もみじ通りの絵描きさん
秋の風は、ほかの季節の風よりも、どこかおしゃべりだ。
すれちがうたびに、木の葉をさらさらと鳴らしながら、まるで笑っているように通り過ぎていく。
その日、木かげ町の空も、そんな風で満ちていた。
さやは、ランドセルを背負ったまま、家の前の通りで立ち止まった。
木かげ町の南側をまっすぐ抜ける「もみじ通り」は、秋になると町じゅうの人が見に来る並木道だ。
今ではすっかり有名で、町のシンボルにもなっている。
けれど、今日は、ちょっとだけ違っていた。
どの木の葉も、まだ緑のまま。
いつもなら橙や赤に染まっているはずの枝が、まだ夏の名残を抱えているように見えた。
風もあたたかく、空の色もどこかぼんやりしている。
さやは小首をかしげた。
「おかしいな……もうすぐお祭りなのに」
木かげ町では、秋祭りの前に「もみじ点灯式」という行事がある。
夕暮れどき、並木が一斉に紅く染まる瞬間を、みんなで見守るのだ。
その光景はまるで魔法みたいで、町じゅうが一年でいちばん静かになる時間だと、さやは思っていた。
なのに、今年はまだ緑のまま。
何かが、うまくいっていない気がした。
◇
風がひとすじ、道をなでた。
その風にまぎれて、小さな声がした。
『あぁぁぁぁ、どうしよう……! もう間に合わないよ!』
さやは目をぱちくりさせて、まわりを見回した。
誰もいない。
でも、もう一度、声がした。
『あ、君! そこの赤いランドセルの子! ちょっと、ちょっと助けて!』
声のする方を見上げると、そこには、木の枝の上でばたばたしている小さな人影があった。
茶色い帽子に、ふかふかのマント。手には筆のようなものを持っている。
「え……えぇっ!? 小人さん……?」
『小人じゃない! “秋の絵描き”だよ! 木かげ町担当の、紅葉仕掛け人さ!』
そう名乗ると、その小さな絵描きさんは木の上から飛び降りた。
ふわりと落ち葉の上に着地して、肩からかけた絵の具箱をひっくり返した。
中には、どこかで見たことのないような色のびんがぎっしり詰まっている。
「夕焼けオレンジ」
「ほおべにレッド」
「おひさまイエロー」
名前のついた絵の具たちが、きらきらと光っていた。
『毎年、ぼくがこの町の紅葉を塗ってるんだけどね、今年は大変なんだ!』
「どうしたの?」
『昨日の強風で、筆を落としちゃってさ……! おかげで色がぜんぜん塗れないんだ!』
絵描きさんは、頭をかきながらため息をついた。
『もうすぐ点灯式なのに、まだ一本も染められてないんだよ。どうしよう……』
さやは少し考えた。
「じゃあ、探そう! 筆、どこで落としたの?」
『風の丘のあたりかなぁ……でも遠いし、今は時間がない』
「じゃあ、わたしが手伝う! 筆のかわりに、別の方法で色を作ればいいんでしょ?」
絵描きさんがぱちくりと瞬いた。
『別の方法? そんなのあるの?』
「あるよ! 葉っぱの色を作るのは、秋の風と太陽と……それから、人の“思い出”でしょ?」
『お、おもいで?』
「うん! 秋は“思い出の色”だよ。だから、みんなの秋を集めれば、きっと紅葉の色も作れる!」
そう言うと、さやはランドセルを背中から下ろし、道に落ちていた葉っぱを集めはじめた。
緑の葉、黄色の葉、少し焦げたような茶色の葉。
両手いっぱいに集めると、風がふわりと吹いて、葉っぱがくるくると舞った。
『すごい……風が色を混ぜてる!』
絵描きさんが驚く。
舞い上がる葉の中に、金色や朱色の光がちらちらと浮かんでいる。
まるで空の絵の具皿みたいに、風が混ぜ合わせていく。
「ね、これを絵筆のかわりに使おう!」
『な、なるほど! “風筆”ってわけか! さすがだね、君!』
◇
さやと絵描きさんは、もみじ通りの端から歩きはじめた。
さやが風を集め、絵描きさんが瓶のふたを開けて、その風の中に秋の色を注ぐ。
風がぱっと枝に当たるたびに、木の葉がひとつ、またひとつと色づいていく。
『いけるぞ! これはすごい!』
「うん! 楽しいね!」
ふたりは笑いながら進んでいった。
道の両側の木々が少しずつ色を変え、まるで絵の具の波が広がっていくようだった。
オレンジ、赤、金色……風が踊るたびに世界が鮮やかになっていく。
けれど、だんだんと、様子がおかしくなってきた。
風が強くなりすぎて、色が止まらなくなったのだ。
『わっ!? ちょ、ちょっと待って! 風が暴走してるよ!』
「ご、ごめん、止まらない!」
風筆はどんどん勢いを増し、町じゅうの木々を次々と染めていった。
屋根も、道も、ベンチも、ポストまでもが紅葉色になっていく。
猫が赤くなり、電柱が橙に染まり、通りの向こうの商店街までまっかっか。
木かげ町は、一瞬にして“もみじの町”になってしまった。
『ああああっ! やりすぎたぁ!』
「うわぁ……きれいだけど……これ、お母さんびっくりするかも」
ふたりは顔を見合わせて、しばらくぽかんとしていた。
それでも、風に舞う赤い葉があまりにもきれいで、つい笑ってしまう。
『……まぁ、でも、悪くないかもね』
「うん。町じゅうが秋になったんだもん」
◇
その日の夜。
もみじ通りでは、予定より少し早く点灯式が行われた。
オレンジの光が木々のあいだからこぼれて、まるで炎の海のように道を照らす。
町の人たちは口々に「今年は一段と見事ね」と笑っていた。
さやはその人波の中で、そっと空を見上げた。
そこには、小さな影がひとつ、雲の上に立っていた。
秋の絵描きさんだ。新しい筆を手に、にこりと笑っていた。
『ありがとう、さや。君のおかげで、今年の秋は忘れられない色になったよ』
「ううん、こっちこそありがとう。おかげで、町が笑ってる」
風がやさしく吹いた。
さやの髪が揺れて、紅葉の葉がひとひら、彼女の肩に舞い落ちた。
その葉は、ほんの少しだけ光っていた。
◇
翌朝。
木かげ町の紅葉はすっかり落ち着いて、通りは穏やかな秋の色に戻っていた。
ポストも猫も、もとの色に。
けれど、もみじ通りの真ん中の一本だけは、ひときわ鮮やかに輝いていた。
その木の根元には、赤い葉でできた小さな封筒が落ちていた。
中をそっと開くと、絵描きさんの字でこう書かれていた。
『また来年、君の風で、色を混ぜさせてね』
さやはにっこり笑った。
風が通りを抜け、葉をさらさらと鳴らす。
それはまるで、秋そのものが彼女に挨拶しているようだった。
木かげ町の秋は、今日も静かに、あたたかく息づいている。




