エピローグ:『司法の天秤と、第二の裁定』
エピローグ:『司法の天秤と、第二の裁定』
神官庁・神律裁判所 大法廷
天を突く白磁の巨柱群と、壁面に刻まれた最古の神律条文が光る。
神官庁の最高司法機関たる『神律裁判所』の大法廷は、針の一本が落ちても響き渡るほどの静寂と、息をのむような荘厳な神威に満ちていた。
最壇上の裁判官席に鎮座するのは、司法の最高権威——最高裁判長マアト。
その机に、金色の「真実の天秤」が置かれている。
階下の被疑者席に立つのは、束縛の術式が施された銀の縛鎖を腕に纏う男——北欧の知恵者であり、悪戯と謀略の神ロキだ。
傍聴席には、行政トップたる神官庁長官アテナ、秘書官長ニケ、そしてシンプルなコートを身に纏い、手帳と万年筆を携えた初代審問官ナカムラ・ヒトシが静かに佇んでいる。
マアト裁判長が、厳格なる声で法廷に言葉を響かせた。
「これより、被疑神ロキに対する神律審判を執り行います」
マアトは真実の天秤を静かに掲げ、手元の判決書へと視線を落とした。
「被疑神ロキ。汝は、東洋の武神素戔嗚命に対する偽造映像の作成および偽情報を伝達し、神官庁に対する軍事衝突の不当な誘発を画策した。
さらには、神狼フェンリルを解放し、捜査中の特別査察官ナカムラ・ヒトシに対する暗殺を試みた。
これらは『神律第十五条・職権乱用および偽造術式による不当威圧』、
ならびに『神律第二十八条・神界紛争誘発および神威不当流用』に対する明白かつ重大なる違反です」
冷徹な判決理由が大法廷にこだまする。
通常であれば、全神力の永久凍結、ならびに深層監獄ニヴルヘイムへの数千年にわたる収監という、極刑に等しい処分が下される局面であった。
マアト裁判長はサファイアの瞳を持つロキをまっすぐに見据えた。
「被疑神ロキ。提示された通信記録、神威波長データ、ならびに従者ラタトスクの証言に対し、弁明はありますか」
拘束されたロキは、いつもの不敵で優雅な笑みを口元に浮かべ、胸の前で軽く肩をすくめた。
「いいえ、最高裁判長。完全なる客観的証拠の前に、弁明の余地などありませんよ。敗者に口なし、です」
「……よろしい」
マアトが、主文の言い渡しに入ろうとしたその瞬間であった。
「裁判長。主文の言い渡しの前に、審問官および特別査察部より、特別の意見具申がございます」
アテナ長官が静かに傍聴席から立ち上がった。
漆黒の執務用ローブが優雅に揺れる。
マアト裁判長は天秤を静かに机に置き、厳格な目でアテナを見た。
「……意見具申ですか、アテナ長官。聞き入れましょう」
アテナは傍らのヒトシへ、優やかで信頼に満ちた視線を送った。
「ナカムラ審問官。あなたから直接、裁判長へ説明しなさい」
「はい」
ヒトシは一礼すると、立ち上がって一歩前へ歩み出た。
人差し指でレイバン仕様の鑑識グラスのブリッジを静かに押し上げ、いつもの生真面目な口調で口を開いた。
「マアト裁判長。被疑神ロキ様の犯した神律違反および暗殺未遂の罪は極めて重く、本来であれば即時の身柄拘束および長期収監が相当であります。……ですが、現在の神官庁を取り巻く情勢を鑑み、二つの提案がございます」
ヒトシは懐から実務手帳を取り出し、整然と並んだデータを指で示した。
「第一に、ロキ様が持つ主神級の暗号解読能力と神力、特殊術式への深い造詣、ならびに大主神たちの裏の動向を見抜く情報処理能力は、今後の神官庁にとって極めて有用な捜査資質です。
単に監獄へ収監し隔離することは、神界全体の公益および今後の不当な神律違反の摘発において、大きな損失となります」
「ほう……?」
マアト裁判長が微かに眉をひそめる。
ロキもまた、予想外の展開にサファイアの瞳を細めた。
ヒトシは言葉を重ねる。
「第二に、先の最高評議会において決議された通り、神官庁全体を監視・監査する『審問官』の職務は極めて膨大であり、私一人では業務の過密化および不測の事態への対応に限界がございます。
……そこで、ロキ様の知謀と能力を、神律の維持と被害者救済のために強制的に行使させることが、最も適当であると考えます」
アテナ長官が、ヒトシの言葉を引き継ぐように朗々と告げた。
「マアト裁判長。
『神律・被害者保護および行政指導規程』の精神に則り、被疑神ロキを初代審問官ナカムラ・ヒトシの直接の保護観察下に置く**『審問官補佐』**として任用することを提案します。
ロキの神力行使はヒトシの許可と管理下に限定し、もし再び不法な画策を行えば、即座に執行猶予を取り消し、深層監獄へ送致する
……という条件です」
法廷内に、静かな衝撃が広がった。
