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僕と彼女と桜の木

作者: 星うさぎ

桜が好きです。脈絡はないですけど。若干外れていますが、かの季節に思いを馳せつつ。

五月。


麗らかな春の日射しは、どう考えても勉学に励む高校生を眠りに誘っているようにしか思えず、ご多分に漏れず、僕も先ほどの授業では睡魔と懇ろになっていた。


とは言え、授業中だけでは満足できないほどの眠気を感じる。

欠伸を漏らしながら時計を確認。

幸いにして、昼休みはあと三十分ほど残されている。

これなら一眠り出来るか。

そう考えて、僕こと逆上尽さかがみ じんは、腕枕を組んで幸せな夢の世界に没頭しようとしたとき。


「君、君。こんな天気の良い日に屋上に行かないなんて、人生の楽しみの四割を捨てているようなものだよ」


頭上から降りかかる声。

顔を上げるまでもなく、声の主は分かっている。

「・・・・・ユリ」

怒られるので仕方なく起きあがると、目に入ったのは背中まで伸びた長い黒髪。

切れ長の目に、細筆で引いたような眉。

整った顔立ちの理知的な眼差しは、僕の向こうを見透かすように遠く焦点を結んでいる。


「いや、いくら天気が良くても、四割は言い過ぎだと思う」

すると彼女は、実に遺憾だとばかりに胸を張った。

「何を言う。我々の短く、しかも苦しみに満ちた人生のうち、数少ない楽しみを拾い損ねてどうする。分かったらさっさと立つ!」

この有様だ。

気が強いのか何だか、こういう風に小難しいことばかり言うのが彼女の癖だ。

そんなことも、この一月あまりで知ったばかりだが。




初めて彼女の存在を知ったときから、不思議な子だとは思っていた。

高名瀬揺葉たかなせ ゆりはは、去年からクラスは違えど同じ高校の一年生で、成績優秀で美人だが、変わり者だと評判の人物だった。

かく言う自分も、彼女のことは登下校中に見かける程度で、校内で会ったことは滅多になかった。


彼女の生態の奇っ怪さは、進級した高校二年生で同じクラスになってから明かされることになった。

まず、自分の席から動かない。

休み時間も分厚い本に目を落としているばかりで、誰とも会話をしようとしない(さらに恐ろしいことに、どんな場合でも本のタイトルは大体三日ほどで変わる)。

にも関わらず、彼女が何の気まぐれか本を置いて席を立つと、瞬く間に女の子の集団に溶け込んでしまうのだ。

噂には上れど、それほど仲の良い友達は居らず、女子に有りがちなグループに属しているのではないのに、ハブられているわけでもない。


そんな彼女と知り合ったのは、何でもない、本当に何でもない、ある契機によるものだった。




「んー。風が心地良いな」


高いフェンスに囲まれた屋上に出ると、既に何人かの生徒が団欒している。

季節が季節だけに、夏や冬には人気が失せる屋上は、適度に涼しく、それなりの賑やかさを保っていた。


「どうだ、気分が良いだろう」

「そうだね。ご飯食べよう」


勝ち誇るように言うユリをスルーし、弁当箱を開ける。

良くできた妹お手製の弁当は、色鮮やかに、かつ栄養バランスを考慮して 生成されていた。

年頃の妹が、こうも兄に甲斐甲斐しく世話を焼いてくれることに一抹の不安を覚えながらも、やっぱり乙女スキルは高い方が良いよねと納得する。

「それはまた妹君の作品かね」

ユリが興味深そうに覗き込む。

「ユリは今日も購買のパンかい。・・・何かつつくか?」

おかずが詰まった弁当箱の上段を差し出す。

ユリは躊躇いもなく僕から箸を奪い取ると、唐揚げを一つ口に放り込んだ。

