この二人の政略結婚に意義ある者は、今すぐ申し出よ。さもなくば永遠に沈黙せよ。
私の愛する人を初めて見た時を、今でも鮮やかに覚えている。
とある午後に何気なく窓を覗き込んだ私は、帰りの馬車へ向かう背の高い男性の後ろ姿を見たのだ。まっすぐに伸びた背筋に優雅な足取り、遠くから見てもその容姿は際立って良かった。
そして、何を思ったのか、馬車に乗る直前、彼は邸の方向を振り返って見た。
三階の窓に居る私が見えた訳でもないだろうに、胸はどきんと高鳴り、握りしめた手のひらにはじわっと汗をかいていた。
さらりとした黒髪が揺れた下には印象的な緑の眼差し、遠目で見ても整った容貌は見てとれたけれど、何故だか憂いのある雰囲気を漂わせていた。
わからない。見蕩れていた私には。彼がどのくらい、名残惜しそうに、こちらを見て居たのか。
五秒のことなのか、それとも、何分かのことなのか。まるで、永遠にも思えてしまったようで。
ああ、あの人……私、すごく好き。ただ、それだけでそう思ったのだ。
馬車はいつのまにか視界からいなくなり、あの男性が誰だか知りたくて、私が階段を駆け下りれば、玄関ホールには彼を見送ったらしい寄宿制の貴族学校から帰省をしていた兄ロバートが居た。
「……お兄様! さきほど帰られた方は、どなたなのです?」
二つ年上で私と驚くほどに良く似ている兄ロバートは、慌てて階段を降りてきて息を荒げた妹を見て驚いた表情を見せていた。
ふんわりとした茶色の癖毛に、優しい榛色の瞳。そして、どちらかというと可愛らしい童顔寄りの顔。私と兄は、どちらもおっとりとした母似なのだ。
「あ……ああ。シェリル。あれは、僕の先輩のノア・ウェインだ。寮では同室なので、仲良くさせてもらっている。評判の美青年だから、お前も目を奪われたのだろう」
苦笑いをした兄は妹が見目の良い男性へ興味を持ったことを、すぐに察したらしい。
兄が揶揄った通りなので、私はそれを否定出来なかった。
少しだけ訂正するとすれば、目だけでなく心も奪われてしまった……ということだけど。
「……ノア・ウェイン様」
胸に手を当てて彼の名前を噛みしめるようにして呟けば、ロバートは小さく息をついて肩竦めた。
「ウェイン伯爵の跡継ぎで、学校でも優秀な成績を収められている。性格も真面目な方で、学校でも人気者なんだ。ああ。シェリルの嫁ぎ先には、ちょうど良いかもしれないな……それは、父上もお祖父様も、同じように思われるだろう」
この時、顎に手を当てた兄は何も意図せずにそう言った。彼にしてみれば、ただなんとなく、心に浮かんだ事実をそのまま口にしただけなのだろう。
私の心には、兄の言葉が強烈に残り続けた。
ーーーーわたしのとつぎさきにはあのかれがちょうどいい。
貴族の結婚は、政略結婚が主流だ。お互い求め合う恋愛結婚もあるにはあるけれど、この国の狭い社交界で適齢期の異性と求められて求めるという高いハードルを越えなければならない。
私のルーシャン公爵家では、兄ロバートが跡継ぎ。貴族は長子相続が原則だ。相続権を持たない私は、いつか親が認める誰かと結婚して家を出ることになる。
もしくは、夜会などの出会いの場に出掛けても求婚者が一人も現れなければ、家庭教師や修道院の道もあることもあるだろう……けれど、私のような貴族令嬢たちが一番に恐れる未来が『誰も結婚したがらないような男性』へとまるで売られるように嫁がされることだ。
暴力的な男性だったり権威的な男性であったり、何十も歳の離れた老齢の男性の後妻だったり、好んでそんな身分になりたい女性は少ないはずだ。
そういったことを考えれば、多少の条件の悪さを目を瞑ってでも『是非、僕と結婚してください』と声を掛けてくれる男性と結ばれた方が未来は明るい。
