6日目・早朝(アリシアの情動)
充電の為にじっとしているアリシアではあったが、時折、その視線が宙を泳ぐのが見えた。本来のアリシアシリーズなら有り得ない動きだった。見れば、アリシアの正面に鏡があった。その鏡を時々見ては目を伏せ、所在無げに視線を泳がせるのだった。
私は、その反応に心当たりがあった。照明の下ではっきりと鏡に映っている、砂まみれで、ウイッグはぼさぼさに絡まり、滑らかで美しかった肌には痣のような変色がある自らの姿を、嫌でも思い知らされているのだろう。彼女は、そんな自分の姿を『恥ずかしい』と思っているのに違いなかった。
「アリシア、気にしてはいけない。お前は自らの役目を忠実に果たしてるからこそ、そんな姿になったんだ。私は今のお前のその姿こそ美しいと思う」
アリシアの目を真っすぐに見詰め、火星での公用語である英語ではなく日本語で、私はそう言った。クラヒに悟られないようにだ。
するとアリシアはまた、ハッと私と見詰め、深々と頭を下げた。そして今度のそれは、さっきよりもずっと長かった。そこに彼女の気持ちが込められているのだと感じた。
単なるロボット相手に何をしてるのだろうかと、自分でも思う。しかし今の彼女は確かに、本来のアリシアシリーズでは有り得ない<情動>を再現しているのだ。分かりやすく言えば、感情と呼べるものがあるのだと思う。だが本来の彼女から見ればそれは単なるバグにしか過ぎない。彼女のメモリーに偏在する大量の断片化したファイルが合理的な思考を妨げ、揺らぎを作り出しているだけなのだろう。
論理的に見ればそれだけのものでしかないのだが、その彼女が見せる反応や仕草は、人間の女性のそれと区別がつかなかった。少なくとも私にとってはそうだった。だから私は、そういうものを蔑ろにしようという気分にはなれなかったのだ。それだけの話である。
ただ、そういう私も、ついこの前まではそんな彼女のことを、おぞましいとか不気味だとか思ってしまっていたのだが。だから今のこの気持ちは、それに対する贖罪の意味もあるかも知れない。
「俺はこれから一眠りするからよ。充電終わったら後は勝手にしな」
タブレットで何か作業していたクラヒが不意にそう言って、居住スペースらしきところに入り、鍵を掛けてしまった。私のような余所者を一人にしておいても大丈夫なくらい、この事務所には貴重品の類はないのだろう。それに、無線充電コンテナに立てられた彼のレイバーギアが番犬代わりになってくれるということだろうし。しかも、レイバーギアを立たせてはいるもののコンテナ自体は明らかに充電モードにはなっていない。やはり碌でもない仕掛けがされていたということだろうな。
しかし、もたれることも憚られるような椅子では寛ぎようもない。アリシアに充電状況について訊いてみる。
「どれくらい充電出来た?」
私の問いに彼女は静かに応える。
「50%まで回復しました。充電完了まで残り約18時間です」
そうか…。まあ、バッテリーの予備はあるから別に充電自体はどうでもよかったのだ。私自身が落ち着く為の時間が欲しかったというのが一番の理由だからな。
それにしても、これからどうするべきか…。状況は絶望的だ。火星での私の基盤は失われ、賞金を懸けられ命を狙われている。普通に考えれば死が待っているとしか思えないこの状況でも、私は不思議と冷静だった。何故かは分からないが、何とかなるんじゃないかという楽観的な気分すらあった。
確かに本社で起こったクーデターを知った時には動揺もしたが、私はここまで生き延びたじゃないか。CSK-305とアリシアのおかげとは言え、今から考えればそれほど追い詰められることもなく乗り切ってきた。CSK-305はもうないが、アリシアがいればこれからも何となかる気がする。それほどまでに彼女の能力は素晴らしかった。
それが、極限状態に置かれた人間が時折陥るという、根拠のない楽天的な錯覚ではないという確証は私にはないが、いくら狼狽えてみたところで事態が好転する訳でもないのなら、悲観的になるより楽観的でいた方が精神的にも楽だ。
その時、私はふと、思い立ったことがあった。ここはジャンク屋なのだから、何か使えるものが手に入るかも知れない。
「クラヒ、君のところの商品を見たいんだが、構わないかな?。物によっては売ってもらいたいんだが」
さすがにさっき部屋に入ったばかりだろうからまだ寝てないだろうと思って声を掛けてみる。
「あ~、いいぜ、要るものがあったら持ってきな。一個100M$均一だ」
100M$均一とは随分といい加減だな。と言うことは、今のところほぼそれこそゴミのようなものしか残されてないということか。だがまあいい、外が明るくなってきて私にも探しやすくなったし、気温が上がってくる前に見繕ってくるか。
念の為、充電は途中だったがアリシアにもついてきてもらう。そしてバックヤードに出たものの、なるほどこれは本当にゴミの山だ。到底使えそうもないものしかない。ただ、思った以上にレイバーギアやランドギアの部品と思しきものが散見された。これならお目当ての物もあるかも知れない。
と、探し出した私は、早速、見付けてしまったのだった。我が社のレイバーギアのスクラップを。殆ど部品取りされて原形すら残ってないが、私には分かる。それの背面を覗き込むと、あった。バッテリーのソケットがまだ残されていた。よし、これさえあればアリシアの電源を落とさなくてもバッテリーの交換ができる。スリープモードにすれば内臓電池によってメモリーの状態を維持したまま電源を落とせるが、起動にまた数分の時間が掛かってしまうのだ。今はその僅かな時間が命取りになる危険性があるからな。
幸い、レイバーギアに内蔵された非常用工具も残されていた。これはちゃんと取扱説明書を見た人間でないと見付けにくい場所に収納されてるから、取扱説明書など碌に見たこともないであろう連中が気付かなくても無理はない。もっとも、メイトギアやレイバーギアを新品で買えるような人間も、そっちはそっちで修理もメンテナンスも人任せだろうから、非常用工具など触ったこともない人間が殆どだろうが。
とにかくソケットの中古と非常用工具を手に入れた私は、早速、クラヒの事務所に戻って自分が改造した部分の復元を始めた。非常用とは言え今度はちゃんとした工具があるから作業は簡単だった。まずは、取り外した予備のソケット部分に中古のソケットを取り付けて、そこに互換性のあるCSK-305用の予備のバッテリーを繋ぎ、念の為にアリシアに通電チェックをしてもらった後で回線を切り替え、今度は無理矢理繋いだ自家用ジェットの内装品用のバッテリーを取り外す。
見ればやはり無理が祟ったのか、内装品用のバッテリーに繋げられるように改造したソケットに少し焼けている部分があった。それらを取り除き本来のソケットに戻し、もう一つの予備バッテリーもそこに繋いだ。これでもう、標準モードでなら2000時間近く、アリシアは充電なしで稼働出来る筈だ。
「どうだ調子は?」
彼女に声を掛ける。
「はい、私用の純正品ではありませんが、軍用の高品質なバッテリーのおかげで私の調子も良くなった気がします」
おいおい、それはジョークのつもりか?
表情筋は動かせないが目の表情が違うだけでも本当に嬉しそうに微笑んだように見える彼女に、私は思わず苦笑いを浮かべていたのであった。




