5日目・深夜(カルクラ潜入)
「もうすぐ町に入るぜ」
クラヒの声に私は、
「アリシア、何か反応はあるか?」
と彼女に訊いてみる。しかし、
「脅威は確認できません。町中にも特に異常は無いようです」
と、呆気ないくらいに順調にいく様子を見せた。どうやら、完全に私を賞金首として手配することで、より多くの人間に狙わせる形に方向転換したようだ。つまり、いつ、どこで誰が狙ってくるか、完全に分からなくなったということでもある。それならば変装すればとも一瞬考えたが、顔認証が進んだ今の世の中では、カツラやメガネや付け髭程度の変装では意味がない。こんな小さな町でも、顔認証システムは普及してる筈だ。となれば後はもう、いかに人に会わないようにするかしかない。だからこそクラヒの協力は不可欠なのだ。
「今から携帯電話の売人に連絡取るからよ。早けりゃ30分もかからずに手に入るぜ」
そう言ってクラヒは携帯電話で誰かと話し始めた。だがそれは、イスラム系の言葉も主要なところはある程度分かる私にとっても殆ど理解出来ない言葉だった。
「アリシア、何て言ってるか分かるか?」
彼女に尋ねてみるが、
「申し訳ございません。私のデータベースにも無い言語のようです。一部似通った法則を持つ言語はありますが、それらを用いても有意な変換が出来ません。極めて限定的な地域でのみ使われる少数民族の言語と思われます」
地球と火星の殆どの言語をインストールされたアリシアにさえ分からない言語だと?。やはりこのクラヒという男。信用するのは危険だな。
「そうか、ありがとう。では、これから後、特に警戒を厳に頼む。何が起こるか分からないからな」
クラヒに聞こえないように囁く。
「承知しました」
私に合わせてアリシアも囁くようにそう応えた。その時、電話を終えたクラヒが言う。
「町に入るぜ。形だけだが一応、警備の人間が立ってるからよ。じっとしててくれよな」
その言葉に私とアリシアは仰向けになる。彼女はチェーンガンとサブマシンガンを。私はサブマシンガンを構え、万が一の事態に対応する準備をする。
「なんだ、クラヒ。もう戻って来たのか?。仕事はどうした?」
喉が潰れたような雑音の多い声の主が、警備の人間ということか。私の体に緊張が走る。
「いやあ、相棒のバッテリーを交換するの忘れててよ。出直しだ」
相棒。なるほどこのレイバーギアの事か。
「ドジな奴だな。そんなだから大きな仕事を捉まえられねぇんだよ」
当然顔なじみなのだろう。軽口が多い。緊張感もない。確かに形だけの警備だという感じだ。
「ほっとけ。今に見てろってんだ」
そう言ってクラヒはトラックを走らせた。どうやら無事にカルクラに入れたようだな。私はふっと緊張感を解いた。それから5分ほどトラックに揺られ、
「着いたぜ。俺の店だ」
と言うクラヒの声にシートをどけて体を起こすと、そこはスクラップが山と積まれた、いかにもジャンク屋のバックヤードという感じの場所だった。
トラックの荷台から降りようとする私に、クラヒが声を掛ける。
「おっと、先に金を払ってくれねぇかな。降りた途端にトンズラされてもされてもつまらねぇ」
抜け目のない奴だと評してやりたいが、金を払うつもりがなければとっくにアリシアに縛り上げさせてると心の中で考えつつも、
「分かった」
と私は応え、財布から100M$紙幣を10枚取り出して差し出した。
「おいおい、100M$札かよ。こんなのここじゃ使えねぇよ。1M$札千枚とは言わねぇが、せめて10M$札はねえのかよ。これだからセレブってのは世間知らずだって言われるんだよ」
忌々しげにクラヒが言う。確かに私だって、辺境の小さな町では高額紙幣は偽札を疑われて敬遠されるのは知っている。だが今はこれしか手持ちがないのだし、JAPAN-2(ジャパンセカンド)系列の銀行で下したものだから間違いなく真札だ。
