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熱砂のアリシア  作者: 京衛武百十
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6日目・午前(アリシア破損)

私は思わず声を荒げていた。そして殆ど無意識のうちに彼女の前に立ち、右手を大きく振り上げていた。まるで、聞き分けのない子供に平手を打とうとしている親のように。そんな私に、アリシアは微笑みながら言う。


「千堂様。今の私には、数多くのバグが発生しています。先程も申し上げました通り、現在の私が正常でないことは誰の目にも明らかでしょう。メモリーのメンテナンス。あるいは初期化が必要です」


自分に向けられた感情に対する彼女のその言い草に、振り上げた右手が更に力を溜める。それでもアリシアは言うのだった。


「…千堂様。私はロボットです。私を殴打すれば、千堂様がお怪我をしてしまいます。もし、私のことがお気に召さないのでしたら、一言、『全機能初期化』とお命じください。そうすれば私のメモリーは初期化され、再び起動していただくまで私はただのオブジェになります」


その言葉が、私を打ちのめす。それが出来るなら、とうの昔にやっている。私の全身から力が失われ、振り上げた右手は力なく垂れ下がった。


彼女が蓄積したデータは非常に貴重なものだ。それをみすみす失うことは、JAPAN-2(ジャパンセカンド)のロボティクス部門役員としての私にとっては会社に損害を与えるに等しい愚行だった。そんなことを私が行えるわけがない。にも拘らず彼女は、勝てる見込みもない戦闘にみすみす送り出すか、初期化してデータを消してしまうかを選べと言う。有り得ない。こんな選択は有り得ない。


なら、私はどうするべきか…?。


残念ながらこの時の私には良い考えが浮かんでこなかった。だからつい言ってしまったのだ。


「…分かった。だが、私も同行する。そうすればお前は私を守る為に無謀なことは出来ないだろう。お前も私と一緒に帰るんだ」


私のその言葉に、アリシアは一瞬悲しそうな眼をし、その後で言った。


「承知しました。ここで議論をしている時間もありません。それでは向かいましょう」


私は運転席に戻り、車両を走らせた。次は東だ。少なく見積もっても二機のフライングタートルが待ち構えてる筈だ。私達が生き延びられる可能性は限りなく低い。だがこの時の私は、アリシアを連れ帰れないのならそれでも構わないという気持ちになっていたのも事実だった。


アリシアの貴重なデータを持ち帰ることで会社の利益にと考える一方で、彼女と一緒でなければ生き延びられなくてもいいなどという異常な思考をしていることに、気付いているようで気付いていなかったように思う。そのことを改めて考える余裕もなかった。


町の外周を回り込むと、黒い点が空中に浮かんでいるのが見えた。数は二つ。やはり二機で待ち伏せているのかも知れない。何本もの煙が上がっているのも見える。攻撃を受けた車両が多かったようだ。


「有効射程まであと300…200…」


アリシアのカウントダウンが始まる。もういつ、発砲してきてもおかしくない。だが、先手を取ったのはアリシアだった。従えたフライングタートルに先に撃たせる。しかし有効射程外ということもあり、命中しなかった。だがそのまま射撃を続けることで誤差を修正、一機に命中させた。


だがそれまでだった。残った一機が急速に間合いを詰め、有効射程内に入った瞬間に発砲したのだろう。こちらのフライングタートルの機首部分が煙に包まれ、破壊されていく様子が見えた。その瞬間だった。アリシアが思いがけない行動に出たのだ。彼女は私が運転していた車両のスイッチを切り、鍵を抜いて握り潰してしまった。それと同時に、車両に固定されていなかった方の重機関銃を掴み、大きくジャンプした。私の乗る車両から離れつつ、空中で重機関銃を斉射。もちろんこの距離で12.7㎜程度のそれでは装甲ヘリにダメージなど与えられる訳もない。彼女の狙いが、自分が戦闘力を有した優先的に対処すべき目標であると認識させることにあるのだというのはすぐに分かった。


着地と同時にすさまじいスピードで走りながら重機関銃を撃ち続け私から離れていくアリシアを、私は目で追うことしかできなかった。抵抗の大きい荒地では車両はすぐに失速し、完全に停止してしまう。私も重機関銃で援護しようと思ったが、いつの間にか弾帯が外されていた。彼女が、今使っているものに連結し直したのだろう。


アリシアによる重機関銃の斉射をものともせず、フライングタートルがアヴェンジャーを撃つ。しかし、アリシアの機敏な動きは追い切れないでいた。とは言え、彼女の火力不足は致命的であり、ジリ貧なのは変わりない。唯一の救いは、彼女の動きがフライングタートルの予測射撃さえ上回っているという点だけだった。彼女はもしかして、躱し続けることで弾切れを狙っているのだろうか。


ここで、チェーンガンで最初のフライングタートルのセンサーを破壊したように着弾を一点に集中させられればあるいはとも思う。だが我が社のチェーンガンとは違い、恐らく模造品であろう粗雑な作りの重機関銃では発射の度に弾道がずれ、さすがのアリシアでも着弾を集中させるということは不可能なようだった。


やがて弾丸も尽きたのであろう重機関銃を放り出し、ハンドガンと最後の一丁となったサブマシンガンを撃ち続け、アリシアはなおもフライングタートルに無駄弾を使わせ続けた。


だがその時、フライングタートルの機体を、光のような火花のような何かが貫くのを私は見た。その衝撃によるものか、機体がガクンと弾けるように揺らいだ。そしてそれは、フライングタートルの予測射撃を上回る予測と俊敏さで躱し続けていたアリシアにとっても予測できないものであった。それまで確実に躱し続けていた彼女が、一瞬、火花に包まれるのが見えた。


「アリシア!」


私は叫んでいた。その瞬間、フライングタートルの機体を再び光が貫いた。しかしそれは、明らかにアリシアの攻撃によるものではなかった。走り抜けた光の角度から見て、町の方から放たれたものだと思われた。そして私はそれに心当たりがあった。トールハンマーだ。武装集団がまた、トールハンマーを使ったのだ。以前、奴らが使ったとき、アリシアの視界を通じていくつものそれがトラックの荷台に積まれていたのを思い出した。奴らは再びそれを使ったのだろう。ゲリラ掃討を名目に町を消し去るつもりだった軍は、すぐに彼らを壊滅させずに泳がせていたのかも知れない。


が、私にとっては今はそれどころではなかった。


地面に落ちて横倒しになったフライングタートルを横目に私は走り、彼女のところへと駆け寄った。そして見てしまった。顔の右半分が抉り取られ、左腕を失い、右足の膝から下のフレームが剥き出しになった彼女の姿を。


「アリシア…」


声を掛けようとした私の視線から逃れるように顔を背けた彼女は、そのまま町の方に向かって走り出し、優に三メートルはある壁を飛び越えて、私の前から姿を消してしまった。アリシア2234-LMNは、四肢の何本かが失われても動く盾としての能力が大きく低下しないように設計されている。彼女が見せたのは、その設計の優秀さを実に端的に証明してみせる、商品を提供する側にとってはこの上なく素晴らしいパフォーマンスだった。だが、そんなことは今はどうでもいい。


私は焦った。何とも言えない気持ちに支配され、ほぼ考えもなく町の出入り口へと向かって走り出していた。自分に壁を飛び越える能力がない以上、そうするしかなかった。町の中へと消えた彼女を求めて。


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