矢木の市(やぎのいち)
慈観寺前の伊勢道を西に六キロメートル程行ったところに矢木の市、という市場がある。この時代にはめずらしく常設の市場で、毎日市が開かれている。今日、片田は朝に寺を立って、矢木の市にむかっている。荷物は無いので、片田の足ならば一時間程度だ。
道中、しろむすびの話をする旅人がいる。おたきさんは今日も忙しいことだろう。
市の境となっている堀を抜けると、屋形が道の両側に立っている。屋形は壁の無い小屋のようなもので、板葺きである。柱が一間(約一.八メートル)毎に立っていて、床は地面そのままだ。そこに筵を敷いて、商品を並べている。間口一間が一つの店舗である。奥行きは二間ある。
市に屋形を打ったのは越智の殿様だ。一間の場所代が年間百文だという。
様々なものを売る店がある。綿座、練絹座、魚座、柑類座、小袖座、扇座、鳥座、箔屋座、竹座、反古座、麹座、帯座、皮染座、菓子座、塩座など、数え上げることが出来ないほどの座が店を出している。
馬や牛を売っている店もある。これはさすがに一間では入りきれないので、広場の隣に店を置いている。となりに「殺生禁断」と書かれた札があるのは、どういうことだろう。
酒屋の隣に、焼いた鳥を売る屋形があり、昼間から酒を飲んでいる者がいる。
大きな声で辻説法をしている僧がいる。子供が走り回る。犬が吠える。にぎやかだ。
東西に走る伊勢道は、矢木の市に入ると、横大路と呼ばれる。昔の都である平城京の朱雀大路から、南に真っすぐ降りてくる道を下ツ道という。その下ツ道と横大路が交差するところが矢木の市の中心である。中心に近づくにしたがい、粗末な屋形ではなく、商店とよべるような家が増えてくる。米屋、酒屋、茶屋などである。
片田は交差点の一角をなす米屋に入る。
「また、十俵頼む」片田が言った。
「いらっしゃい、儲けるね」
「それほどでも」
「うちにも、白米を卸してくれないか」
「矢木でしろむすびを売ったら、慈観寺で売れなくなる」
「だめかぁ。」
片田は米屋を出て南に下り、香座に入る。
「おう順か」
香屋の四郎だけは『じゅん』と呼んでくれる。
「沈香と白檀の件だな。このあいだ堺に行ってきた。堺にある琉球の行によると、来月の便で来るそうだ」
「そうか、それはありがたい」
次は塗師屋座だ。
「こんにちは。黒漆が一個売れたよ」
「おうそうか。そりゃめでたい。どんどん売れるといいな」
「期待していてくれ、あと黒漆金砂をひとつ、見本として作ってほしい」
「金持ちにとっかかりができたのか」
「そうだ」
さらに南に下り、市から出る。市の周りにはいろいろな職人が作業場を設けている。鍛冶の家に入る。
「おう、待っていたぞ」矢木市の鍛冶屋が言った。
「どうでした」
「南都の鐘を作っている鋳物師が作れるといっている。ただしおまえがネジと呼んでいる部分は無理だといっていた」
「それは自分でつくるからいい。わかった、ありがとう。作るときは、お前のところを通すことにするよ」
「そうしてくれると、ありがてぇ」
片田は、高温高圧下で化学反応をさせる圧力釜を作ろうとしていた。
次は鉛屋だ。市の中にもどり、一番北のはずれの鉛屋に行った。さすがに鉛で座はできていないらしい。
「ああ、鉛石のことだな。かわりもんだな、あんた」
「売ってくれると言っていたか」
「ああ、飛騨神岡の組のものに問い合わせた。売ってくれるそうだ」
「よかった」
「鉛石から鉛を作るとき、瘴気が出るので、わざわざ焼いて瘴気を取っているのに、瘴気がほしいとは変わったやつだ、と向こうからの文にかいてあったぞ」
「そうか」
「馬で運ぶ代金のほうが高いんじゃないか」
「それでも欲しいんだ」
鉛石とは方鉛鉱のことだ。鉛と硫酸を作るつもりだ。
最後に薬座に行った。
「いつもの胸焼けの薬を、あるだけ全部くれ」
「そうくると思ったぜ」
薬屋が言った。店の奥の方から、背負子に括り付けた包みを持ってきた。
「このあいだ、お前が全部もっていってしまったので、そのあと困るやつがいた。そこでおまえの分は別で買っておいた。千袋ある。一貫だ」
”そうきたか”片田は思った。
片田は財布のなかに、矢木の土倉の預かり証があるのを思い出した。これが為替として使えるはずだった。
銭一貫の預かり証を薬屋に出して言った。
「これを土倉に持って行ってみろ」
「店番してろよ」
薬屋が戻ってきた。
「土倉が銭一貫に交換すると約束した。薬を持って行ってもいいぞ」
「ありがとう」
帰り道、酒屋の隣の焼き鳥屋で焼き鳥を二串買ってその場で食べた。寺に居るとこういうものが食えない。




