友禅(ゆうぜん)
『あや』が片田村に来ていた。特別な注文品の鏡の相談である。
「普通の鏡台の、鏡の左右に一枚ずつ鏡を増やして、妻戸のように左右に開くようにしてほしい、か。うんうん、三面鏡ね。これはいいわね」『あや』が注文書を読み上げる。
「それ、普通の商品にしても売れるんじゃない」『いと』が言う。
「そうね、いけそうね」
「なになに、板の部分は黒漆にして、金粉の蒔絵にしたい。蒔絵の作品は別途こちらから送るので、そちらで張り合わせてほしい、か。お金持ちね」
そういって、差出人の名前を見る。大乗院、尋尊。
「尋尊さんじゃない。お坊さんが鏡見るのかしら」『いと』が驚いたように言った。
「まあ、いいんじゃない。これは作れるから請けることにしよう。つぎ」
「御所の塗籠の間の四方の壁全面に鏡を張りたい。御所ってなによ」差出人の名前を見る。征夷大将軍、右筆。
「これって、将軍様」『いと』が言う。
「そうみたいね」
塗籠というのは、寝殿造りの建物の中で、庭などに面していない、壁で区切られた閉じた部屋である。入口は妻戸という両開きの戸になっていて、収納室や寝室にしていた。竹取物語で、月からの迎えが来た時に、かぐや姫が閉じこもった部屋である。
「壁全体に鏡って、なんなのだろう」そういって続きを読む。
「二枚の鏡を向き合わせて立てると、永遠が見える。余は永遠の中で浮遊するであろう」
「なんか、頭がくらくらしそうね。そんな大きな鏡が作れるわけないでしょ。これは却下」
将軍様の手紙は、屑籠に直行した。
片田村で紙が量産されるようになったので、裏紙を使う者はいなくなっていた。
「そういえばさあ。最近送ってくる鏡台に組み立ての説明書がついてくるわよね」『あや』が言う。
「明や琉球に送った時、組み立て方が分からないんじゃないかって、入れることにしたらしいわ」
「あれって、木版なの。なんかちょっと摺り方が木版と違うような気がしたんだけど」
「ああ、あれは謄写版って言うのよ」
「謄写版ってなに」
『いと』が『あや』を謄写版のある部屋に連れていく。彼女らがいる建物は作業棟として建てられたもので、教室程の広さの部屋が五つ廊下でつながっている。
『いと』は、襷で、袖をたくし上げる。
「墨が付くと、面倒なのよ」
そう言って、机に置かれた木の枠を見せる。枠の内側には、なにか黒い物が張ってあった。『いと』が木枠を開け、下に紙を一枚入れる。そして擂粉木を横にしたようなものを持ち、その木枠に押し付けて転がした。
木枠を再び開けると、説明書が印刷されていた。
「ほーお」『あや』が感心する。
「こうやって、版をつくるのよ」
『いと』が棚から蝋紙を取り出して、ヤスリ盤の上に置く。鉄筆で蝋紙に文字や図形を書くと、その部分が白くなる。
蝋紙の版を、別の謄写版の木枠の下の部分に取り付けて、ローラーで墨を押し付ける。
「ほらね」
「鉄筆を使った所だけ、墨が裏側に染みるのね。これ、墨じゃなくてもいいのかしら」
「さあ、この墨は細かい墨粉と荏胡麻油を練ったものだけど、なんでもできるんじゃないかしら」
「墨の付いていない、新品の謄写版って、ある」
「さあ、倉庫にあると思うけど」
「四つくらい、持ってきてほしいの。ローラーっていうの、ローラーも四つ」
「四つも、なにするの」『いと』はそう言って、笑いながら出て行った。
『あや』は部屋を回って、花柄模様の型紙、白い絹布、草木染の染料などを持ってくる。食堂に行って握り飯も一つ買ってきた。
まず、握り飯と水を鍋に入れて、糊を作る。作っている間に花柄模様をヤスリ盤の上でなぞり、蝋紙に模様の輪郭を描く。
「持ってきたわよ」『いと』と鍛冶丸が謄写版を持ってくる。
ありあわせの板の上に鍋から糊を注ぐ。それを新品のローラーで混ぜる。最初の謄写版に花柄模様の版を取り付けて、下に絹布を置く。糊を着けたローラーを転がす。
木枠を上げて、白絹の表面を斜めから見る。ナメクジが這ったあとのように光る輪郭が見えた。
「なにしているの」『いと』と鍛冶丸がのぞき込む。
「糊で、染料をせき止める仕切りを作っているのよ」『あや』が言う。
糊が乾いたところで、藍の染料を筆に付け、白絹に塗る。藍は乾燥した糊のところで止まり、きれいなリンドウの花びらの輪郭が浮かんだ。花びらの根本部分と雄蕊は薄くぼかす。
「これって、摺りでも、ぼかしができるかしら」『あや』はそう言って次の蝋紙を出してヤスリ盤に置く。
蝋紙にリンドウの茎と葉の輪郭を描き、葉に光が当たる部分の蝋を残すように軽く鉄筆を使って、ぼかしをつくる。
蝋紙の版を、また別の新しい謄写版に着けて、わずかに膠を混ぜた緑の染料で摺る。リンドウの花の下に、光を反射した茎と葉が写った。
「これ、どうするの」
「着物を染めるのよ。染物の柄って、いまは四角とか菱形のような簡単なものしかないでしょ。これだったら草木や鳥なんかの模様の染物ができるわ」
衣類には織物と染物がある。織物は、色の付いた糸を複雑に組み合わせて模様を作る。平安時代の貴族の衣装などは織物である。
染物は白い生地に型を当てて染める。型の部分は白く残る。
織物は高額になるが、染物であれば比較的安価に同じものが多数作れる。
また、染物でも、絞りを入れたり、手描きで描いたりすれば高価なもの作ることが出来る。
『あや』が試したのは、リンドウの花の部分は手描き友禅。茎と葉の部分は型友禅の技法に近い。
『あや』は残りの二台を使って多色刷りも試してみた。思い通りに染まった。
「これって、一枚の蝋紙で何枚ぐらい摺れるの」
「そうだなあ、絹で試したことはないが、紙ならば二百枚くらいは摺れる。それ以上だと蝋紙が破けることがある」鍛冶丸が言った
「ちょうどいいくらいの枚数ね」『あや』が言う。大量生産するにしても、ある程度の希少性は必要だ。




