EP 2
覚醒『ステータス編集』と、デコピン一つで散る絶望
『グルアアアアアアアッ!!』
死の森を震わせるような咆哮。
俺の目の前に立ち塞がっているのは、全身から黒い瘴気を放つ巨大な魔物『デス・ベア』だった。
Sランク指定の凶悪な魔物。王国の精鋭騎士団が束になっても全滅すると言われる、生きた災害だ。
丸腰でレベル1の俺に、勝機など万に一つもない。
「はは……ッ、アレスの奴、本当に俺をこんな所で……」
恐怖で足が竦み、一歩も動けない。
デス・ベアが巨大な爪を振り上げる。その一撃が直撃すれば、俺の体なんて簡単にミンチになってしまうだろう。
死ぬ。本当に死ぬ。
嫌だ、こんな惨めな終わり方なんて絶対に嫌だ!!
『ギガァッ!!』
振り下ろされる死の爪。
俺は無意識に、いつも書類整理で使っていたユニークスキルを全力で発動させていた。
「【ステータス編集】ッ!!」
ピロンッ、と。
緊迫した空気に全く似つかわしくない、間の抜けた電子音が脳内に響く。
次の瞬間、俺とデス・ベアの間に、見慣れた『半透明のウィンドウ』が出現した。
ーーー
【個体名】デス・ベア
【種族】魔獣(Sランク)
【レベル】99
【HP】25000/25000
【攻撃力】8500
ーーー
「なんだよこれ……」
俺のスキルは、目の前にあるモノの情報を文字として表示し、それを『編集』できる力だ。
勇者パーティーにいた頃は、倒した魔物の数やドロップ品のリストを整理し、ギルドへの報告書を綺麗に書き換えるためだけに使わされていた。
だが、今は報告書じゃない。
『生きている魔物』のステータスそのものが表示されている。
なら、これも『書き換えられる』んじゃないか……!?
デス・ベアの爪が、俺の頭頂部に迫る。時間はない。
俺はウィンドウの【レベル:99】の項目に意識を集中し、頭の中でキーボードの『バックスペース(削除)』を連打した。
カタカタカタカタッ! ターンッ!!
【レベル】99 → 1
【HP】25000/25000 → 10/10
【攻撃力】8500 → 2
その瞬間。
デス・ベアの全身を包んでいた禍々しい瘴気が、プシュゥゥゥッと風船がしぼむように消え失せた。
「え?」
振り下ろされた爪は、俺の頭にポンッと軽く触れただけだった。
痛くも痒くもない。むしろ、子犬にじゃれつかれた程度の衝撃だ。
『……キュゥ?』
デス・ベアが、自分の爪と俺の顔を交互に見比べ、困惑したように間の抜けた声を漏らす。
その巨体からは先ほどの威圧感は完全に消え去り、そこら辺を歩いている最弱のスライムよりも弱々しい気配になっていた。
「書き換わった……本当に、現実が書き換わったのか……?」
自分の震える手を見つめる。
俺の【ステータス編集】は、ただの書類整理スキルなんかじゃなかった。
世界の理そのものに干渉し、ステータスの数値を自由に改変できる、神の如き力だったのだ。
『ガウゥゥッ!!』
弱体化したことに気づいていないのか、デス・ベアが再び俺に向かって牙を剥いて飛びかかってくる。
だが、その動きはあまりにも遅く、あくびが出るほどだった。
「遅いな。……ちょっと試させてもらうぞ」
俺は、迫り来るデス・ベアの鼻先に向かって、思い切り指を弾いた。
パチンッ!!
「――デコピン」
『ギュビャァァァァァァァァッ!?!?』
たった一発のデコピン。
それがデス・ベアの顔面に直撃した瞬間、Sランクの凶悪魔獣はボールのように軽々と吹き飛び、太い大樹をへし折りながら彼方へと飛んでいった。
そして、ドサァッと地面に落下し、白目を剥いてピクピクと痙攣したのち、光の粒子となって消滅した。
【経験値を獲得しました。レベルが1から一気に50へ上昇しました】
無機質なシステム音が響き渡る。
「……まじかよ」
自分の指先を見つめながら、俺は乾いた笑いを漏らすしかなかった。
ただの雑用係、無能の書記官。
そんな烙印を押され、絶望の淵に追放された俺は今、最強の力を手に入れた。