「・・・・うむ。うみゃい。んん。君の妹君は、将来良い嫁になれるな」


満足だとばかりに箸を突っ返してくるユリ。

これだ。

彼女とよく行動を共にするようになってから判明した、幾つかの事実の内の一つ。

その無頓着っぷりは徹底していて、むしろこちらが悪いのではないかと錯覚するぐらいだ。

いちいち気にしていてはやってやらないので、最近はもう流せるようになった。強くなったな僕。

「君、君。何かな、その諦観と達成感が入り交じったような表情は」

ユリがじとりとした視線を向けてくる。

「んーん。何でもない」

「気になるな。君がそういう態度を取るときは、いつも何かを隠してる」


ふと、ユリが俺から視線を外し、屋上のフェンスの向こうを見る。

「どうしたの?」

「ん。すっかり桜が散ってしまったな」

言われて見れば、校庭に植わっている桜たちは少し前までは見事に咲き誇っていたが、今では青々とした葉桜となっていた。

「残念だ。私はあの花の幻想的な雰囲気が好みだったのだが」


心底残念そうに語るユリは、気付けば僕の弁当からおにぎりを奪ってかぶりついていた。

いつものことなので、もう気にしないことにしている。


「いいじゃん。葉桜だって。僕は好きだけどなあ」

特に、儚そうな花が散った後に、あれほどの命の力強さに満ちた葉をつける辺りが。

そう言うと、ユリは少し考え込んでから口を開いた。

「すると、桜は死に際に咲かせる花が美しいのだろうか」

「・・・・んー、まあそうなのかも」


桜の持ち味は幽玄の美。

力強さからは程遠い薄い花が、これまた儚く舞い散る様に古くから日本人は感銘を受けてきた。

動より静、盛より寂を好む日本文化的には、生に咲く花よりも、死に散る花の方が好まれたのかも知れない。


「羨ましいな。死に際にさえ意味を遺せるなんて」

「え?」


隣に座るユリの顔を覗き込むと、普段気の強い少女は、驚いたことに寂しそうな表情をしていた。

「私は死ぬときに、何か意味を残せるのだろうか」

「ユリ・・・・」

今までも、突然過去の偉人たちの名言を持ち出しては、僕に解説するという奇行を繰り出して来たことはあったが、このように沈み込んだ様子を見せたことはなかった。

妹よ、おにぎりに何を仕込んだ・・・・?


「私はね、死ぬのが怖いんだ」

ユリは、どこか遠くを見つめながら語り出した。

「ただ死ぬのが怖い訳じゃない。生き物は死ぬ。当たり前のことだ。だが私は、私が死んで、私という存在が忘れ去られてしまうのが怖い」

この世に生まれた以上、いつかその存在は風化して消える。

彼女を覚えている人間がいたとしても、彼らもまたいつかは消え去ってしまう。

その後に残された虚無。

彼女が『いた』という事実さえも消えてしまうのが、彼女にとってはこの上ない恐怖だという。


「私は考えた。偉人たちのような業績を残せば、私も彼らのような永遠性を得ることが出来るのではないかと。でも違った。私が欲しいのは永遠じゃない。――――意味だ。私は、私が生きていることの意味が欲しい」


熱く語る彼女の目には、情熱以外の色が見え隠れしている。

背筋に薄ら寒いものを感じたのは、屋上に吹いた風の所為か否か。


「そもそも、人間、いや全ての生き物の生涯など無意味だと思わないか。この世の最初の人間は、生まれて、生んで、死ぬ。そして、この世の最後の人間も、生まれて、死ぬ。始まりと終わりがくっついてるんだ。全て生き物がそうだ。私にはその生涯が無意味としか思えない。

ならばどうするか。私は考えた。そうだ。群の生涯が無意味なら、個の生涯に意味を見つければいい。私の、私だけの意味。それを見つけることが出来れば、私は―――――――」