貴族の礼儀作法でいくと女性側から『是非、私と結婚してください』と言うことは、はしたないこととされる。男性側から希望してくれなければ、声を掛けてくれることを壁際でじっと待つしかないのだ。
私があのノア・ウェインと結婚したいと望むのであれば、お茶会晩餐会あるいは舞踏会のような社交場で、親交のある兄から紹介してもらい徐々に関係性を深めていくのが定石だろう。
これがもっとも良さそうな道であるし、貴族の作法では正しいやり方だった。
けれど、兄が言うにはノアは評判の美青年なのだと言う。学業も優秀で周囲からの信頼も厚いとなれば、私以外にも彼と結婚したい女の子が、周囲にたくさん居てもおかしくない。
……いいえ。もう既に彼と結婚すると狙いを定めている人も居るかもしれない……けれど、私はルーシャン公爵令嬢だ。家柄だけならば王族以外では、一番に身分が高いとされている。
貴族はわかりやすく、縦に並べられた三角形の階級社会だ。頂点に立つ公爵家に逆らう下位の貴族は居ない。
ノアはきっと、私のことが好みでなくても……私と結婚したいと思うだろう。もし、将来的に出世を狙うような打算的な男性であれば、よりそう思うことだろう。
宰相を務める祖父も父もアスニャン王国では大きな権力を持ち、ノアと兄が貴族学校で同室なのであれば、彼ら二人は気心も知れている。兄が言う通りに私の結婚相手として、彼は申し分ないのではないかと思う。
私の心の中には、強い衝動が湧き上がっていた……これをして、後先考えていないと、誰かに笑われても良い。
心の中でそれはいけないことだと嗜める自分は眉を顰める。向かい側でだからどうしたと余裕の笑顔で微笑む私も、そこには存在する。
だって、私はノア・ウェインを『政略結婚』する相手にすることが可能なのだ。
本来、貴族令嬢の結婚相手は親が選ぶ。けれど、私には幼い頃からの婚約相手が居ない。
それは、政略結婚をしたけれど今では家族として愛し合う両親が、結婚相手を自由に選ぶことが出来なかったことに起因していた。
後継ぎの兄は、政略結婚は避けられない。現に伯爵令嬢の婚約者がいる。彼女は美しくて聡明な女性だ。家柄もちょうど良く、父も母も彼女ならばと望んだ縁談相手。
けれど、家族から可愛がられている自覚のある妹の私は、社交界デビューした後に求婚者の中から好きな男性に嫁げば良いと幼い頃から言われていた。
貴族だと言うのに政略結婚をしなくても許されている。だと言うのに、これから私は、それを望もうとしていた。
それも、ルーシャン公爵家当主である祖父が、私に大層甘いことも理解しているからこそ……本当に姑息な孫娘だった。
◇◆◇
「……シェリル。どうかしましたか? もしかして、気分が優れませんか?」
白いドレスを前にして俯いていた私の顔を、背の高いノアは背中をかがめて覗き込んだ。整った顔の中には緑色の眼差し……それは、何年か前の私が何をしてでもと求めてやまなかったものだ。
そこには、彼の意志なんて無関係だと思えるほどに。激しく。
「い! いいえ。大丈夫よ。ごめんなさい。私もなんだか、緊張してしまって」
明後日には私たちの盛大な結婚式が開かれるはずの教会の控え室で、既に準備されている結婚式用の白いドレスを見ていた。
ああ、なんてこと……私はいまさら、何を後悔しているのだろう。
ノアと婚約をしたのは、三年前……結婚に向けてのすべての準備は整い、あとは明後日を迎えるだけ。
明後日、私はノア・ウェインと結婚して、いずれはウェイン伯爵夫人と呼ばれることになる。
そうなることを望んだのは自分なのに、今になって罪悪感を覚えるなんて、私はどうかしているわ。
「無理もありません。明後日は、いよいよ結婚式……シェリルはこのところ、とても大変でしたからね」
ノアは微笑んで、そう言った。何故だろう。彼はこういう何気ない笑顔にも、憂いがあるように思える。
……政略的な理由で婚約した公爵令嬢の私と、結婚をしたくなかったから?
