城山城(きのやまじょう)2
紙が結び付けられた矢は、そのまま城山城を守る城代のところに運ばれた。守将がそれを開く。
「頃は満ちた。立たれよ」
紙片にはそのように書かれていた。
「ふん、戯言を言う。ただの計略じゃ」そういって、紙片を破り捨てた。
それを見ていた足軽頭の吉岡は、ただの計略だとして打ち捨てていいものであろうか、と考えた。彼は但馬から山名氏に従って来ていた。
彼は配下の者に、外からの攻撃だけではなく、内部からの造反にも気をつけるように指示した。特に旧赤松家臣には注意しろと加えた。
坂本城が、あまりにもあっけなく落ちてしまった。あのようなことを繰り返したくはなかった。この城が落ちたら、次は無い。
「おい、お前たち、平野の家臣だろう。どこへ行く」吉岡配下の足軽、治兵衛という者が、数名の兵を問いただす。
「どこって、『北の丸』だ、そこが持ち場だからな」
北側の尾根は、他の方角よりも平坦で、幅が広い。赤松軍が総がかりしてくるとしたら、その方角だろうと予想されていた。『北の丸』はそれに備えた砦だった。
「本当か、おい、ちょっと確かめてこい」仲間の足軽に向かって言った。
「なんか、嫌な言い方するな。お互い寝てないのだから、イラつく言い方をするな」
「なにを揉めておる」城代が通りかかる。
治兵衛が事情を説明する。
「平野衆の言っていることは正しい。わしが平野衆を北曲輪に当てた」
「ならば、よろしいのですが」
「ならば、よろしい、ではない。平野衆に詫びろ」城代が命令した。
治兵衛は不服そうな顔をしたが、それでも詫びた。
治兵衛たち、引き下がった足軽たちは、ぼやいた「殿はわかってないんじゃないのか。いま造反者が出たら、あっという間に城が落ちるというのに」
攻城は五日目の夜を迎えた。睡眠不足に加えて、水も不足するようになっていた。水源である『亀の池』への道は赤松軍に絶たれていた。
赤松軍に雇われている楯岡同順は、五日目の夜にも城山城に文を結び付けた矢を射った。
城山城から帰ってきた同順に赤松軍の将、宇野政秀が声をかけた。
「もっと、数多く矢文を送った方がいいのではないのか」
「あまり多いと、かえって計略だと見抜かれるものです」
「それは、そうかもしれぬが、しかし、城内は少しも動かぬではないか」いつ、山の向こうから山名軍が押し寄せてくるかもしれない。政秀は落ち着いていられなかった。
帯曲輪に刺さっている矢に、治兵衛が気づいた。彼はそれを吉岡に持っていく。吉岡は結び付けられた紙を開いてみた。
「明夜、北尾根より攻める。支度せよ」
吉岡は頭に血が上ってくるのを感じた。内通者がいることは間違いない。急いで城代に持ち込む。
「明夜、来るだと。そんなことをわざわざ予告してくる者がいるか」
「しかし、内通者に知らせるつもりだったのではないでしょうか」吉岡が言う。
「誰の手に落ちるともしれぬ矢文なぞに、そんな重大なことを書くはずがない」
「しかし」
「そのようなことより、なぜわしより先に矢文を開いて見た」
「一刻を争うかもしれぬと、思いましたので」
睨みつけられた吉岡は引き下がるしかなかった。
「治兵衛、先ほどの矢だが、どこに刺さっていた」
「北の丸に続く帯曲輪で拾いました」
「そうか、やはり平野衆は怪しい」吉岡は疲れ切った頭で、そう思った。夜闇の中、赤松軍の火矢がこちらに向かって幾つも飛んでくるのが見える。木の焦げる臭いがする。口の中に血の味が拡がった。気づかぬうちに頬の内側を噛んでいたらしい。
夜明け前、『北の丸』から矢を送れ、との催促が来た。射尽くしたようだった。吉岡は矢を運ぶ人足のなかに治兵衛を混ぜて、『北の丸』を偵察させることにした。
戻って来た治兵衛が言う。
「たいへんです、北の丸の平野衆ですが、ほとんどが寝ています」
「なに、どういうことだ」
「さては、今夜の準備をしているものと思われます」
「なんだとぅ。皆、ついてこい」
吉岡の手下が帯曲輪を通って、『北の丸』に寄せる。治兵衛が言うように多くの兵が寝ており、弓を構えているのは二割程であった。
「おい、お前ら、なに寝ているんだ」そう言って、寝ている平野衆を蹴り飛ばして起こしてまわった。
「なにしやがる、矢が来るまでの間少し……」
起こされた平野衆と吉岡の配下とで乱闘が始まる。双方とも水と睡眠の不足で殺気立っている。
帯曲輪の方から矢が飛んできて平野衆の一人に当たる。その男は叫び声をあげて倒れた。
それを見た平野衆が太刀を抜いて吉岡達に襲い掛かった。本丸の方から、騒ぎを聞きつけた兵達が寄せてくる。
鏑矢が三本、立て続けに空に向かって放たれた。
北の尾根の赤松軍が一斉に立ち上がり、堀切を越えて、『北の丸』に寄せた。
目を覚ました宇野政秀が、陣所から城山城を仰ぎ見る。ここからでも城内で戦闘が起きているのが見て取れる。
「ついに始まったようじゃな」政秀が、陣所に立つ楯岡に言う。
「うまくいったようです」そう答える楯岡の隣には、治兵衛が立っていた。