「そうか。だが、現金は今はこれしか手持ちがない。JAPAN-2(ジャパンセカンド)系列の銀行で下したものだから間違いなく真札なんだがな」
私がそう言うとクラヒは頭を掻きながら、
「しょうがねえ。見せてみろ」
と私の手から100M$紙幣をひったくった。それに懐中電灯の光を裏から当てたり斜めから見たりして、懸命に真贋を見極めようとしているようだった。そして、
「確かに、少なくとも俺の目には偽札には見えなかったな。まあいい。貯金だと思って次にでかい都市に行った時に使うことにするわ。で、携帯を手配したからもう100M$だ」
言われた通りにもう一枚100M$紙幣を手渡すと、
「丁度、売人が来たぜ」
と、私の背後に向かって顎を突き出した。振り返るとそこには、目つきの悪いいかにも怪しい風体の男が立っていた。見るからに表に出せない商品を扱う売人という感じの男だった。
「中古の正規品でいいんだったな。50M$だ」
男が差し出したのは、あからさまなくらい旧式の携帯電話だった。そこで私は、
「アリシア。あの携帯のチェックを頼む」
と彼女に命じる。するとすぐに、
「チェック完了。ビネラ社のKH1002に間違いありません」
と返事が返ってきた。
「ラブドールかよ。初めて見た。道理で変な格好してると思ったぜ」
男は携帯を差し出したまま驚いた顔でアリシアを見た。男が言った<ラブドール>とは、メイトギアの俗称だった。いや、むしろ蔑称と言った方がいいかも知れない。実際にそういう機能を備えた機種もあるので、それらを集めている好事家もいるとは聞く。ただし、我が社のアリシアシリーズにはそういう機能は残念ながら無い。一部の物好きが、社外パーツでそういう改造を施してるという話も聞いたことが無いわけじゃないが。
正直、いい気分ではなかった。とは言えここでそういうことで揉めても、意味はない。だがこの時、私はアリシアが一瞬、目を伏せたのに気が付いた。表情が変えられないので口元は笑顔のままであったが、確かに目だけは違う表情を見せた。そしてそれは、どこか悲し気に見えたのだった。顔も伏せ気味になっている気がする。
しかしそれも私は敢えて気付かないふりをして、男に100M$紙幣を差し出した。
「釣りはあるか?。無ければ釣りは要らない」
そう言った私に対し、男はクラヒと同じ反応をした。
「おいおい、冗談だろ。1M$札はないのかよ」
するとクラヒが男に向かって、後で渡した100M$紙幣をひらひらと振りながら言った。
「心配すんな、俺も100M$札でもらった。本物だよ」
意外な気もしたが、もし騙された時は一人で騙されるのは癪に障るから巻き添えを作っておこうという魂胆にも見えなくもなかった。真意はどうあれ、クラヒの言葉に男も渋々100M$紙幣と携帯電話を交換してくれた。
「通話料は無料のやつだから、今すぐ使えるぜ。じゃあな」
金さえ手に入れば用はないとばかり、男は用件だけを口にして闇の中へと消えて行った。
受け取った携帯電話のコールボタンを早速押してみる。確かに通話出来そうだった。念の為にアリシアに差し出し、命じた。
「盗聴等が疑われる不正な信号等は無いか、チェックを頼む」
すると彼女は受け取ることさえなく数秒で、
「不正な信号は検知できませんでした。品質に問題はないものと思われます」
と応えたのだった。そして私はそんな彼女に対して、
「ありがとう。それから、あの男の言ったことは気にするな。お前がラブドールじゃないことは私が知っている。何も問題はない」
と、彼女にしか聞こえない小声で言った。その私の言葉に彼女はハッとしたように顔を上げ、すぐに深く頭を下げたのだった。
「ありがとうございます。千堂様のお心遣い、胸につかえる想いです」