わからない。私はずるくて臆病で傷つきたくなくて、彼に真意を聞くことはこれまで叶わなかった。
「あ……そうね。ふふ。なんだか、疲れていたみたい。駄目ね。明後日の方が大変だと言うのに」
私は貴族の慣例通り、ウェイン伯爵家女主人となる初仕事として結婚式の準備を取り仕切った。
母や華やかな従姉妹たちと相談しながら、今の流行りも取り入れて自分らしい結婚式のしつらえを選ぶことは全く苦ではなかった。
ルーシャン公爵家とウェイン伯爵家の結婚は、お互いの領地が近いこともあり、当主たちも喜ばしいと祝杯を挙げるような関係性だ。遠縁の親戚たちもお祝いに駆けつけてくるので、かなりの数の列席者になってしまう。
私たち二人はそんな盛大な式の主役で、そんな彼らに挨拶をしてまわらなければいけないのだ。
「そうですね。長い日になるでしょう。そろそろ帰りましょう。シェリルはゆっくり休んだ方が良い」
顔を覗き込んだノアはそう言って、優しく私の背中を押した。
……長い日になる。彼の言葉を受けて、私はポッと顔に熱が集まるのを感じた。
ああ。そうだ。結婚式が終われば、初夜が待っている。
肉体関係のない貴族夫婦は、夫婦として認められない。肉体関係さえなければ、婚姻無効も申請出来る。
初夜を過ごして私たちは名実ともに夫婦となり、これで貴族として一人前と認められるのだ。
ノア……ああ。ノア。私の好きな人。大好きなノアと、結婚できる事は嬉しい……嬉しいけれど、私はどうしても胸が苦しくなってしまうのだ。
政略結婚を装い、狡い手段で彼を手に入れた罪悪感で。
ノアは馬車に揺られる中でも、体調を気遣い、明後日の迎えを約束して彼は去った。
とてもとても、素敵な男性だ。三年間もの時を過ごした婚約者として、それは保証出来る。
私は彼と結婚すれば、幸せな貴族夫人として盤石な生活を送ることが出来る。
……私はノアと結婚するために、祖父へと頼み込んだ。ウェイン伯爵の息子と結婚したいから、あの家へ縁談を申し込んで欲しい……と。
当主同士が納得している政略結婚なのだから、ノアは決して断らない。いいえ。断れない。格上の公爵令嬢との縁談を、ウェイン伯爵が断るわけがないのだから。
ただ、ノアは私と、結婚したかったわけではない。本来ならば、作法無視なやり方で、私は彼のことを手に入れた。
貴族としての政略結婚と称して、家と家の事情で結婚する相手に成りすました。
……もし、私がノアのことをあまり好きではなく、親に決められた完全な政略結婚としての相手としてであれば、こんなにも罪悪感を抱かずに済んだのかも知れない。
けれど、私はノアのことが好きだ。自分で望んだことなのに、そんな彼にはまだそれを言い出せずにいる。
ノアのことが好きだからこそ、こんな卑怯な手で彼を手に入れて良いものか、どうしても……自分の中で納得させることは、難しかった。
その日の夜、私はベッドに横になり眠ろうと思った。
眠ろう眠らなければと思う度に、眠れなかった。私たちの結婚をお祝いする周囲の空気に包まれて、より罪悪感は増したかもしれない。
ひと足先に結婚した兄夫婦は実家であるルーシャン公爵家で寝泊まりして、私の結婚式の準備の手伝いをしてくれているし、昨年宰相を引退した祖父は可愛い孫娘の晴れ姿を見ることが楽しみ過ぎて、先ほどの晩餐では涙を流してしまっていた。
可愛がってくださるお祖父様に喜んでもらえることは嬉しい……嬉しいけれど、好きな人を姑息な手段で手に入れることには私はどうしても抵抗を感じていた。
