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第2話:【欠けゆく時計の針(クロック・メモリー)】


 現代の喧騒から隔絶された、時空警察TOKIO・地下司令室。

 無機質なホログラムが明滅する中、時尾 駆はコンバットスーツを脱ぎ捨て、診察台に横たわっていた。

「……また、少し増えたな」

 駆が自嘲気味に呟き、右腕を見つめる。

 そこには、皮膚の下で鈍く脈打つ、『逆回転する時計』の痣が浮かび上がっていた。痣の針が一周するたび、彼の「存在」は歴史から一歩ずつ削り取られていく。

「駆さん、冗談を言っている場合ではありません」

 通信越しではない、生身の凪がそこにいた。

 彼女は空中に浮かぶデータを指先で弾き飛ばしながら、駆の顔を覗き込む。その瞳には、隠しきれない焦燥が浮かんでいた。

「今回の『佐藤幸造』事件の強制排除で、あなたの脳のメモリー領域がさらに十五パーセント欠損しました。……何が消えたか、分かりますか?」

「さあな。忘れたことを思い出せる奴はいないだろ」

「笑えません! 昨日の夜、あなたが『明日もまたあそこの牛丼を食べよう』って言った店、もう場所も味も思い出せないでしょう? 私、お店の予約してたのに……」

 凪が唇を尖らせてそっぽを向く。

 シリアスな診断の最中に混じる、痴話喧嘩のようなやり取り。それが、二人がかろうじて「人間」として繋がっていられる唯一のいかりだった。

「悪かったよ。次からは、お前が俺の『外付けハードディスク』になってくれればいい」

「……当たり前です。私が忘れたら、あなたがこの世界にいた証拠がなくなっちゃうじゃないですか」

 凪の手が、一瞬だけ駆の腕の痣に触れようとして、止まる。

 彼女は二十世紀の未来――「時の王」によって滅ぼされた歴史から逃げ延びた、最後の一人だ。駆という「今」を守ることだけが、彼女に残された最後の使命だった。

「……駆さん、本題です。休ませてあげたいのは山々ですが、歴史の『腐敗』が始まりました」

 凪の表情が、一瞬で捜査官のそれへと戻る。

 ホログラムが展開され、炎に包まれる巨大な城の姿が映し出された。

「場所は天正十年、安土城。信長暗殺の裏で、本来その時代には存在しない『白銀の因果律』が観測されました。……これを見て」

 拡大された映像。燃える城郭の上に立つ、白銀のシルエット。

 それを見た瞬間、駆の脳内に激しい耳鳴りが走った。

 消えたはずの記憶の深淵で、何かが「黒い自分」を嘲笑っている。

「……あいつ、知ってる気がする」

「……あなたの先代。かつて歴史の果てへ消えた、TOKIO最強の裏切り者です」

 駆は無言で起き上がり、まだ熱を帯びているクロノス・ギアを左腕に装着した。

 寿命が減る。記憶が消える。

 それがどうした。


「……凪。牛丼の貸しは、帰ってきたら倍にして返してやる。……店の場所、ちゃんとメモしとけよ」

 駆は、いつものように軽口を叩きながら、転送ゲートへと歩き出そうとした。

 だが、その背中に投げかけられたのは、いつもの毒舌ではなかった。

「……駆さん」

 凪の声が、震えている。

 駆が振り返ると、彼女はコントロールパネルを握りしめたまま、大粒の涙を床に零していた。

「牛丼の予約なんて、ありません。……あの日、あなたがプロポーズしてくれた時に行った、あのレストランに行こうって言ったんです」

「プロポーズ……? 何の話だ。俺とお前は、ただの相棒パートナーだろ」

 駆の言葉は、悪気のない、純粋な疑問だった。

 その瞬間、凪の心に絶望のナイフが突き立てられる。

「……ひどい。ひどいですよ、駆さん……っ」

 凪は、震える手で自身の左手薬指を隠した。そこには、任務中はホログラムで隠している、駆とお揃いの銀色の指輪があった。

「私たち、夫婦なんですよ……? 二年前、未来がまだ平和だった頃に、ちゃんと誓い合ったんです。……それさえ忘れてしまうほど、あなたは……っ! あなたの時間は、もう……!」

 駆は、息を呑んだ。

 左腕のデバイスが脈打つ。スーツが脳の領域を侵食し、大切な「愛の記憶」を優先的にエネルギーへと変換してしまったのだ。

 目の前で泣いている少女が、自分にとって世界で一番大切な人であったはずなのに。今の彼には、それが「データ上の事実」としてしか認識できない。

「……すまない、凪。俺は……」

「謝らないで! 謝るくらいなら、覚えていてくださいよ……! 誰が歴史なんて守ってくれって頼みましたか!? 私は、ただ、私の夫に『ただいま』って言ってほしいだけなのに!」

 静まり返った司令室に、凪の慟哭が響く。

 駆は、何も言わずに自分の左手を見た。そこには、指輪の跡だけが白く残っている。

 記憶は消えても、指がその重みを覚えていた。

 駆は、泣き崩れる凪に歩み寄り、その肩にそっと手を置いた。

「……凪。本当のことは、思い出せない。……今の俺は、最低の夫だ」

 駆は、バイザーを装着し、顔を隠した。涙を見せないためか、あるいは、戦う機械(TOKIO)になりきるためか。

「だが、お前を泣かせる世界は、俺が許さない。……『夫婦』の記憶は、この戦いが終わったら、お前が全部教えろ。……一から、ナンパから始めてやるからよ」

「……バカ。……本当、バカなんだから……」

 凪は涙を拭い、震える指でゲートのスイッチを入れた。

 歴史を守るためではない。自分たちの「愛した時間」を取り戻すための、絶望的な出撃。

「ゲート開放。座標、天正十年……。時空警察TOKIO、時尾 駆。……行ってらっしゃい。……必ず、私のところに、帰ってきて」

 青い光が膨れ上がり、駆の姿を飲み込む。

 一瞬の静寂の後、独り残された凪は、表示されたままの「結婚式の写真」を抱きしめるようにして、再び泣き崩れた。

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