風のつむぎ
木かげ町の空が少し白っぽくなりはじめたある日。
風のにおいが、ほんのり冷たくなっていた。
落ち葉のじゅうたんを踏むたびに、かさり、と乾いた音がする。
秋が終わりに近づいている。
さやはそれを足音のように感じていた。
学校の帰り道、いつもの坂を下りきったところに、空き地がある。
夏のあいだは草が生い茂っていたけれど、今はすっかり枯れていて、風が通るたびにざわざわと音を立てていた。
その空き地の真ん中で、さやはなにか光るものを見つけた。
近づいてみると、それは古い糸車だった。
木でできた大きなわっかが、ところどころ削れて白くなっている。
触れると、ひやりと冷たい。
でも、不思議なことに、どこからかほんのり甘い香りがした。
「……これ、まだ動くのかな」
さやが糸車の取っ手をそっと回してみると、きゅる、きゅる、と音を立てて、ゆっくり回りだした。
そして、回るたびに。
ふわり、と白い糸があらわれた。
風に揺れるようにやわらかく、月の光みたいに透きとおっていて、手に取るとすうっと消えてしまいそうだった。
「わあ……きれい……」
その瞬間、耳の奥で、小さな声がした。
『ありがとう。見つけてくれたのね』
さやはびっくりしてあたりを見回したけれど、誰もいない。
ただ、空き地を吹き抜ける風が、どこかやさしい音を立てていた。
◇
その夜、さやは布団の中で考えていた。
糸車が、どうしてあんなに光っていたのか。
そして、あの声は誰だったのか。
「……風の中の人、なのかな」
そうつぶやいて、目を閉じた。
その夢の中で、さやはもう一度あの空き地にいた。
糸車の向こうに、薄い青いドレスをまとった女の人が立っていた。
髪は風のようにゆらぎ、瞳は空の色をしている。
『わたしは“つむぎ”』
女の人が微笑んだ。
『風の精。町の人の“願い”を糸に変えて、空へ運ぶの』
「じゃあ、あの糸は……?」
『誰かの小さな願い。見えない風の声を編んだものよ』
つむぎはやさしく糸車を回した。
そのたびに、光る糸が風のようにあらわれては、空へと舞い上がる。
『でも最近、願いが増えすぎて、糸を運びきれなくなってしまったの。風が絡まって、ほどけないの』
「……じゃあ、わたし、手伝うよ」
さやが言うと、つむぎは驚いたように目を丸くして、やがて笑った。
『ありがとう、さや。あなたなら、できると思うわ』
◇
次の日。
学校から帰ると、さやはランドセルを置いて、すぐに空き地へ向かった。
昨日の糸車は、風に吹かれながらも、ちゃんとそこにあった。
さやがそっと回すと、また白い糸がふわりと出てくる。
今度は、糸の中にうっすらと文字のような影が見えた。
おばあちゃんの手が治りますように。
なくしたボール、見つかりますように。
またあの子と笑えますように。
それは、町のあちこちで誰かが心の中で願ったことだった。
でも、言葉にはならず、風にまぎれて消えかけていた想い。
糸車は、その“かけら”を拾い集めていたのだ。
「……この糸、どうすればいいんだろう」
そのとき、つむぎの声が風の中でささやいた。
『その糸でリボンを作って。誰かのもとへ届けば、きっと願いは風に乗るわ』
「リボン……!」
さやは、糸をそっとまとめて、家に持ち帰った。
夜、机の上で光る糸を編みながら、思った。
この糸は、きっと誰かの大切な気持ち。
ならば、やさしく包んであげたい。
針を使わず、風の音に合わせて指先でくるくると結んでいく。
すると、不思議なことに、糸は自然とリボンの形になった。
それは、白い羽のように軽く、まるで息をしているみたいだった。
◇
次の日から、さやは町に出かけてはリボンを配りはじめた。
お花屋さんのおばさんには、淡いピンクのリボン。
「お花が枯れませんように」と結び目がそっと光った。
公園で泣いていた小さな子には、水色のリボン。
それを髪につけると、なくしたボールが風に乗ってころんと転がってきた。
そして、木かげ神社の境内では、見覚えのあるおじいさんがいた。
あの笛を吹いていた人だ。
「こんにちは」
「おや、さやちゃんか」
おじいさんの肩に、そっと白いリボンを結ぶ。
風が吹いて、リボンがかすかに光った。
「これは?」
「これは願いの糸だよ。また風がいい音を連れてきてくれますように」
おじいさんは笑って、もう一度笛を吹いた。
音色は前よりもやさしく、まるで秋風が微笑んでいるようだった。
◇
木かげ町を包む風が、少しずつ冷たくなっていく。
木の葉は空を舞い、落ち葉の道を渡っていく。
その夜、さやが空き地に行くと、糸車の前に“つむぎ”が立っていた。
『さや。みんなの願い、ちゃんと届いたわ』
「ほんと?」
『ええ。風はね、優しさを覚えると、ちゃんと強くなれるの』
つむぎは、糸車をひと回しした。
白い糸が光りながら空にのぼっていく。
『季節の糸が織り終わったら、風は冬を呼ぶの。もうすぐ、雪の音が聞こえてくるわ』
「……もう冬?」
さやの頬に、冷たい風がそっとふれた。
その風の中には、少しだけ甘い栗の香りがまじっていた。
『ありがとう、さや。あなたが風をつむいでくれたから、町の願いは雪の中でも消えないわ』
つむぎは、さやの髪に白いリボンを結んでくれた。
それは風に溶けて、ふわりとほどけた。
「つむぎさん、また会える?」
『ええ。春の風のはじめに』
微笑んで、つむぎは糸車とともに、風の中に消えていった。
◇
次の朝。
町の空はうっすらと白く、空気が透きとおっていた。
木かげ町の屋根の上に、初雪が静かに舞いはじめていた。
さやはマフラーを巻いて外に出る。
頬をなでる風の中で、髪の先が少しきらりと光った。
それは、昨日つむぎが結んでくれた、白いリボンの光だった。
「……ありがとう、つむぎさん」
木かげ町の上を、やさしい風が通り抜けていった。
その風は、糸のように細く、どこまでも澄んでいた。
冬のはじまりの音が、静かに鳴っていた。