……こんなこと、しなければ良かった。大きな権力を持つ祖父に頼み込んで、好きな男性を手に入れるなんて。
もっと正当な手段、兄に紹介してもらって、その上でノアが私ともっと話したいと望み、関係を深めて結婚することになれば、こんな思いを抱かなくて良かったのに。
ああ。そうよ。私ったら、何を考えているのかしら。
私はノアのことが好きだと、まだ伝えていないのよ。婚約している時も、家同士が決めたことだから政略結婚として仕方ないという態度を崩さなかった。
私はとても狡い女なのだ。
それなのに、大好きな人と結婚する……ノアは貴族の務めとして、私と結婚をするだけなのに。
「っ……はあっ……はあっ……」
息荒く起き上がった私はベッド際に用意されていた水差しを取り、硝子コップに淹れると勢い良く飲み干した。
……明後日の夜を迎えれば、私とノアは名実ともに夫婦になる。
ノアは紳士らしく、婚約者の私には手を出していない。私たちはいずれ結婚するし、口付けくらいは別に許されるだろうに、それをしないのだ。
それは、彼が私のことを妻として迎え入れることを、歓迎していないからではないだろうか。
初夜は義務としてするだろう。彼も血筋を尊ぶ貴族で後継で、間違いなく閨教育は受けているはずなのだから。
政略結婚の常として、私が後継としての長子、そして、その次の次男を産めば、私たちはお互いに別の愛人を囲うことになるだろう。
だって、お互いに愛していないはずだからだ。
結婚は貴族の義務としてするし、最も大事な仕事である血筋を残せば、あとはお互い好きにしましょう……そういった仮面夫婦が、社交界では標準とされている。
私は果たして、そんな状況に耐えられるだろうか。私はノアのことは好きだけど、彼は私を好きではない。
当然のように、愛人を囲う彼を見て、私も愛人を選び同じように無関心に出来るだろうか。
……いっそ、彼以外の人と結婚すれば、楽だったかもしれない。
「はあああ……」
額に手を当てて、大きくため息をついた。いけないわ。このままでは、眠れないままに朝を迎えることになる。
明後日は決して、失敗出来ない。家のこともそうだけど、なによりもノア、私のこれからの評判のために。
けれど、明後日が過ぎて共に暮らし始めれば、隣にはノアが眠ることになるのだ。
……彼は私に愛情を抱いているわけでもないのに。
◇◆◇
「良い天気……」
結局、あのまま眠れずに朝を迎えた私は、散歩をしたいと近くの公園にやって来た。
ここは、ノアが好きな場所だ。私たち二人はお出かけする際には、ここで歩いてから食事に出かけるのが常だった。
私はこれからどうしたいのだろう。今更、結婚を取りやめるなんて出来るはずもない。
心地良い風が吹いて、私のスカートを揺らした。ふんわりとした素材で出来たドレスは着心地が良い。けれど、これは貴族令嬢が好むような装いなので、貴族夫人になれば慎むことになるだろう。
私は公園の中にある湖を取り巻く小道を、ゆっくりと歩いていた。
傍近くに寄り添うはずの護衛騎士には、離れてくれるように頼んだ。彼らは渋ったけれど、見晴らしの良い場所を歩くのであれば……と、特別に許してくれた。
そして、ゆったりと歩く私は、目の前に信じられない光景があることを目にした。
……ノアが女性と親密そうに話している姿を、そこに見たからだ。
ドクンッと胸が大きく高鳴った。ああ……ノアは、私のことを好きではない。好きではないから、もしかして、違う女性が既に……?
