撒菱(まきびし)
藤林友保が梯子を使って、『あや』の鏡屋の屋根に登る。傾斜の緩い瓦葺を登り、頂点の冠瓦のところに立つ。
『あや』の鏡屋に高山太郎四郎と三郎、路を挟んだ向こう側に新藤小太郎が居ることを確認する。
後ろを振り返る。京都片田商店の屋根には山田八郎衛門と二郎が控えている。その向こうの屋根には下柘植大猿の持つ龕灯が小さく見えた。
「菱は撒いたのか」友保が八郎右衛門に尋ねる。
「ああ、いつもどおりに撒いた。幅は二間程だがな」
菱とは、水草のヒシの実のことである。友保は金属製や焼物の撒菱ではなく、ヒシの実を好んだ。軽いからだ。
いつものように撒いた、というのはこういうことだ。
路全面には撒かない。
『あや』の店は、南北に走る路に面していて、その西側にある。店の入口は東を向いて開いている。
まず、『あや』の店の入口から扇を半分程開いた形の部分には菱を撒かない。加えて面している路の向こう側、東側三分の一も撒かない。
撒いてあるところは、店の入口あたりを除いた、路の西側三分の二の部分である。
幅は二間程、というのは、店の入口の両側に二間ずつの範囲に撒いた、ということだ。
このように撒くのは、彼ら自身の逃走路を確保する、ということと、『あや』の店を襲撃しようとする盗賊が通りそうなところに撒くという二つの意味がある。
さらに、撒菱を避けるために、敵は道の反対側に摺り足で移動するしかないということになる。道の反対側に移動すれば、『あや』の店の屋根から狙いやすくなる。
店の入口のところに集まった敵は、新藤小太郎の守備範囲だ。
友保が北の方角を見る。
一条大宮の細川勝久・成之邸あたりから燃え広がった炎は、幾つもの出火を合わせて、右に左にと広がっていた。
室町小路(室町通)の先に、赤い炎を背景に斯波義廉邸が見える。邸の四方に高い矢倉を建てているので、一目で義廉邸だとわかる。
炎は、義廉邸に近づいていた。近衛大路(出水通)あたりまで来ているだろう、友保は思った。
炎の近づく速さが思っていたより速い。空を仰ぐ。
「大火の時には雨が降るというが、どうだろう」友保がつぶやく。
確かに梅雨の最中だった。昼間は低い雲が空一面を覆っていて、いまにも雨が降りそうだった。
夜盗達は、昼間は足軽として戦働きをしなければならない。強盗を行うにしても、せいぜい夜半か丑の刻までのはずだ。
いくら金品を強奪しても、翌日の戦で、寝不足が原因の不調で死んでしまっては元も子もない。
夜半までは夜盗に備えなければならないが、その後は火災が心配だ、ということになりそうだ。
「火災が迫ってきたときに、逃げるところを確保しておくか。しかし、女子を四人も連れていては、そう遠くにはいけない」
友保は、梯子を下って庭に下りる。
「小猿、明日の朝から午時までの間に片田殿が兵を連れてくる、と言っていたな」
「はい」
「今見たところ、北から火災が来る方が早いかもしれない」
「それは困りますね」
「うむ。そこでだ、二条大路の向こう側に、一時避難のための空家を探してきてくれ。もし火災の方が早く来た時に、朝まで隠れていられるような場所だ。できれば室町小路沿いがよい」
「すぐに移動するのですか」
「いや、いまは夜盗が跋扈している。移動するとしたら、夜半過ぎだ」
「わかりました」
そう言って、小猿が、入ってきた隠し戸から出ていく。
室町小路沿いが良い、と言ったのは片田達が室町小路を上ってくる、と考えたからだ。
この当時、朱雀大路は、ところどころ路を潰して民家が立っており、道幅が狭くなっていたが、左京の二条大路は、まだ幅十七丈(約五十メートル)を保ったまま東西に走っていた。
火災が、二条大路を越えることは難しかろう、と友保は考えた。『あや』の店から二条大路までは二町(二百二十メートル)にすこし欠けるほどの距離だった。




