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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順
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ニューギニアの川辺にて

 ニューギニア東部の山中。

U字形に蛇行する無名の川の外側斜面に二百名程の日本兵が配置されている。


 川は北西から南東に向かって流れている。北西の上流側数キロメートルのところには、五十一師団を中心とした約八千名の日本軍部隊がおり、南西の下流側には数日前に日本軍が失ったラエの街がある。

 日本軍は北のサラワケット山系を越えて北岸のキアリの日本軍に合流しようとしていた。


 ラエを脱出した日本軍は、下流の平地でボス川に架かる橋を北へ渡ろうとしたが、東よりオーストラリア軍が攻めてきたため渡河を断念し、現在いる沢を登り、山中でボス川を北へ渡河しようと試みることにした。


 渡河予定点には橋がないため、工兵による架橋工作が必要であり、時間を要す。一方でラエ方面からオーストラリア軍が追撃してくる可能性がある。

 そこで日本軍は渡河地点の下流で、川に沿って布陣し、追撃してくるオーストラリア軍を排除しようとしていた。


「片田少尉殿、オーストラリヤの奴ら、来ますかねぇ」

 かたわらで擲弾てきだんを並べている平井兵長がささやくように言った。

「さあ、どうだろう」

「奴ら、たくさん来ますかね」

「……それほどでもないだろう。士官学校の歩兵科の教師が言っていたんだが、欧米の奴らは、戦略目標の攻撃や拠点防衛ではしぶといが、遭遇戦や追撃戦ではあまり積極的ではないそうだ。日本軍は深追いしすぎるのが欠点だと言っていた」

「へぇ。あっしのことを言われているようだ」

 二人はニヤリと笑った。片田少尉は、陸軍士官学校を昭和十七年に卒業し、少尉任官して部隊付きとなったばかりだ。平井兵長は師団とともに満州、華南と進出。香港の戦いに参加した後にニューギニアに来ている。経験も年齢も平井の方が上だ。


 二人とも野砲兵第十四連隊配属ということになっているが、ラエ・サラモアの敗北の後であり、敗残兵の寄せ集めだ。今は片田砲兵少尉が擲弾筒てきだんとうを持ち、平井兵長が擲弾の補充役として脇に控えている。

 彼らの眼下には川がU字型に流れており、その向こうは砂州となっている。日本兵は川が削った外側斜面の中ほどに配置しており、小銃や、機関銃を構えて、下の川沿いを上ってくるオーストラリア兵を待ち構えている。


挿絵(By みてみん)



 片田が前方に差し出している擲弾筒の先端を眺めていると、そこに青い蝶が止まった。

 青や緑の金属のような鱗粉りんぷんが黒い縁取りの間で輝いている。子供の頃に鉱物図鑑で見た孔雀石やラピスラズリを粉末にしたようだな、と片田は思った。蝶は大きな羽根をふわりふわりと動かしたり、じっと立てたりしていた。


 しばらく止まっていた蝶が気配に驚いたように舞い上がった。

 左側の下流の湾曲地点にオーストラリア兵が現れた。警戒しながら徒歩で川を横切り、対岸の砂州に上陸した。


 片田は旅団長の有馬大佐の方を見た。有馬大佐は白い二本の旗を水平に拡げた。まだ待て、ということだ。オーストラリア兵は続々と対岸の砂州に上陸し、腰ほどの高さの草原を避けて川沿いに片田の前を横切って行った。片田はまた有馬大佐の方を見た。まだだ。オーストラリア兵は百名ほどにもなったろうか、砂州を横切り、右側の湾曲点に達し、また川を渡ろうとしていた。


 その時、有馬大佐が左の腕を水平に保ったまま右腕を上げ、前に振り下ろした。

 右側の湾曲点に仕掛けていた爆薬の電気信管が発火して、轟音とともに爆発した。同時に最右翼に配置されていた九九式軽機関銃が断続的に射撃音を響かせた。

 水面が弾け、先頭のオーストラリア兵が何名か倒れた。

 対岸の多くのオーストラリア兵の歩みが止まった。有馬大佐は両方の腕を上にあげ、二本の白い旗を同時に前に差し出した。


 全戦列の小銃が火を噴いた。

 平井兵長が片田少尉に合図し、擲弾を一つ手渡した。片田少尉はそれを筒の先端から中に入れた。

「四十五度ですよ、少尉」

「わかっている」

 擲弾筒をあらかじめ四十五度くらいと定めていた石に立てかけて、引き金を引く。爆発音とともに弾が放物線を描いて飛んでいく。擲弾って目に見えるもんなんだな、と片田は思った。弾はオーストラリア兵を飛び越して、奥の草地に落ちた。行き過ぎた。片田は次の擲弾を装着して、先程より上向きに筒を構えた。


「違いますよ、少尉殿」

「ん」

「距離を縮めるには、引き金の所のつまみを回して筒を下げるんでさ」

 片田はこの八九式重擲弾筒を渡されたときに受けた説明を思い出した。

「そうだったな」

 今度は、うまく砂州のオーストラリア兵の間に着弾し、二名ほどが倒れた。

「どんどんいきましょうや」


 そうしている内に砂州のオーストラリア兵は、二名、三名と倒れていき、残った者たちは射線から逃げるように砂州の向こうの草地に逃げていく。彼らは弾幕から逃げているつもりだが、彼らの逃げる方向には有馬大佐が設けた全滅点があった。