キーンコーンカーンコーン。



ちょうど、昼休みの終了を告げるチャイムが鳴る。

ユリは、はたと動きを止めると、ゴミをまとめて屋上から出て行った。

「・・・・・・はっ」

やば、僕も急がないと。



教室に入れば、僕とユリは他人同然だ。

一緒にいるのは、昼休みと放課後の帰り道だけ。教室でのアプローチは一方的に彼女からと決まっている。

不思議なことはない。

自分たちは別段、付き合っている訳ではないからだ。


「よう、逆上。彼女とのハッピータイムはどうだった?」

席に着くと、前の席の友人が、にやにやしながら僕に声を掛けてきた。

「だから、僕たちは付き合ってる訳じゃないの」

「えー?いやないって。どうみてもラブラブだろ、お前ら」

「違う。僕だってそう錯覚したことがあったよ。で、そう訊いたら、こんな風に返された」


『付き合ってる?冗談じゃない。非道い勘違いだ。私と君は付き合っている訳じゃない。私が君を付き合わせているんだ』


友人はくるくると目を回し、おどけた顔をした。

「それは酷い。遠回しに脈なし宣言か?」

僕は憂鬱な溜め息を吐いた。

「それなら良いんだけどさ、向こうはあんな感じだろ。ホント、どういうことなんだろうな」

「いやはや、可笑しなモンに気に入られたな」

南無。そいつの合掌を見て、僕は机に沈み込んだ。

・・・・・でも、そんな関係も悪くない。

逆上尽が高名瀬揺葉に惹かれているのは、どうしようもない事実なのだから。




放課後。

いつもなら、ユリが一緒に帰ろうと誘って来るのだが、今日の彼女は、ホームルームが終わるなり教室の外に出て行ってしまった。

別に、なんということはないが。

一人での帰り道が、こんなにも退屈だとは思わなかった。




自分の生と死について考えるのは、人間誰しもあることだ。

古くはギリシャ時代から様々な方面から追求されて来たが、答えを出した者はいない。たぶん。


彼女も、その命題に取り憑かれたのか。

ま、こんなものは一時の風邪みたいなものだ。

すぐに熱は冷めて、疑問はなんでもない日々に融けて消えることだろう。


そんなことを考えながらベッドに横になっていると、傍らの携帯電話が震えだした。

「電話・・・・ユリからだ」


『昼間はゴメンね』


何故か受話器越しではしおらしくなる彼女は、そんな風に昼の件を詫びて来た。


「気にしてないよ」

『怒ってない?』

「怒ってない」

『今から会いたいんだけど』

「今から?・・・・うわ、もう日付が変わるじゃないか。大丈夫なのか?」

『駄目?』

「いや、いいよ。どこに行けばいい?」

『ありがと。桜町公園に来て』




我が家から歩いて十五分ほどの所に、桜町公園と呼ばれる広場がある。

名前の通り、敷地内には数多くの桜の木が植えてあり、お花見などには県を越えてやって来る人々がいるほどの名所である。

しかし、季節はずれの、しかもこんな夜更けには誰一人いるはずもなく、公園はひっそりと静まり返っていた。


自動販売機でホットコーヒーを二つ買い、しばらくそぞろ歩くと、桜に囲まれた広場のベンチに彼女がいた。

「悪いね、こんな時間に呼び出してしまって」

少し厚着したユリは、いつも通りに声を掛けてきた。

「夜風が涼しいな。寒くないか?」

ユリの隣に腰を掛けて、コーヒーを渡しながら訊く。

「見ての通り、耐寒はばっちりだ」

笑顔で着ていたコートを見せびらかすユリ。

そんな彼女は本当に・・・・・ごほん。

「で。話ってなんだ?」

尋ねてから数秒間、ユリがちびりちびりとコーヒーを啜る音しかしなかった。

僕のコーヒーが半分ほどなくなった頃、ようやく彼女が話し出した。

「ほら、な?昼休みの話が途中だったから」

あの時は、あんな風に熱くなるつもりはなかった。

ただ、自分の話をちゃんと聞いてもらえる気がして、ついつい口が滑ってしまった。

本当はこうして話すのは迷った。

迷ったけど、やっぱり誰かに聞いてもらいたくて、こうして呼び出してしまった。ごめん。


そこまで言うと、再び口を閉ざしてコーヒーを啜り出した。

どうやら、もう語るつもりはないらしい。

本人もどうしたらいいのか分からないのだろう。

すると僕が、彼女がどうして欲しいのかを推測してあげなければならないのだが・・・・・ああ。


つまり、僕はどう思っているのか、か。


生きる意味。僕自身の。存在証明。

それは――――――――



「意味なんか、なくてもいいと思う」



「・・・・え?」

ユリが、呆然と僕の顔を見る。


「意味なんかなくたって、ユリはちゃんと此処にいる。確かに僕の前にいるじゃないか」


「・・・・私、は」

「それに、今から死んだ後の事を考えるなんて、後ろ向きで良くないよ。桜が花を散らせるのは、その後に青い葉を付けることを知っているからだ。決して、死ぬために散る訳じゃない。

 だから、ユリは今を楽しく生きて、しっかり樹を育てて葉っぱを付けた後でないと、桜のような花を咲かせられないと思う」

「・・・・・・では、今までの私の人生は無駄だったと、無意味だったと言うのか・・・・?」

弱々しい顔で、縋るような目で、ユリは僕を見上げる。

普段の気丈さなど、欠片もない。

「―――――ユリ。僕は意味なんかいらないって言ったよ。ユリにとっての意味と無意味の線引きは、ユリにしか出来ない。絶対的な意味を定義する必要はない。ユリに必要な意味を、その場その場で拾っていけばいいんだ。・・・・・きっとそれが、ユリが最後に残す花になる」


中身を失って、空になったコーヒーの缶が手に冷たい。

必死の説得の甲斐あってか、ユリは目を泳がせ迷い込んでいる。

初めから揺れていた彼女の心はしかし、未だに迷宮から出られないらしい。


「私、は。不安で仕方ないんだ。私は何のために生きているのか、どうして此処にいるのか。それが知りたい、のに、」


ああ、もうこの分からず屋!!

