第四話 謎の人物
イルィフ達を乗せた犬車はヘルヴェータ王国最南端の村に到着した。
西の高原に近づいているため山々の標高は王都周辺より低く、遠くには海とマカレア島が見える。雲ひとつない青々とした空に噴煙が細くたなびいており、王宮の廊下に飾られていた絵画を想起させた。
澄んだ空気を肺いっぱいに取り込むと、微かに鼻の奥を刺すような臭いを感じる。どうやら数時間前に軽く噴火したようだ。
うん、今日もマカレア島は元気だな。
「え!海ある!イルィフ、海寄っていい?泳ぎたい!」
初めてトゥルバ以外の海を見て興奮しているようで、ワユマがイルィフの肩をバシバシと叩く。内臓が揺れ動くような振動がイルィフの身体に響いた。
地味に痛い。力加減考えてくれ。
「ダメだ。あそこは魚人立ち入り禁止、警備隊に射られるぞ」
「えぇ〜…」
「海はまた今度行こうな。ホラ、降りるぞ」
旅のどこかで海に連れて行ってやろう。
座席に沿うようにぐにゃんと折れてしまったワユマを慰め、イルィフは犬車から降りた。
―――こんな人少なかったか?
イルィフにとってこの村に来るのは数ヶ月ぶりである。当時の村は、中心都市ほどでないにしても、はしゃぐ子供や商売に勤しむ人々が行き交っている印象だった。
だが今のイルィフの視界には、片手で数えられるほどの人影しか写っていない。その他は役人か豪農の屋敷と斜面に並ぶ数階建ての長屋ばかり。
しかし賑やかな声だけは聞こえる。葬儀などではないらしい。
なんだ?何か祭りでもやってるのか?
異様な様子にイルィフはキョロキョロと辺りを見回した。すると―――
「神血者様!」
「神血者様お久しぶりですね、お元気でした?」
イルィフは背中をポンと叩かれた。振り向くと、斜め向かいの家で井戸端会議をしていた2人の婦人がイルィフを見上げていた。
イルィフは身をかがめ、二人に目線を合わせる。
「どうも、お二人さん。おかげさまで元気ですよ」
「またウチの野菜食べに来てくださいな、最近は晴れ続きで美味しいのが沢山できてますから」
「ウチの肉も食べてくださいね、猪肉がいっぱい獲れたのよ」
「本当ですか!」
イルィフが仕事で各地の街に立ち寄る度、そこに住む人々は肉や野菜を分けてくれる。
自然――神から頂いた恵みは、食、道具、肥料…あらゆる形で世界を巡り、やがて再び自然に還る。
「いいのいいの!余らせちゃ罰当たりですしねぇ」
ただ無為に捨ててはならない。生き物の手を渡り、命を繋ぎ、巡りの中で役目を果たさせてから、自然へ還さなければならない。
「どうせ分けるなら、神血者様が食べて巡った方がいいわ。貴方も円環の一部だもの。」
……またそれか。
神に愛されていながら、【円環の理】から抜け出せる力を持った存在。
本来あるべき円環を歪ませられる神血者に人々は食物を与え、その一部を担わせる。
正しいモノの巡りを維持するために。
東の森の修行僧が、確かそんなふうに言っていた。
「いつもありがとうございます」
―――人をなんだと思ってるんだ。
歯に肉が挟まった時のような違和感を、イルィフは無視して感謝の言葉を述べた。
信心深くはない方だが、その方が都合がいいのだろうし、彼らは善意でやっているのだ。断る理由はない。
「イルィフ~おなかすいた~」
呑気な声が聞こえた瞬間、時間が止まったように二人が固まる。だんだんと顔がこわばり、口をはくはくと動かした。
その視線はイルィフではなく、その後ろにいる……ワユマに向けられていた。
「……じ、神血者様、後ろのは…もしかして巨人?」
婦人たちがゴクリと息を飲んだ。ワユマは小人語が分からないので、自分への視線に首を傾げ、イルィフが通訳するのを待っている。
婦人たちの呼吸が、ワユマの動作一つごとに空気をか細く震わせる。
恐怖と疑心がこの場を包んだ。
―――そりゃそうだよな。
「大丈夫ですよ。コイツは確かにデカいけどトゥルバ人。私と同じ神血者で、私の弟です」
「…神血者様の舎弟さん?
