらのほうはいいとして。なぜ乗艦したいのでしょう」
「そりゃあ、決まっているだろう。この艦がどうやって戦っているのか、知りたい」
「それは、まあ、そうでしょうね。わかりました。戦闘の間『天龍』に乗艦することを許可します」
片田に船を教えてくれたのは村上義顕であり、彼の望みを断るのは難しかった。
まず、片田の艦隊が粟島と高見島の間を抜けて、志々島の東に集結している塩飽水軍に当たる。その間村上水軍は、荘内半島東海岸沿いに東進し、風上側より塩飽水軍の風上側側面を占めることにした。
義顕が、能島丸の彼の副官に指示を与える。即席の橋としていた板が外され、艦を繋いでいた鳶が外される。
片田が『天龍』艦長の『中筋の太助』に出航を指示する。安宅丸は、今回は『五十鈴』の艦長を任されていた。『五十鈴』を旗艦とした第三艦隊は、この戦闘の後、長躯して封鎖作戦を行うことになっていた。
「行先を指示したら、司令官のお前は暇なんだろう。どうやって敵の帆を破るのだ」義顕が言う。
「では、まず砲列甲板を見せましょう」そういって、片田が上甲板開口部の梯子を降りていった。義顕も続く。
上から二番目の甲板が砲列甲板だった。左右の舷側に沿って大砲が横向きに並んでいる。
「砲を見たことがありますか」片田が義顕に尋ねる。
「いや、聞いたことしかない。明では昔から使われているというが、日本では火薬が手に入りにくいからな。俺のところも密貿易で僅かに入ってくるばかりだ」
「この砲は、台車に載せられています。まず砲を上に向け、火薬袋を入れる。そのあと小石がたくさん入っている袋を入れます」
「火薬を自由に使えるのか。どのようにして手に入れた」
「それは言えません。火薬と石袋を詰めたら、この紐を引いて、蓋を開ける」
「この向こう側が『蓋つき』の蓋にあたるのか」
「そうです。そして、台車を前に押して固定し、火縄を付けて発射する」
「小石が無数に飛んで行って、相手の筵の帆を破くのか」
「そのとおりです。帆が無くなれば船の推進力は無くなり、漂うしかない。櫂があれば、わずかに進むことはできるでしょうが、帆に比べれば推進力は少ない」
「小石以外の物も撃つことができるのか」
「できます。相手を沈める場合には鉄の玉を使います。また、火災を起こさせる場合には油の入った木樽を発射します。木樽は鉄板で補強してあります」
「恐ろしいものを作ったな。確かに火薬が自由に手に入るのならば、このようなものを作りたくなるだろう」
「鉄弾も焼夷弾も使ったことはありません。使わないで済めばよいと思っています」
「弾や火薬は、ここにあるだけなのか」
「いえ、下の船倉に、ここにある数倍の量を格納しています。この甲板は火の粉が舞うので火薬を保存しておくのは危険です」