 大佐がこの湾曲部を選んだのは砂州の先が密林ではなく草原だったからだ。U字型の日本軍戦列から逃げたオーストラリア兵の向かう先は凹型に布陣した全日本兵の射線が集中するところだった。オーストラリア兵は全滅点で折り重なるように倒れていき、やがて静かになった。


「射撃停止」

 有馬大佐が叫んだ。大佐の脇にいたラッパ兵が低い音で、それを全軍に伝えた。射撃音が止んだ。

 少ない銃弾で、いま望む最大の戦果を挙げただろうと、戦闘に参加した誰もが思った。


「転針準備、準備が出来次第各自河床まで降下」副官役の少佐が叫んだ。

片田たちは、擲弾を背嚢はいのうに納めたりして移動の準備をした。立ち上がったところで、片田は立ち眩み(くら)を起こして膝をついた。

「少尉殿、大丈夫ですか」平井兵長が心配そうに声をかけた。

「ああ、大丈夫だ、ちょっと立ち眩みを起こしただけだ」そういって片田は立ち上がった。


 川岸まで下りてみると、先ほどの少佐と有馬大佐が話していた。

「お見事な指揮でありました」

「いや、わしの家は瀬戸内の網元でな、さきほどのは、船をまとめて網を寄せるときの要領でやってみたまでだ」

 大佐は、まんざらでもない様子だった。次の瞬間、有馬大佐の頭半分が吹き飛んだ。


「狙撃兵だ、全員川上に向かって走れ」

 少佐が叫んだ。片田は頭の中が真っ白になったようだった。

「はやく行きましょうや、少尉」

 平井に促された片田は、ふらふらと従った。

「それにしても、弾が当たってあんなに弾けるのははじめてでさあ。なにがあったんでしょう」

「あ、あぁ、あれはソフトポイントだろう。弾丸が体内に入ると破裂……」

 まだ頭がはっきりしない片田は場違いな講釈を口走った。


「その通りだ」

 全員が避退開始するのを確認した少佐が追い付いてきて片田に言った。

「しっかりしろ、もっと走るんだ。敵の狙撃兵は優秀らしい。おそらく俺やおまえのような将校を狙ってくるだろう。敵は足場の悪い斜面にいるはずだから、射程外に出てしまえば追ってくるのは容易ではない。さあ、走るんだ」

 少佐の言葉で、片田の頭に論理性が戻ってきた。そうだ。ほんの数百メートル走るだけで、射程外にでられるはずだ。片田は走り始めた。


 五歩ほど走ったところ、涸れた河床の石が左の頬に激しくぶつかった。片田は何がおこったのかわからなかった。となりで平井兵長がなにかわめいているが、何を言っているのかもわからない。

 片田は、ああ、撃たれたんだ、と気づいた。だんだん下半身の痛みが強くなってきた。視覚が戻ってくる。


「兵長、あきらめろ、お前までやられるぞ、走れ」少佐が叫んだ。その少佐の頭が破裂した。

 平井兵長が、両腕をつかんで引きずっていこうとしているのを片田は感じた。

”平井さん、逃げてください。どうせこの足では、山越えができない”片田はそう言いたかった。

 平井兵長が両手を放してのけ反った。そのままあおむけに倒れる。

”平井さんまでやられてしまった”


 気を取られるものが無くなって、痛みが猛烈に強くなった。耐えられず悶えた。いっそのこと狙撃兵がとどめをさしてくれないだろうか、そんなことも思った。

 しばらくすると、出血のせいだろうか、頭に霞がかかったようになって、痛みが遠のいてきた。死ぬのかな、と片田は思った。意識を失った。




 夜になっていた。いつのまにか仰向けになっていた。蛍だろうか、光るものが無数に飛んでいる。その先にさらに多くの星が輝いていた。またたかない赤い星があった。”火星かな”片田は思った。その時彼の魂が無数の光の粒となって肉体から離れた。


 光の群れはちょっと浮き上がって自分の肉体を見下ろした。つぎに空を見上げ、すばやく上昇を始めた。自分の意思で動いているのではない。

 どんどん速度が増していく。速度とともに周囲の星々が尾を引くようになっていく。前の方の星が青みを帯び、後方の星は赤くなっていった。片田の進む先が紫色の滝のようになり、やがて何も見えなくなった。


 片田の姿が、光る槍の形になり、やがてどこかとてつもなく狭いところを通り過ぎたような気がした。そこをすぎたあとには、また光の群れが広がっていく。


一か所、会話の所で「オーストラリヤ」としていますが、

当時の口語として用いたもので、誤字ではありません。

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― 新着の感想 ―
[一言] 補給を断たれた軍は本当に悲惨です……。
[気になる点] 昔だと強調したいのかも知れないけど、わざと 昔言葉にしていて読みにくい。
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