女猿楽(おんなさるがく)
年が明けて、寛正七年(一四六六年)年の二月になる。改元はこの月の末に行われるので、まだ寛正である。室町の花の御所で、義政は女猿楽を演じさせることにした。
席には義政、富子、乳母に抱かれた後の義尚、伊勢貞親、赤松政則などが並ぶ。
僧である季瓊真蘂までもがいた。当時、僧は女猿楽を見るものではないとされていた。しかし、この時の女猿楽は、季瓊が手配したものであった。
八条堀川で勧進していた越前の女猿楽を、評判がよいので招くことにした、と季瓊は言っていたが。実は越前の隣国、加賀の者達であった。
赤松氏は、永享年間(一四三〇年頃)から、この女猿楽一座を支援していた。
赤松満祐が将軍足利義教を暗殺した嘉吉の乱で、赤松が没落していたときには縁が絶えていたが、加賀半国の守護に返り咲いたので、改めて領地に一座を呼び、ふたたび支援することにしていた。
季瓊は赤松氏の支族の上月氏の出身である。
さらには、観世太夫も、末席に呼ばれていた。
伊勢貞親が、義政にささやく。
「斯波の件の仕置、お決めなされましたか」
この場合、仕置といっても刑罰という意味ではない、家督の交代のことである。
伊勢貞親ら、義政の側近は斯波氏の家督を義廉から義敏に戻そうとしていた。
側近たちの、この時点での仮想敵は細川と山名である。斯波義廉は、山名宗全に通じ、その婿となった。最近では畠山義就と宗全との間を接近させようとしていた。排除しなければならない、と彼らは思った。
義敏は周防の大内氏のところに逼塞していたので、畠山や細川とのつながりは少ない。
女猿楽一座が赤松氏ゆかりのものたちであったのも、この席に赤松政則がいるのも理由がある。赤松氏を取り立て、赤松氏の旧領、播磨国を山名氏から取り戻し、山名氏を弱体化することをねらっているのだ。
「わかっておる、そちたちの言う通りにする。折を見て、じゃが」義政が言った。
彼らの前に木を組んだ四角い造り物が置かれる。造り物を上には紙で作った薄が立っている。演目は『井筒』である。
井筒の話は以下のようなものである。
諸国放浪の僧が奈良の七大寺を参ったあとに、初瀬に向かおうとしていたところ、今の天理市のあたりで在原寺というところに立ち寄る。この地で幼馴染の頃から一緒に育ち、やがて夫婦となる在原業平と紀有常の娘を偲んでいると、女があらわれる。僧が寺に縁のある者なのかと尋ねると、ただの近所に住む里の女である、という。
しかし、女は昔のことを語りはじめる。
幼馴染の二人は井戸の筒に傷をつけて背比べをしていた。それがいつしか大人になり、男は言う。
「昔、井筒で計った僕の身長は、君が見ていない間にすっかり育ってしまいました」
そうして二人は夫婦となる。里の女が、実は自分は紀有常の娘である、と告白して去る。
夜も更けるころ、さきほどの女が、業平の形見の冠と直衣という男装であらわれる。女は業平への思いを舞いに込める。やがて井戸の水に自分の姿を映して、そこに業平の面影を見る。
夜が明け初め、女は姿を消し、僧は夢から覚める。
というのがあらすじである。
ワキ役の僧が現れる。僧も女性である。角帽子という帽子をかぶっていて、僧らしい落ち着いた服装である。囃子は男性たちが行っている。
「これは諸国一見の僧にて候。われこの程は南都七堂に参りて候。またこれより初瀬に参らばやと存じ候」
女性の声であるのが、おもしろい。
シテ役の里の女が現れる。客席がどよめいた。面をつけていない。白粉と紅をつけているだけである。
この当時の女猿楽では、演者は美男鬘を頭にかぶっていた。今では狂言で女性役の男がつける鬘であるが、当時は女性の芸能者がつけていた。長い布を頭で巻き、両側を左右に長く膝のところあたりまで垂らすものである。
ところがこの女能役者は、髪を高く結い上げていた。髷からは幾つもの短い房が拡がっている。『あや』の結い方だった。美男鬘などの布はない。
さらに衿の背中の部分を大きく広げ、魅力的なうなじをすべて見せていた。
「これは」
「まさに、僧の修行の妨げじゃ」そう言って貞親が季瓊を見る。
「暁ごとの閼伽の水、暁ごとの閼伽の水、月も心や澄ますらん」
凛とした女の声だった。
里の女が二人の馴れ初めから、夫婦になるまでを語り、我は有常の娘であると告白して舞台から去る。
狂言方が業平と娘の二人を弔うことを勧める。
シテ役が再度現れる。今度は男装している。冠と直衣姿で、髷は一つにまとめていた。男の髷のようであったが、後ろ衿は同様に広く開いていた。男のようでもあり、女のようでもあった。
「筒井筒、井筒にかけし」地謡
「まろが丈」シテ
「生ひにけらしな」地謡
「老いにけるぞや」シテ
「さながら見見えし、昔男の、冠直衣は、女とも見えず、男なりけり、業平の面影」地謡
男装のシテの女が井筒をのぞき込み、水面に映る自らの顔を見る。
「見れば、なつかしや」シテ
「これは、いい。女の猿楽は、男の猿楽とは異なった良さがある」義政が言う
「たしかに、柔らかさがありますね」富子が答えた。
「僧の身では、どうだった」貞親が季瓊に尋ねる。
「妖艶というものでしょうか」
顔を赤らめている赤松政則に問いかけるものはいなかった。まだ数えで十一である。
「これは、次は『松風』なども、見てみたいものじゃな」義政が〆(しめ)た。