裁かれるはずの被疑者を、自分を暗殺しようとした審問官の「補佐役」として手元に置き、監視付きで働かせる——。
完璧なまでの「実用と法的牽制」を組み合わせた公務員ロジックであった。
マアト裁判長は手元の真実の天秤をそっと見つめ、静かに目を閉じた。
(……強大な権限を持つ審問官を一人に孤立させず、かつその補佐役に厳格な司法の監視を置く。そして、罪を犯した神にただ罰を与えるだけでなく、その能力を公益と償いのために使わせる……)
マアトはゆっくりと目を開き、重々しく天秤を掲げ直した。
「……審問官ナカムラ・ヒトシ、ならびにアテナ長官の意見具申には、極めて高い合理的根拠と司法的妥当性が認められます。神律裁判所大法廷は、この要請を採用いたします」
マアト裁判長は判決書を高く掲げ、朗々と判決を下した。
「——主文! 被告人ロキを、神律第十五条および第二十八条違反により、神力凍結および深層監獄収監に処する」
一瞬の間を置き、マアトの厳格な声が響き渡る。
「ただし! 初代審問官ナカムラ・ヒトシの進言を受け、本判決の執行を暫く猶予する。被告人ロキの身柄を神官庁審問官ナカムラ・ヒトシの直接保護観察下に置き、役職『神官庁 審問官補佐』を命ずる!」
「「「……っ!」」」
マアト裁判長はトントン、と木槌を鳴らした。
「なお、ロキ補佐の神力行使はナカムラ審問官の許可・管理下に限定し、万一、再度の違法行為または不誠実な職務怠慢が認められた場合は、直ちに執行猶予を取り消し、本来の刑を即刻執行するものとする。
以上、審判を終了します!」
コオン……!
重厚な打審音が大法廷に響き渡り、判決が確定した。
ロキの腕に繋がれていた重々しい銀の鎖が、カチャンと音を立てて解け、代わりにヒトシの手帳と連動した小さな「神律監視用リング」がロキの左手首に静かに装着された。
「……やれやれ」
拘束を解かれたロキは、手首のリングを指先で優雅に弄りながら、深いため息をついた。
そして、歩み寄ってきたヒトシに向き直ると、可笑しくてたまらないといった様子で肩を揺らして笑い出した。
「ハハ……ハハハハ! いやはや、恐れ入ったよ、ナカムラ審問官」
ロキはサファイアの瞳に感心と苦笑を混ぜ合わせ、大袈裟に手を広げた。
「僕を暗い監獄に閉じ込める代わりに、君の目の届く場所で『補佐官』として使い倒そうというわけだね?
……最高に嫌味で、最高に賢い公務員的解決策だよ、ヒトシくん♡」
ヒトシは顔色一つ変えず、懐から万年筆を取り出すと、手帳の【被疑神:ロキ】の項目に静かに線を引き、その隣に**【役職:神官庁審問官補佐(保護観察中)】**と生真面目な文字で書き加えた。
手帳をパタンと閉じ、ヒトシは眼鏡の奥の澄んだ瞳でロキをまっすぐに見つめた。
「仕事ですので。
……それに、ロキ様ご自身にとっても、北欧神としての輝かしい履歴をこのような不祥事の罪人として終わらせるより、神官庁の審問官補佐として真の正義のために働く方が、ご矜持にも適うはずです」
ロキが一瞬、まばたきをしてポカンと口を開けた。
自身が仕掛けた数々の陰謀や不徳さえも、この男は「神としての誇り」と「公益」に昇華させてしまっている。
ロキは降参したように両手を挙げ、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「降参だよ。……いいだろう、引き受けようじゃないか。
『初代審問官ナカムラ・ヒトシ』の最初の助手、兼監視対象としてね」
アテナ長官が満足そうに頷き、ニケもまた完璧な微笑みをたたえてお辞儀をした。
「よろしく頼みます、ロキ審問官補佐。
……ナカムラ審問官をしっかりサポートしなさいね」
「御意に、アテナ長官」
こうして、神官庁の歴史上初となる最強にして最悪のバディ
——初代審問官ナカムラ・ヒトシと、審問官補佐ロキのタッグが正式に結成された。
ヒトシはステンカラーのコートに腕を通し、手帳をしまった鞄をしっかりと抱え直した。
「さて、ロキ様。挨拶はこのくらいにして、次の『出張会計監査』の準備に取りかかりますよ。…… 普遍主神陣営からの負担金不払い通告の公文書解析が待っていますから」
「はいはい、分かりましたよ、ヒトシくん♡」
不敵に笑うロキを従え、生真面目な公務員ナカムラ・ヒトシは、新たな決戦の場へと向かって粛々と歩み出した。
完
あとがき、
「神事査察官ナカムラ・ヒトシ〜神さまの違法行為、すべて検挙いたします〜」は、これで一段落です。
この続編はタイトルを「審問官 ナカムラ・ヒトシ」と変更します。
引き続き、読者の皆様に読んでいただければ嬉しいです。
よろしく願いします。




