議会(ぎかい)
「まず、皆さんに最も身近な、年貢から始めてみましょう」教壇に立っている『いと』が言った。
生徒たちは、子供ではなく大人である。皆各地で教師をしている。大和国、河内国の一部、堺などから来ている。
かつて村の自治の分担をしたときに、『いと』は教育担当になっている。それ以来ずっと続けてきた。『あや』が早々に財務担当を投げ出して京都にいってしまったのとは好対照である。
『いと』は自分で子供達を教えるだけではなく、若い女性を集めて、教師として育ててきた。『いと』が教えた教師たちが各地で子供達を教育する。
「皆さんは、なぜ年貢を払っているのでしょう」
「年貢を払わないと、叱られるからではないですか」
「それはそうですが。もっと根本的な理由を考えてみましょう」
「私たちが土地を持ち続けていられるように守ってもらうためです。それに治水工事なども行ってくれます。守護様や地頭様たちが」
「そうですね。そのとおりです。そのために、収穫の三割、人によっては四割程の米を年貢としておさめているのですね」『いと』が肯定する。
「では、その三割、四割という割合は適正でしょうか。はい、あなた、どう思いますか」
指名された女性は、すこし考えて、わからない、と答えた。
『いと』は、他の女性を指名する。皆、わからなかった。
「わからないですね。わからなくて当たり前なのです。なぜなら領主様は、年貢のうちのどれだけを防衛に使って、どれだけを治水や開墾に使用したのか、明らかにしていないのですから」
言われてみればそのとおりだ。考えたこともなかった。など教室がざわめいた。
「年貢の割合を決める。年貢を集める。集めた年貢の使い道を決める。決めた使い道にそって実行する。このようなことを、政を治める、と書いて政治と呼ぶことにします」
「政治には、他にも悪いことをした人を捕まえて罰する、という役割などもあります。どのように罰するかは、やってしまった悪いことに従って罰の重さが異なるでしょう」
「それ、知ってます。律や式のことですね」
「そうです。悪いことをした人をどのように罰するか、これは今でも昔の律令のうちの律の一部が使われています。文章として残っており、それに従って罰するということも行われています。しかし、先に言った政治の部分である令については、はるか昔に行なわれなくなってしまいました」
「今は、なにに基づいて政治がおこなわれているのでしょう」
「文章として決められている物はありません」
「では、どのようにして政治がおこなわれているのでしょうか」
「説明しにくいのですが、あえて言えば、その場その場に応じて、領主様が総合的に判断して行われている、というのが最も適切かもしれません」
「守護様や地頭様の損得や好き嫌いも、判断に関係しているのでしょうか」
「そのようなことも、判断の材料にはなっているかもしれませんが、知ることはできません」
『いと』が一息つく。その間に教師たちが、いまの話の感想を交換する。
「政治について、もうすこし考えてみましょう。政治には三つの部分があります。まず誰が政治を行う権利を持っているのか、権利を持っているものを『主権者』といいます。二番目には、どのように政治をおこなうのか、これを『政治の方法』といいます。最後に誰のために政治をおこなうか、これを『政治の目的』といいます」
「今の大和国で言うならば、主権者は興福寺です。政治の方法としては、成文化したものがありませんから、興福寺が折々に判断して政治を行っています。政治の目的としては、我々のためにやっていただいている部分もありますし、興福寺のために行っているという部分もあるでしょう」
「ただ、その方法と目的に関しては興福寺が決めているということですね」
「そうです。主権者は興福寺ですから。もしそれに不服があるのであれば、私たちは一揆を起こす、という方法で政治を修正させてきました」
「一揆は人が死んだり、怪我をしたりします。こちら側だけではなく、興福寺の方も、です。もっと良い方法はないのでしょうか」教師の一人が尋ねる。
「先ほどの律や式の例が参考になるのではないでしょうか」『いと』が言う。
「つまり、政治の方法や目的を、昔のように成文化していくのです。これを法律と呼びましょう。争いが無いようにするためには、興福寺だけではなく、われわれも法律を作ることに参加しなければなりません。法律をつくることを立法と呼びます。刑罰だけではなく、年貢の割合、納め方、使い方などについても法律を作っていくのです」
「あらかじめ、なにもかも考えておくことはできないと思います。なにより、その立法、ですか、立法にいちいち参加できません」
「そうですね。まずは昔の律令を参考にすると良いのではないでしょうか。昔とは土地制度などは異なりますが、問題になる部分は昔も今も共通するところが多いでしょう。その上で、新たな問題が出てきたら、それについて法律を作ればいいでしょう。また、全員が立法に参加することなど、できません。村々で、信用できる人を選んで立法に参加してもらえば良いのではないでしょうか。興福寺と、それら代表者を合わせたものを議会と呼ぶことにしましょう。この議会で法律を決めるのです。そうすれば、いちいち争わずともすみます」
教壇を降りた『いと』が控室に帰る。“社会科を教えるのが一番疲れる、言葉を選ばなければならない”。『いと』は、今の社会がどうなっているか、ということを超えて、片田に教えてもらった、どうあるべきか、まで教え始めている。議会に興福寺を含めている、というあたりは、戦前の日本の政治体制に似ているところがあるかもしれない。
水を一口飲んで、石英丸のところに行くことにする。教育予算の増額交渉をしに行くのだ。
「もっと、教師を増やしたいのよ。京都の乱で、多くの人が村に来ているんでしょ。利益は増えているはずだわ」
寛正の飢饉の後、困ったときには大和国の片田村に行けば、なんとかなるという噂が広まっていた。
「確かに人は、ものすごく増えている。でもまだ仕事を覚えている者は少ないし、設備も増やさないといけない。すぐに利益が出るというものではない」石英丸が言った。
「犬丸のところにお金かけすぎじゃないの」
「ああ、あと一万人程の兵を揃えなければいけないからな」
「なによ、戦でもするつもり。戦なんかしても、いいことないわよ」
「さあ」
「片田村にも議会が必要になってきたわね」『いと』が小さくつぶやいた。
「ん、なにか言ったか」
「なんでもないわ」




