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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順
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宗全の決断

 細川勝元は、その夜のうちに京都みやこに非常事態を宣言する。兵の外出禁止、および在京大名には翌九月六日朝に細川勝元邸に集合するようにという命令を発した。

 山名宗全と連名であった。


 翌日、細川勝元邸にあつまった大名達は、伊勢貞親を糾弾きゅうだんする連判書れんばんしょを作成し、足利義政に提出した。動向を察した貞親、季瓊真蘂きけいしんずいらはその日のうちに京都から逃走した。

 斯波義敏、赤松政則らも京都を去っていった。

 伊勢貞親の邸がおささえられた時、弾正だんじょうと呼ばれていた男が捕縛されていた。

吟味ぎんみによると、犬に酒を飲ませるときに使った椀にトリカブトの毒を塗ったとのことであった。なぜそのようなことに加担したのか、と尋ねたところ、酒宴の余興だと貞親から言われていたとのことだった。そうであれば確実に死なせるほうが良いと思い、御前に出す前に犬にフグの卵巣を食べさせておいた、とのことだった。予行よこうで、何匹かの犬にトリカブトを混ぜた水を飲ませたとき、死ななかったものがいたからだ、という。

トリカブトは採取の時期によって、毒性が異なることがある。

フグの毒が遅延性であることは知らなかったそうだ。

まさか陰謀の加担をすることになろうなど、思いもしなかったという。

 しかし、将軍義政の驚き方が尋常じんじょうではなかったので、余興ではないな、との疑いは持っていたという。

  

 九月十一日、義政が、義視を害することはない、という誓約をする。非常事態が解かれ、義視は今出川の邸に戻っていった。

 貞親、義敏の没落に伴い、斯波氏の家督と三か国守護職は、義廉に戻ることになる。


 九月十五日、河内防衛のために、畠山政長によって派遣されていた遊佐ゆさ長直ながなおが構えていた陣を、畠山義就軍が攻撃する。

 場所は現在の河南町付近だと思われる。金胎寺城の方から北上してきた義就軍は二日間の戦闘で、遊佐の陣を破る。

 この戦闘により、政長方が守る嶽山城だけやまじょうが孤立する。この嶽山城も数日のうちに義就が落とした。

 先年、義就はこの嶽山城にこもり二年四カ月持ちこたえた。それに比べればあっけない落城である。

 おそらく、同じ尾根筋の金胎寺城を既にさえていたので、それを梃子てこにして、一気に落としたものと思われる。


 義就軍は石川に沿って北上する。覚慶かくけい運河を越え、さらに大和川を下り、若江わかえ城に至る。若江城は河内における畠山氏の根城である。

 にもかかわらず、遊佐長直は、簡単にこれを放棄してしまう。


 河内国が義就の手に落ちた。


 義就は、ただちに田舎市を復活し、関所や津料を廃止した。この年に山城・大和・近江に発生していた馬借ばしゃく一揆は、河内に至ることはなかった。


 義就は、河内で一旦停止した。大和で政長派と戦う越智家栄いえひでを支援しながら、体力を蓄える。

 この時期、多くの国人、地侍が義就の基に参軍した。

 義就は、思った「かねが足らぬ」



 山名宗全は、畠山義就の勢いを見て感服した。義就、一度河内にもどるならば、目覚ましい勢いとなるであろう、とは思っていたが、これほどとはな。吉野を出て一月ひとつきほどのうちに、その軍勢は一万を上回るであろう。

 わしも、領国で、田舎市というものをやってみるかな、と宗全は思った。

 斯波義廉には義敏を、畠山政長には義就をけしかけた伊勢貞親が、義視にはなにを当てて来るであろうと思っていた宗全だった。伊勢貞親が、義視に義政をけしかけたのは、噴飯ふんぱんものであった。その話を聞いたときに、宗全は笑いが止まらなかった。こちらから仕掛けるまでもなかった。

 結局貞親は没落していった。

 さて、どうするかである。以前の問いに戻ることになる。大内の方を向くか、細川の方を向くか、である。


 先月の八月に、斯波義廉が三か国守護職を剥奪されたとき、宗全は分国の兵に上京を命じていた。それは撤回されていない。義廉も兵の上京を命じている。それらは、前後はあるものの、すでに上京していたり、途上であったり、その準備をしていたりしている。

 兵を動かすというのは、時間と莫大な費用がかかるものだからだ。

 この動員を止めることはできる。止めることは、いつでもできる。しかし、これは良い機会ではないか。宗全は考える。

 折しも、京都みやこのすぐ近くの河内に一万という軍勢が立った。義就を味方にすることができれば、数日もかからずに京都を制圧できるであろう。宗全自身の軍も集まりつつある。

 いくさを起こすのならば、短期間で決着させるのが良策である。


 いままで、宗全は細川勝元と協力してきた。それは、その方法が一番良い方法だったからだ。宗全、勝元、伊勢貞親の三強体制の時には、勝元と協力していれば優位な立場にいることが出来る。しかし貞親は去った。現在は宗全と勝元の二強である。

 勝元は兵を京都に集めようとはしていない。

 いま、ここで勝元を除けば、宗全の一強となることは間違いない。その良い機会である。宗全はそう思った。


 宗全は、義就と、宗全の娘婿むすめむこである斯波義廉に文を送った。


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