内心で叫んでから、手持ちのカードを見る。

残された手札は一枚きり。

だが、いいのか?

このカードを切れば、もう後戻りは出来ない。

いろんな意味で勇気がいる決断に、一瞬逡巡してから。

ユリの目の端に輝く一滴の涙を見つけて、迷わず、実はずっと暖めていた切り札を叩き付けた。  



「僕で良ければ、僕が死ぬまでずっとユリのことを覚えてる!ユリの存在は、永遠に僕の中に刻みつける!ユリの桜の樹は、僕が立派に育ててみせる!だから、僕と付き合ってくれ!!」



言い切った。

ユリの目を真正面に捉えて、一世一代の啖呵を切ってしまった。

自分でも顔が赤くなっているのが分かる。

うわ、やばい。これはやばい。

しかし、彼女の赤面は僕の比ではなかった。

「・・・・・・へ?」

驚きに満ちた顔が、ズドンと真っ赤になる。

首から頭の天辺、耳の先まで赤く染まり、両目はこぼれそうなほど見開かれている。


「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」


どれくらい、揃って無言で向き合っていただろう。

僕はもう手札をなくしてしまったし、ユリはユリでそれどころではないのだろう。

だから、互いに相手の目を見ていることしか出来なかった。

呼吸が止まってしまったかのような錯覚。

いや、実際に僕は息をするのを忘れていた。


それは、世界で一番永遠に近い一瞬。


ぶはっ。

ユリが大きく息を吐いて、僕はようやく我に返った。

が、意識が戻ったところで僕の緊張は変わらない。

爆発しそうな心臓を抱えながら、彼女の一挙手一投足を見守っていると。


「・・・・・・・ん、もう帰る!」


ユリは膨れっ面で言うと、僕に向かって手を伸ばした。

「え、ええ!?どうしろと!?」

「おんぶ」

ええええ――――!!?

いきなりどうしたのさ!?

「はやく」

仕方ないので、座った彼女に背を向けて座る。

「・・・・よい、しょと」

ユリの控えめな体重が加わる。

背中を通じて触れる体の温かさ。耳に当たる吐息がくすぐったい。

少しだけどきどきしながら、ユリに尋ねた。

「で、どこまで送ればいいの?」

「家まで。私は眠い」

場所は知っているだろう。そう言うと、彼女は本当に沈黙した。

え、もう寝た?

「・・・・・・・・・私は、まだ諦め切れない」

いや、まだ起きていた。

しかし、その口調はどこかあやふやで、まるで夢を見ているようだった。

「でもいいんだ。代わりを見つけた。当分はこれで我慢できる」

僕の首に回された両腕に、ささやかな力が籠もる。


「ありがとう、尽。やっと見つけた、私の、私だけの意味――――――――」


その囁きは密やかで、僕には聞き取ることが出来なかったけれど、確かに『ありがとう』と言ってくれた気がした。

それきりユリは口をつぐみ、後は穏やかな寝息が首筋をくすぐるだけだった。


(・・・・・諦め切れない、か)


それも彼女らしい。

どこか異次元めいた彼女は、その実普通の女の子となんら変わりなかった。


それでも、彼女はあらぬところを行くのがらしい気がした。

僕は、その在り方の危うさに惹かれたのかも知れない。


それはまるで、死を連想させながらも美しく舞い散る桜のように。

その気はなくとも、ひらひらと散る花びらは人を惑わし、僕は彼女に魅せられた。


そんな魅力もいい。

けれど、やっぱり僕は、例え勝気でも彼女には明るく笑っていて欲しいと思う。

そうでなければつまらないし、何といっても、僕は生命に満ちた葉桜が好みなのだ。


「・・・・・・さて」



さざめく桜たちの公園を抜けて、僕たちはひっそりと寝静まった町へ歩き出した。







風に散る桜よりも私の余生は短い。春が桜が散っても名残を残すように、私の心残りは尽きない。この思いをいったいどのようにして晴らせばよいのだろうか。

という江戸時代の大名の浅野長矩さんの句でした。知ってる人は知ってるかも。遺影!

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