そこで、ノアは不意に視線を向けた。何故だろう。彼を初めて見た時のことを思い出した。そうだ。彼はただ一瞥しただけで、私を恋に落とした。
あの時のノアは私のことなんて、認識もしていなかったのに。
ああ……私、いけない。政略結婚する相手なのよ。ここは、あら偶然ねと声をかけて、にっこり微笑んで通り過ぎなければ。
愛人くらい、当然のこと。毅然として、貴族らしく振る舞うのよ。
そうした方が良い事は、わかっていた。私たちは家の事情で結婚するのだから……だから、そうしなければ。
そうしなければ、おかしい。
頭では理解していたけれど、身体は別の反応を示した。くるりと身体を反転させて、元来た道を辿りはじめた。
私は何も見ていない。何も見ていない。これから、結婚する相手が異性と会っていたことも、決して問い詰めたりなんて……してはいけない。
だって、政略的な理由で結婚するノアは、私のことを愛していないのだから。
「……シェリル!」
急に手を掴まれて私は驚いた。どうやら、会っていた彼女を置いて、ノアが私を追いかけてきたらしい。
ああ……大丈夫なのかしら。私は本当に偶然にここに現れただけで、彼のことを尾けたわけでもない。それを、信じて貰えるかしら。
こんな状況になっても、私はノアに誤解されて、嫌われることを恐れていた。
「ノア……その、ごめんなさい」
唇と声が震えてしまった。私は彼の美しい緑色の瞳を、いつものように見る事は出来なかった。
だって、彼と彼を愛する人を引き離したのは、私かもしれない。
伯爵令息は公爵令嬢との縁談を断らない。断れるはずがない。そう思ったのは、私なのに。
ああ……なんて、罪深いことを。
「どうか、誤解しないでください。あれは、違います。シェリルが考えているような相手ではありません」
ノアはとても落ち着いた口調だ。けれど、彼は今まで私に『別の相手』が居ることを、気取らせなかった。
きっと、嘘をつくのが上手いのだ。それは、私にとって……良いことなのかもしれない。
少しでも長く、自分が見ていたいと望む幻想を信じることが出来るから。
「……ノア。私は何も見ていません。私たちは政略結婚をするのです。私はちゃんと黙っていられます。だから……」
黙っているから……黙っている。だから、ノアとの結婚相手は私だ。他の女性になんて、その席は奪わせない。
……ノアが私の夫であるならば、私は黙っていられる。
「いいえ。シェリルは誤解しています。あれは、僕の姉です……昨年、隣国に嫁いだのですが、結婚式に出席するために帰って来ていて……明日の結婚式で何か妙なことをしでかさないように、再度言い聞かせていたんです。もし、何かしたら縁を切るし、二度と会わないと」
「……え?」
そこで私はノアの目を見た。まっすぐな眼差しだ。私には何も隠していないと、言わんばかりに。
「実はあの姉と僕は、血が繋がっていないのです。彼女はウェイン伯爵家の実子ですが、僕は伯爵の弟の息子……両親が亡くなり、息子が居なかった伯父に引き取られたんです」
「まあ……そうだったの」
目を見開いた私は、そういえばノアには姉が居ると聞いていたけれど、これまでに全く会わなかったことを思い出した。異国に嫁がれたと聞いていたけれど、会う機会が合わなかったと思っていた。
ちらっと彼の肩の向こうを見れば、ノアと同じ黒髪で細い女性が、私の護衛騎士二人と共に居た。
あら……どうして? わからない。私の護衛騎士は、どうして彼女と一緒に居るの?
「姉は……従兄弟なら結婚出来るのだからと、僕と結婚すると言い出していて……僕は引き取られてからとても憂鬱でした。昨夜にも僕に結婚するなと言い出し、黙って列席するか国に帰るかという話になっていたんですが……シェリルがここに来てくれて、助かりました。僕を救う天使。いつも感謝しています」
ノアが安心するようにほっと息をついて、私の頭の中には疑問符で溢れていた。
「私が来て……助かったの?」
「ええ。姉は僕のことを異常に執着していて、さっきは結婚するなら殺すと刃物を出したところだったんです。ふと何かに呼ばれた気がして見れば、そこにシェリルの姿が」
「まあ!」
刃物ですって! しかも、義弟であるノアに懸想して……!? 信じられないわ。嘘でしょう。
とんでもない話を聞いて、口を両手で押さえた。私の護衛騎士たち……あれは寄り添っているように見えて、あの彼女を捕らえているんだわ!
