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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順
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フグとトリカブト

 堀川の支流に小川こかわという川があった。一条通の所で、堀川から分かれ、油小路沿いに北上する小さな川だった。

 川の岸で、盛りを過ぎた鈴虫が細い鳴き声をたてていた。それが止まる。

 南の方から牛車ぎっしゃが駆ける音がする。かなり急いでいるようだ。

 牛車に乗っているのは足利義視よしみだった。急いで細川勝元の邸にたどり着かなければならない。

 先ほど、将軍の足利義政から、室町第むろまちだいに来るようにという命令が義視のところにきた。なんでも義視が贈った酒に毒が入っていたので、手討ちにしてくれる、とのことだった。

 家の者が時間を稼いでいるあいだに他の門から牛車に乗って逃げだした。


 細川勝元の邸が見える。やれ、助かった、と義視が思った。


「贈った酒に毒が盛られていた、というのですか」勝元が義視に言った。

「そう、使者は申しておった」

「なぜ、酒を贈ったのですか」

「それは、伊勢殿が今宵将軍と酒宴を設けるのだが、酒など贈ればおぼえがめでたいであろう、と申すので」

「そういうことですか」そういって、家の者に命じた。

「まず、山名に次第を伝えよ。今出川殿がわしの邸におることもな。それと医者の田代道三どうさんを呼べ。室町第に来るように、とな。わしはこれからそちらに行く」


 義政は、酒が手伝っているのか、すこし乱れた様子だった。

「まず、落ち着きなされませ」勝元が言う。

「なにをいっておるか、十郎がわしのことを殺そうとしたのだぞ」

「そのようなことをなさるはずがありませぬ」

「いや、吾子あこもろとも根絶やしにするかもしれぬ、と伊勢が言っておった」

「それは、胸にしまっておきなさいませ。それよりもなぜ犬が死んだのか、調べる所からはじめなければなりません」

「なぜって、毒酒を飲んだからであろう」

「椀に毒が塗ってあったかもしれません、連れて来る前に毒を盛られていたのかもしれません」

「なぜ、そのようなことを」義政の注意がそれ、すこし落ち着いた様子だった。


 田代道三という医者が到着した。

「まず、犬のむくろと、あとなにか吐いていた、というのであれば吐いていたものをお見せください」

「たしかに吐いておった」義政が言う。

 家の者に尋ねると、犬の死骸は、裏にあるという。吐瀉物としゃぶつはすでに始末してしまったとのことだった。

「では、犬を見てまいります」そういって道三が出て行った。


 ややしばらくしてから、道三が小さな壺を二つ持って帰ってきた。

「見てまいりました。結果をお話しする前に、犬が死んだときの様子を、もうすこし詳しくお話ください」道三が勝元に言った。

「殿」勝元が義政に促す。

「そう、弾正だんじょうとよばれた男が伊勢に命じられて犬を連れてまいった。そして今出川から送られた樽を開け、わしの見ている前で、持ってきた椀に酒を一合いちごうぎ、犬の鼻面はなづらに差し出した」

「お続けください」

「犬は、のどが乾いていたのか、ずいぶん勢いよく酒をなめていた。半分程はこぼしただろうか。椀にある酒を全てなめきって、すぐにはなんともなかった」

「わしは、大丈夫ではないかといって、自分の席にもどった。そうしたら外が騒がしくなった。もういちど、外にでてみると、犬が何かを吐き出しており、苦しそうだった」

「吐き出したのですね」

「そうじゃ。それで見ていると、立っているのがつらそうになり、やがて横倒しになり、四肢ししをふるわせた」

「足が痙攣けいれんしていた、ということですね」

「そうじゃ」

「で、あっという間に死んでしまいよった」

「そうですか。わかりました。では、ご説明いたしましょう」


「まず、犬の胃袋くそわたからは、フグの卵巣まこが出てきました」道三が一つの壺を開け、その中身をはしでつまみ上げた。

「乾燥させた卵巣を水でもどしたものです、おそらく犬の喉が渇くように、濃い塩水でもどしたのでしょう」

「フグの卵巣、というと毒ではないか」

「はい。胃袋からは、酒も出てきました。これはもう一つの壺に入っています」

「うむ」

「この酒を少しばかり、他の犬に飲ませたら、やはり痙攣を起こし、すぐに死にました」

「酒にも毒があったのか。どういうことだ」


「まず、フグに当たった場合には、毒が回るまで時間がかかります。そうですね、およそ一刻(二時間)の四分の一ほどの時間がかかります」

「そうなのか」

「それと、フグの毒の場合、嘔吐おうとや痙攣はおこしませぬ。なんともうしあげましょうか、むしろ逆で、筋肉ししが動かぬようになります」

「あのときの犬の様子とは異なるな」義政が言った。

「医者でなければ、知らないようなことでございます」

「確かに、死ぬことは知っておるが、死に様までは知らぬわい」

「嘔吐や痙攣をおこす毒は、トリカブトです」

「トリカブトか」義政と勝元が言った。

「酒に入っていたのか、椀に塗っておいたのかは、いまとなっては断定できませんが、直接の死因は酒に混ぜられたトリカブトです。先ほどのご説明だと、弾正というものが、御前に出る前に、椀に塗っておいたのでしょうね」

「では、なぜフグの卵巣を犬に食わせたのか」

「わかりませんが、確実に犬が死ぬように、食わせたのかもしれません。あるいはトリカブトの量に自信がなかったのかもしれません」


「今出川殿が贈ってきた酒樽は、どうなりました」

「はて、どうなったか」

「わかりませぬか」

「うーん、動転しておったからのう」

「酒樽ならば、今出川殿謀反むほんの確かな証拠じゃ、と申されまして、伊勢様がお持ち帰りになりました」脇の者が言った。

「もう、樽にはトリカブトが混ぜられておるであろうな」勝元が言う。

「おそらく、そうでしょう」

「謀ったのは、伊勢の方だったのじゃな」義政が言った。


「弾正とかいう、伊勢の手下を捕らえなければならない。なんとしても吐かせてやろう」勝元が言った。

「いえ、その必要はありません。フグの卵巣が犬の胃から出てきたことだけで、十分な証拠になります。殿を謀り、今出川殿に毒殺の疑いをかけたことについての」


「急ぎ、主だった大名に顛末てんまつを知らせなければならぬ、右筆ゆうひつを幾人か呼んでまいれ」勝元が控えている者に命じた。


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