一基二百文
「なぜ、そんなことになった。まるであべこべではないか」細川勝元が、子飼いの薬師寺元長を怒鳴りつけた。元長は、後に摂津国の守護代になる切れ者である。
「は、それが」
「わしは、鏡台を独占して、大内に取られぬようにせよ、と命令したはずだ」
「それは、おおせのとおりでございます」
「経緯を話せ」
「はい、独占するためには、名分がなければ、なりませぬ」
「それは、そうであろうな」
「で、開き入札を開き、不当に価格をつりあげているのは、けしからんといたしました」
「シイタケでもやっておるではないか。が、まあいい」
「けしからんので、すべて一旦代官所で購入し、価格を安定化する、としました」
「暴騰しているので価格統制する、としたのじゃな。それで」
「片田商店に対して、鏡台をすべて一基二百文で購入するので、代官所に納めるように、と片田本人を呼びつけて通達いたしました」
「なんで二百文なんだ」
「京都で売り出した時の定価を、苦労して調べ上げたようです」
「それは、わかるが、高騰しているのであろう。高く買い入れてやれば片田も従ったであろうに」
「なるべく安く仕入れれば、殿の覚えがめでたくなるであろうと」
「小役人のような根性じゃな。それでどうなった」
「片田商店は、摂津国にある本支店での鏡台販売を停止しました。開き入札をやらなければいいんであろう、という不遜な態度であります」
「お前の感想はいらぬ。それで博多でのみ開き入札を続ける、としたのじゃな」
「はい」
「で、どうした」
「鏡台の荷は大和の片田村から堺に到来して博多に送られるものですから、堺と運河の間に関を設けて荷改めを行いました。鏡台はすべて二百文にて買い上げました」
「どうしても二百文だったのか」
「はい、しかし関を設けて強制買上を行うのはさすがに多少無理があると思いました。世間に対してもあからさまになります」
「うむ」
「そこで鏡には魔性が宿ることが分かった、従って祓わなければならない、といたしました」
「たしかに、魔性が宿るというのは、ありそうなことじゃ。わしの姪どもは最近遊女のように髪をあげて歩き回っておる。はしたないことじゃ」
「はい、そこで離宮八幡と相談し、祓うことによって魔性を取り除く、といたしました。鏡座を設け、離宮八幡で祓い済みの鏡台を専売する。これなら形が整っているであろうし、強制買上する理由にもなる、と」
「しかし、八幡を巻き込んだことにより、引くに引けなくなったともいえる」
「当時は、よい考えだと思いました」
「姪どもは、『うちの鏡は、祓っていない魔性の野良鏡なのよ』とか言ってキャアキャア笑っておる。ノラ猫並みの扱いじゃ。畏れを知らぬやつらじゃ。それでどうなった」
「あるときから、パタリと鏡台の荷が止まりました。淀川の方も調べてみましたが、まったく鏡台が流通しなくなりました」
「しかし、博多では毎日のように鏡台の開き入札がおこなわれておる」
「おおせのとおりで」
勝元が唸った。
百姓と商人とでは、因って立つところが異なる。それを彼らはわかっていなかった。よほどのことがないかぎり百姓は土地を離れることができない。荒れ地を開墾し、石や岩をとりのぞき、水を引いてくる。農地とするまでに多大な労力を必要とするからだ。しかし商人は拠点移動の自由がある。堺で商いができなければ、博多で売ればいい。
また、商人、特に貿易商人は移動経路の自由を持つ。片田村から博多に商品を移動させるのには複数の経路がある。費用と時間と法律の制約の中で、どの経路を選ぶかは商人の自由であった。
「とにかく関係を立て直さなければいけない」勝元が言った。
「はい」
「お前の名は、片田に知られておるのか」
「いえ、表に立っているのは堺の代官だけです」
「代官の名はなんという」
「八木主水介と言います」
「そうか、ではそのヘチマ頭野郎を辞めさせて、あたらしい代官を立てよう。八木といえば淡路だな、島に帰してしまえ」
ヘチマというのは、前回の遣明船で到来した植物で、食用になり、化粧水や漢方薬にもなり、タワシのように食器を洗うためにも使える便利なものである。最近、京都でもヘチマの栽培が流行っている。
「お前と、新代官とで、片田を代官所に呼び出し、いままでのことは、すべてヘチマ野郎の一存であって、すべて撤回する、商売も開き入札でも好きにやってよい、といってやれ」
「承知いたしました。離宮八幡の鏡座の方は、いかがいたしましょう」
「それは、お前が図ったことであるから、お前が八幡に詫びをいれるしかないであろう。世間的には、日本国すべての鏡の魔性を未来永劫まで祓う大祈祷をおこなったとか、なんとか言えば収まるじゃろ。祈祷の費用は自分で出すのだぞ」
「もうしわけございませんでした」
「そんなところかの、言い残したことはあるか」
「ひとつ、ございます」
「なんだ」
「八木主水介から報告がございます。鏡台八十基を、一基わずか二百文にて入手いたしました」
主水介からは『わずか』のところをぜひ強調してほしい、と頼まれていた。