「……そうなんです。僕はあの姉の支配から、幼いころから逃れたかった。シェリルとの縁談が来て、ようやく逃れることが出来て……本当にありがとう。シェリル。君はいつも僕を救ってくれる天使だ」
そこで、ノアは私を抱きしめたので、私はこれまでに知らない事実が明かされ、目を瞬かせるしかなかった。
「……あの、ノア。私との縁談が来て、貴方は喜んでいたの?」
私は震える声で、今までに聞きたかったけれど、聞けなかったことを聞いた。
「もちろんです。僕は実は、縁談が来る前に、ロバートのところに遊びに行ったことがあって……その時に、シェリルに会えるかと聞いたんですが、まだ社交界デビューも済ませていないからと、流石に会わせてもらえなくて……」
私の質問に力強く頷いたノアは、目をキラキラとさせていた。
……今までの憂鬱な表情、それはもしかして、彼が義姉からの執着に悩んでいたから……?
「そ、そうだったの……?」
確かに、ノアはルーシャン公爵家を去る時、名残惜しそうに振り返っていたわ。
あれは……ロバートの妹である私と会いたかったから?
「それが、打算的な望みであったことは、認めます。ロバートから妹はいつも可愛いと自慢されていたので……ルーシャン公爵家の娘と結婚するならば、姉は何も言えない。だから、シェリルと婚約出来たら良いのにと願っていました。そして、奇跡的にルーシャン公爵家から縁談が来て……姉が可愛い伯父も、公爵令嬢であるシェリルと結婚することを望みました」
「まあ……そ……そうだったの」
そうなのね。私、全く自覚なく、望まぬ相手と結婚させられそうなノアを救っていたんだわ。
嬉しくもあるけれど、なんだか複雑……これまで、何も知らなかったもの。
「ああ……僕の天使。どうか誤解しないでください。僕が愛しているのはシェリルだけです。支配的な姉から解放してくれて、つい先ほども命を救ってくれました」
「あの、そうです……それは、本当に良かったわ」
ええ。良かった。私はノアを大好きで、姑息な手段でもと、彼と結婚することを望んでいたのだから。
驚くような真相を目の前に、動揺をしているけれど、愛するノアを窮地から救うことが出来て、それは良かったんだわ。
「政略結婚であることは、承知しています。僕を愛していないことも……ですが、僕はシェリルを愛しているんです」
「……嘘でしょう?」
私の唇からは、そんな言葉がこぼれ落ちていた。
「嘘ではありません! どうして、そんな誤解を?」
ノアは不可解そうにしていた。だって、私は……私、そうよ。
ノアは私のことを好きではないと思って、過ごしていたわ。彼と同じように。
「けど、私に触れなかったわ。こうして、抱きしめることも、これまでは……」
「……結婚前に、僕を嫌がられては困ると思って。すみません。僕は打算的でした。反省しています」
ノアは切なそうにそう言った。もしかして、これを言えば、私に嫌われると思っている……?
そんなわけはない。だって、私は……。
「いえ。だって、私だって打算的だったもの。私は貴方に一目惚れして、祖父に頼み込んだの。政略結婚と称して、ノアを手に入れたわ」
私がそう言えば彼は、目を大きく見開いた。
ああ……私たち、互いに誤解し合っていたのだわ。嘘でしょう。もう……そういうことなのよ。
お互いに打算的だと思いながら、実のところ、互いに惹かれ合っていたのだわ。夢みたい。
「僕を手に入れた……?」
「そうなの。私はお祖父様に、お願いしたのよ。ウェイン伯爵の後継ぎと結婚したいって……だから、この結婚は私が望んだことで、政略結婚ではないのよ」
真実を告げる私の声は震えていて、どんどん小さくなっていった。恥ずかしい。こんなさもしい手段で彼を手に入れることを、本人に告白することになるなんて。
けれど、いつかはしなければいけないことだった。もし、ノアを本当に愛しく思うのなら。
「いいえ。それは、僕が望んだことを叶えてくれただけです。あの時……僕は思ったんですよ。ルーシャン公爵家令嬢ならば、誰も文句は言わない。どうか、ロバートの妹が僕を望んでくれないか……と」
ノアは私のことをぎゅっと抱きしめてそう言い、私はよくわからないけれど目隠しをしたまま幸運な偶然を手にすることが出来たことに感謝し、彼の身体を同じように抱きしめた。
Fin
どうもお読み頂きありがとうございました。
もし良かったら、最後に評価していただけましたら幸いです。
また、別の作品でもお会いできたら嬉しいです。
待鳥園子




