櫛(くし)と荷車
屋根の上で、藤林友保と高山太郎四郎が体を起こす。
「雨が降っているうちに、二条の方に移動しよう」友保が言った。
友保が片田商店の屋根にいる山田八郎右衛門に、下に降りるように合図する。
「雨が激しいうちに、まず、女子たちを逃がす。小猿、先導してくれ。太郎四郎と八郎右衛門が同行せよ」友保が言う。
「逃げるって、型紙や画帳はどうするのよ」『あや』が叫んだ。
「残していく」
「残していくって、だめに決まってるじゃない」
小猿が、どうしましょう、という顔で友保を見る。友保が頷く。
小猿が素早く動き、『あや』の水月を撃つ。『あや』の体に衝撃が走る。
胸のあたりの筋肉が言うことを聞かなくなり、呼吸ができない。
小猿が、『あや』の体を支えて、横たえる。両手首を後ろ手にして縛り、両足首も縛った。
「外に荷車がある。八郎頼む」小猿が言う。
「わかった」大男の八郎右衛門が『あや』を抱えて、外に運び出す。残りの三人は従うしかなかった。
「これも、持って行ってくれ。次は忍び道具を運ぶ」そういって友保が京都の地図と、彼らが調べた情報を書きつけた紙束を小猿に渡す。
四人は荷車の上に載せられ、上から筵を掛けられた。八郎右衛門が荷車を引き、小猿が先導する。太郎四郎は、荷車の後ろを押した。
二条の広い路に出たあたりで、呼吸の戻った『あや』が暴れだす。筵から頭を出して叫ぶ。
「戻ってよ。戻りなさいよ」八郎右衛門に向かって叫ぶ。両手足が自由にならないので、頭を振る。その拍子に、塗り物の櫛が路に落ちる。
小猿が室町小路に面した仏具屋を指さす。家人は既に逃げてしまっていた。
この一角は、かつては二条宮と呼ばれていた。藤原定子の邸があり、『枕草子』の舞台のひとつである。
定子の父、道隆の家系が没落し、藤原道長の世になったとき、この地は道隆の恨みが宿るとされ放棄される。
その後、この一角は公家や武家向けの商家が集まるようになっていた。
応仁の乱で、この地は焼けることになり、その十数年後には南に接する町と合わせて妙覚寺が建てられる。戦国末期には、妙覚寺は織田信長が京都に滞在するときに、よく宿所として利用されることになる。
仏具屋に残った小猿にたいして、『あや』が、しきりに罵る。閉口した小猿は、猿轡を噛ませてしまった。
片田商店に戻った荷車が銃や弾薬、忍び道具などを乗せてやってくる。藤林友保、新藤小太郎、大猿も到着した。荷物を運び入れたあと、八郎右衛門は、荷車を二条大路まで引いて行った。
「そんなところに忍びが結界を張っていたのか」朝倉孝景が息子の朝倉氏景の報告に答えて言った。
「それは、人か、物か、なにか動かせないものがあったということであろうな。どちらにしろ珍しいことだ」
「我々の背後を狙ったのではないでしょうか」
「そうかもしれぬ。こちらの軍議でそのような話は聞いていない。潰しておいた方がよかろう。そちに二百名程預けるので、明るくなったら潰してこい」
「承知しました」
「夜の間に移動しているかもしれぬが、動かせないものがあったということは、移動しても遠くには行っていまい。もぬけの空であったら、周囲も探すのだぞ」
「はい」
翌朝、氏景が鏡屋のあるあたりに戻ってくる。路上の撒菱は夜の間に片付けられていた。
周囲の町屋に梯子を掛け、兵を屋根に登らせる。鏡屋からも片田商店からも動きはなかった。
兵は、罠に気を付けながら、徐々に鏡屋に近づいてゆき、氏景のところからは見えなくなった。
しばらく待っていると、鏡屋の大戸が中から開いて、氏景の兵が出てくる。
「なかには誰もいません。罠もありませんでした」
氏景は、騎兵に周囲の探索を命じる。そして鏡屋の中に入ることにした。通り庭を通って、奥庭に入る。
蔵の扉は開いていた。中を覗き込んでみても、大した物は入っていない。
「裏の店と、庭がつながっておるのじゃな」
片田商店の側に移動し、商店の中に入る。
「この店は何を商っておるのか」
「は、干しシイタケのようです」
「干しシイタケ。聞いたことがあるな。大和の片田商店か」
騎兵の一騎が帰ってくる。
「二条大路に、このような物が落ちておりました」そういって、騎兵が櫛を見せる。『あや』の髷から落ちた櫛だった。
「それに加えて、見ていただきたいものがあります」
「なんだ」そういって、氏景が馬に乗る。
騎兵が連れて行ったのは、二条大路沿いの店に寄せた荷車の所だった。
「この荷車を見てください」
「なにが言いたい」
「荷車の脇や、荷台に泥がついています。雨の中で動かしたものと思われます」