なんだ、巨人じゃないのね!それなら良かった!」
「アナタも神血者なのね!じゃあ今度から神血者様はイルィフ様って呼ばないと区別つかないわねぇ」
「い、イルィフ?この人たちなんて言ってるのぉ…?」
冷えきった空気が先程までの日の暖かさを取り戻す。婦人たちはワユマを取り囲み、キャアキャアと騒ぎ出した。ワユマは急に距離を詰められたことに驚き、槍をぎゅっと握りしめてイルィフに助けを求める目線を送っている。
トゥルバと王都から出たことが無かったから、共通語が通じない人は初めてなのか。言葉が分からないと意外と人見知りするんだな。
「あんまり怖がらせんでくださいね、コイツ小人語分からんので」
「やっぱり魚人って大きいのねぇ。イルィフ様より背高い人ばっかり!」
イルィフの制止を全く聞かず、婦人たちは会話に花を咲かしている。 その規格外な身体を体感してみようと、ワユマの腕や背中を遠慮なく撫で回す。これ以上はワユマがきつそうだ。
「お二人さん、そろそろ私たちは―――」
「あの魚売りも、この子程じゃないけど確かに大きかったわねぇ。あんなに大きな魚を片手で持ち上げてたもの」
「……ん?魚売り?魚人の?」
聞き捨てならない言葉が聞こえた。
昔ながらの暮らしが残るこの村では、『海は冥界の入口』という迷信を今でも信じる人が多い。誰も海岸には近づかないし、王都ほど魚が流通していない。あっても北部で加工された保存食用の干物くらいだろう。
そもそもトゥルバ以外の沿岸地域に、魚人は入ることすら禁止されている。内海から外国へ逃げられる可能性が高いからだ。
ここに魚売り、ましてや魚人がいるはずがない。
「魚売りがいるんですか?この村に?」
「そうそう、そうなのよ!聞いてくださいなイルィフ様!」
婦人たちがイルィフに話しかけた本題はこの件だったらしく、ワユマをペタペタと触っていた手を止め、イルィフに駆け寄る。
「数日前から見たことない魚人の男がこの村に魚を売りに来ててね」
「野宿してるのか、いつもどこにいるのか分からなくて、昼くらいになるとフラッと魚を持ってくるの。それも超新鮮な生魚。珍しいからみ〜んな買いに行くのよ!」
「新鮮な生魚…」
ヘルヴェータはヘルヴェータは北のトゥルバとこの地域しか海に面していない。新鮮な魚ということは近くの海で獲ってきたってことか。普通に違法だな。
「でも今日は片足を引きずってて…もしかしたら怪我しているのかもって、心配なの」
「でも、小人語が通じないから私たちじゃ聞けないのよ。……格好もはしたなくてちょっとねぇ…」
「靴も履いてないし、上裸で歩いてるから……あんまり近づきたくないわ」
婦人たちは顔を見合わせ、少し顔を顰めた。イルィフもその情報には苦笑いするしかなかった。
胸を隠さないで歩いてるなんて、とんでもない変態じゃないか。よく捕まらなかったな。
「それで、共通語なら通じるかもしれないから話してみてほしいの」
「なるほど…それで、その魚人はどこに?」
「ついさっき広場に来てたわ。まだいるんじゃないかしら」
「了解、私が何とかしときますよ」
「良かった!それじゃ、よろしくお願いしますよ、イルィフ様」
用事が済んだ婦人たちはそれぞれの家に帰っていった。
風が遠くの賑わいを運んでくる。この声は広場から来ているのだろうか。
「びっくりした〜!なんて言ってたの?あの人たち」
ワユマがイルィフに声をかける。さっきまで涙を浮かべていたその目は、いつも通りの真ん丸に戻っていた。
「謎の変態魚人がここの広場に魚を売りに来てるんだとさ。ワュマ、最近トゥルバから南の方面に引っ越した人はいたか?」
「え?ん〜…いや、誰も引越ししてなかったと思うよ」
「そうか……」
イルィフは眉間の皺を伸ばすようにグリグリと親指で押した。
―――立ち入り禁止地域への侵入疑惑、本来いるはずのない魚人。イカれた格好。
「あるとするなら、労働先から逃げてきたか、
……外から来たか。
どちらにせよ違法だ。領主に引き渡す必要があるかもな」
「行くぞ、その魚人を探そう」
「おー!」




