救援
雨のおかげで、火の勢いが衰えた。春日小路(丸太町通)で延焼が止められている。
“動かせないものとは女なのか”渡された櫛を見ながら、朝倉氏景が思った。“いや、盗賊が落としていったものかもしれぬ”
氏景は、二条大路に面した商店に梯子を掛けさせ、兵を屋根に登らせようとした。先頭の兵が屋根の上に顔を出したところで、目の前で山椒玉が弾け、兵が転落する。
氏景の兵達が一斉に屋根の上に向かって矢を放つ。雨のように矢を降り注ぐだけで、狙いを定めてはいない。
下からは見えないが、大猿は、屋根板をはがし、その裏に潜んでいる。
室町小路を挟んだ、向こう側の商店の屋根から矢が飛んできて、兵の太ももに刺さる。兵が一斉にそちらの方を向いて追跡しようとする。
「あわてるな、囮だ。十名程割いて追え」氏景が叫ぶ。
「もっと、梯子を持ってこい、離れて四、五か所に立てかけよ」
その声を聴いた大猿は、二条大路に面した屋根裏から撤退した。
二十名程の兵が屋根の上に登った。彼らは屋根の上から商店の庭をのぞき込み、人影を探す。
『あや』達が潜む仏具屋は、室町小路に面していて、二条大路から五軒目だった。その屋根の上を兵が歩く音がする。
兵が叫び声をあげて、屋根から転落し、仏具屋の奥庭に転落する。高山太郎四郎が室町小路東側の屋根から射た矢が当たった。
屋根に登った兵達がいっせいに、奥庭側の軒端に移動する。屋根の傾斜を利用して矢を避けようとしていた。
兵を屋根に上げてみたものの、埒が明かない。“忍びのやつら、時間を稼いでいるようだな。援軍が来るのか”氏景にはそのように見えた。
“いっそのこと、このあたり一帯燃やしてしまうか”氏景が考えた。応仁の乱の後に、彼の父、朝倉孝景は『焼き働きの朝倉』と呼ばれるようになる。
「油を探してこい」氏景は、一人の騎馬武者に指示する。その武者は、十数名の兵を連れて油を探しに行った。
「誰か、火打石を持っておるか」氏景が尋ねる。兵達が顔を見合わせる。行軍の時ならば持っているが、今日のような襲撃時に火打石など持ってきていない。
「持ってはおりませぬが、商家の竈にありましょう。取ってまいります」氏景の兵の一人が、そういって、目の前の商家に入っていった。
兵はすぐに戻ってきて、氏景に火打石を見せる。
「よかろう、お前、腹がすわっておるな。名は何と申す」馬上から氏景が尋ねる。
「佐武次と申します」
「よし」
先ほどの騎馬武者が、油樽を抱えた兵を連れて戻ってくる。氏景がそれを迎える。
「よし、まずはこの家から燃やそう。空家だ」先ほど佐武次が火打石を取ってきた家を指す。
その時、彼の馬がおおきく嘶き、前足を空に向かって高く上げた。氏景は、たまらずに落馬する。
兵達が氏景の方を向くと、佐武次が氏景の馬の尻に槍を刺していた。
佐武次は、落馬した氏景を抱え上げ、商家の大戸を背にして立つ。右手に短刀を持ち、氏景のうなじに刃をあてていた。
「火をつけてはならぬ」佐武次と名乗っていた、藤林友保が言った。
氏景の兵が凍り付いたように立ち尽くす。
友保が、氏景に兵の撤収を命ずるように言おうとしたとき、遠くで銃声が鳴った。
一番南に配置しておいた新藤小太郎だろう。友保が思った。援軍が来た合図だ。
忍びたちが弓を捨て、背中に担いでいた銃で氏景の兵を狙撃しはじめる。
遠くから多数の銃声が響いた。室町小路に立っていた兵達から叫び声があがる。
東からも騎馬の集団が向かって来た。新藤小太郎の指示で東に回った者達であろう。二条大路の方が、道幅が広い。
「殿、殺しはしないので安心されよ」友保がささやく。
「ここにいては、流れ矢に当たる。商家の中にお連れします」
「うむ」氏景が頷いた。
友保が氏景を抱えたまま、後退りし、商家のくぐり戸の中に消えた。
東の騎馬軍が立ち止まり、騎兵が何かを構える。次の瞬間に、横一線に白い煙が拡がる。氏景の兵が何人も倒れた。氏景軍は何がおきたのかわからない。
騎兵がもう一度斉射する。なぜかまた、自軍の兵が多数倒れる。
ひるんだ氏景軍が一斉に西に向かって走り始める。広い二条大路からかき消すように氏景軍がいなくなってしまった。
「撃-ち方、止めー」室町小路を覆う位置まで進出したとき、先頭の犬丸が叫んだ。
「散開」
室町小路を南から、片田順に率いられた騎馬隊が上ってきて合流する。
二条大路沿いの商店から藤林友保が出てきて、片田に声をかける。
「やれ、助かったぞ、片田殿」
片田がうなずく。
「朝倉軍の足軽姿が似合うな。どこで着物を拾った」
「屋根から落ちてきた兵から奪ったのだ。ところで、荷物が一つあるんだが、驚かないでくれ」そう言って、朝倉氏景を招く。
くぐり戸から出てくる若武者を見て、片田がすこし驚く。
「私は、片田順と申しますが、あなたさまは」
「朝倉氏景じゃ」氏景は不本意そうに答える。
「氏景様は馬の躾がお上手のようですな」片田が言う。
なんのことだと思って見回すと、彼の馬が傍らに寄って来ていた。
「わしをどうするつもりじゃ」
「どうにもしませぬ。馬もお持ちですので、御帰りになられるとよろしいでしょう」
氏景はさっと馬にまたがり、去っていった。
仏具屋から小猿に導かれて四人の女性が出てくる。『あや』の縛めは、解かれていた。
「あや、ずいぶんとしょぼくれているな」犬丸が『あや』に声をかける。
「なによ、って犬丸なの。いい所にいるわね。ちょっと忘れ物を取りに行くので、手伝いなさい」
犬丸が片田の方を見る。
「念のため、数騎連れて行くがよい」片田が言う。
「荷車も必要よ」
『あや』は型紙や画帳を回収した。三人の女性は、家族の消息がわかるまでということで、『あや』とともに、九条の隠れ家に避難することになった。




