第二話 王と神血者
王都シリスヘルヴ。周囲を山に囲まれた天然の要塞であり、ヘルヴェータ王国最大の都市。
格子状に道が整備され、中央街道が街を二分するその先に、ヘルヴェータ王宮――山より高くそびえ立つ白壁の城が、イルィフ達を待ち構えていた。
近づいてくる目的地を眺め、イルィフは再びため息をついた。
レクェロ王との謁見が嫌なわけじゃない。仲は良好だし、とても優しい人だ。急な仕事で国内を端から端まで駆け回ることにももう慣れた。そんなことより―――
「うぅ…くじらにくはもういいよぉ……」
頭の固い貴族たちに、魚人のワユマを会わせることが心配だ。
ヘルヴェータ王国は小人種が建てた国だ。国民のほとんどが小人種で、唯一の魚人種【トゥルバ族】は建国以来ずっと最下層身分の扱いを受けてきた。レクェロ王の改革で処遇はだいぶ良くなったが、今でも居住区外への移動記録義務や住み込み労働以外での転居の禁止等々、息苦しい生活が続いている。
―――ワユマに悲しい思いはさせたくない。
小人種であり、ワユマより宮廷との関わりが長いイルィフは、貴族たちの悪意から純真無垢な弟を守ってやらなければならなかった。
「起きろワユマ、もう着くぞ」
「ンぐぐ……式には間に合いそう?」
「何とかな。直接宮廷に行くから身だしなみ整えとけよ」
「は〜い」
宮廷はちょうど昼休憩の時間であり、吹き抜けになっている中央廊下は、どの階も談笑する役人や掃除に追われる召使い達で溢れていた。
その喧騒から離れた中央廊下の最奥にある、一際大きい両開きの扉――鳥や狼を形取った荘厳な装飾が施されたそれは、いかに中の空間が厳粛な場であるかを雄弁に語っている。
お互い服装の乱れが無いか確認し、2人は重厚な扉を開けた。
―――人少なくないか?
普段の式典なら床が見えなくなるくらい人が来るというのに、今の謁見の間には10人程しかいない。警備の兵すらいない。
しかし面子は少ないが全員が大臣級である。圧迫感だけは普段の式典と変わらない。
……面倒な連中だらけだ。
物々しい面子の横を通り抜け、式の主役であるイルィフ達は玉座がある階段の正面に立つ。王宮と謁見の間を仕切る幕は垂れたままだった。
どうやら間に合ったようだ。イルィフは安堵の息を漏らした。
しかし―――
『魚人ごときが我々を待たせて……服も上衣だけではないか。無礼にも程がある!』
『仮にも神血者であるし、監督役を付けると陛下が言うのだから受け入れたが……やはり魚人を王都に入れるのは間違いだったな』
『その監督役だって商人の生まれ。それに巨人の捨て子だろう?どうして陛下はあんなのを重宝するのか』
―――聞こえてるぞクソ貴族ども。
イルィフの心配は見事的中した。
貴族たちは宮廷の公用語である共通語ではなく、ワユマの分からない小人語を使っていた。
本当はワユマのことが怖いんだろ?陰湿な奴らめ!
今すぐにでもぶん殴ってやりたい衝動を抑えようと、組んだ腕を指で叩き一定のリズムを刻む。
落ち着け、落ち着け。魚人がどうこう言ってるとはいえ待たせたのは事実、式典なのに礼服を着ていないのも事実。これはワユマの監督役である私の責任……いやでもレクェロ王とあの人のことを侮辱に使ったよな?やっぱり一発―――
「お前が時間ギリギリとは珍しいな、イルィフ」
同僚の声が、段々とテンポを上げていたイルィフの指を止めた。
フィスク・フィン・ペトラズマ。昔からレクェロ王の小姓・側近として働く若い貴族で、王宮へ来たばかりのイルィフの教育係だった男。イルィフより年下だが、長年レクェロ王の無茶振りや貴族の要求に対応してきたせいで、その眉間には渓谷のように深い皺が刻まれていた。
「すまん、フィスク。ちょっとバタついちゃってな」
「ごめんなさい……」
しっかり反省しているようで、ワユマはペコリと頭を下げた。
この空間で最も大きいはずの身体が、イルィフには子犬のように小さく見えた。これにはフィスクも驚いたらしく、一瞬だけ眉間の皺が消えた。
「ハァ……一応間に合っているから咎めはしないが、陛下にご迷惑をかけるなよ。
もう少し後ろに下がれ。式を始める」
「……頭を垂れよ!!!国王陛下の御前である!!!」
フィスクの号令が会場に響き渡ると、一斉にその場にいる全員が片膝を付き、頭を深く下げる。
イルィフも戸惑うワユマの腕を引っ張り、同じように礼をさせた。
幕が開かれ、奥から杖をつく音がゆっくり近づいてくる。
コン、
コン、
コン、
壁に音が響く度、その場の空気が張り詰めていく。
床を叩く音が止み、辺りが静寂に包まれた。
「……皆、姿勢を楽に。これからイルィフ・ミサクァラ、ワユマ・ベカモナ、2名の出発式を執り行います」
ヘルヴェータ王国第32代国王、レクェロ・フィン・ヘルヴェータ。百科事典の作成や図書館の設立など文化・教育面に力を入れ、一般市民にも魚人にも分け隔てなく接する改革者。
「―――と言っても、堅苦しいものではありません。いつも通りでいいですよ」
目元の皺と柔らかい笑みが、彼の長い人生経験と精神的成熟を物語っていた。
「……じゃ、お言葉に甘えさせていただきますよ」
「ねぇ王様!お仕事の話って前ので終わったんじゃなかったの?」
国の頂点である王に対してあまりにも不躾な態度に貴族たちは眉を顰めたが、注意する者は誰もいなかった。
神血者は【王の所有物】。王宮の一角に居室を与えられ、王の命令のみに従う、階級社会の異物。
所有者である王が気にしないのならば、誰もそれを指摘する権利は無い。
「貴方たちを呼んだのは、追加で仕事を命じるためです」
「追加の仕事?それなら他の人呼ばなくても良くないですか?」
「今回の件は少し特殊ですので。フィスク、例の物を」
フィスクからイルィフ達に防水革の包みが渡された。中には紙束と一枚の地図が入っていた。
「これってハストア島の地図?」
「紙質的に複製だな。原本の製作年は……100年前!?最新版じゃないか!」
複製品とはいえ、一般公開どころか保管庫に入ることすら許されないはずの代物をポンと渡され、イルィフは目を白黒させた。
毎度毎度とんでもないことを言い出す人だが、今回ばかりは全く意図が読めない。目的地の国は200年前と領地がほぼ変わっていないから、一般公開されている地図で事足りるはずだ。
「れ、レクェロ王…今度はいったい何を―――」
「貴方たちに、【見聞録】の作成を命じます」
「……え?」




