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番外編 お母さんの四季ノート

 私は毎年、新しいノートを一冊買う。

 表紙は、白。

 春になったら、最初のページに季節の言葉を書き込む。

『今年も、木かげ町の春がやってきた。』

 それは、さやが生まれてからずっと続けている私の小さな習慣。

 名づけて、「四季ノート」。

 娘の成長といっしょに、町の色や風の匂い、そして目には見えないものたちの気配を残してきた。


     ◇


《春》

 ノートの最初のほうに、くしゃくしゃの折り紙が貼ってある。

 小さな手で作った、花びらの形。

 たしか、さやが五歳の春だった。

「お母さん、風が絵を描いたんだよ!」

 さやはそう言って笑っていた。

 庭に干していたシーツのすそに、光の模様がゆれていた日のこと。

 あのとき私は“ああ、この子は風の言葉がわかるんだな”と思った。

 写真のすみっこをよく見ると、ぼんやりと緑のしずくのような光が写っている。

 それが、春の精“みどり”の足跡だと気づいたのは、ずっとあとになってから。

 ノートの余白に書き添えてある。

『花びらを追いかけるように、時間は過ぎていく。』


     ◇


《夏》

 ページをめくると、そこには麦わら帽子とアイスの写真。

 さやは前歯が抜けたばかりで、笑うとちょっとおかしな顔をしている。

「お母さん、空の上でもくもくが笑ってた!」

 その声を録音した古いテープが、ノートにはさんである。

 再生ボタンを押すと、遠くでせみが鳴いて、風の音が混じる。

 “もくもくともふもふ”

 あの子がそう呼んでいた雲たちは、いまでもこの町を見ている気がする。

 写真のすきまに、小さな光の粒がいくつも写っていた。

 夏の精たちが、あの子の髪の先に宿っていたのかもしれない。

 汗のにおいも、笑い声も、ぜんぶ夏の宝もの。


     ◇


《秋》

 ページの間には、栗の葉が押し花になってはさんである。

 “くりの森のパン屋さん”の包み紙もいっしょに貼ってある。

 あの日、さやは町のおじいさんのために、消えるパンを探しに行った。

 帰ってきたとき、夕焼けの中でパンのかけらを持っていた。

 「おじいさん、泣いてたけど笑ってたよ」と言って。

 ノートの端に、パンくずがまだ少し残っている。

 それを見つけたとき、私は涙が出そうになった。

『秋の風は、思い出のにおい。』

『見えない誰かが、この町をやさしく包んでいる。』

 その横に、小さな茶色の足跡のようなものが押されている。

 たぶん、あれは“風のつむぎ”が通った跡だ。


     ◇


《冬》

 冬のページは、ほかのどの季節よりも静か。

 写真も少ない。

 でも、一枚だけ。雪の日のさやが空を見上げている写真がある。

 片手に赤い手袋を持って、もう片方の手を伸ばして。

 あのとき拾った手袋の片割れ。

 「もう片方を持つ人に出会うのを待ってたんだよ」と、笑っていた。

 私はそのとき、あの子が誰か見えない友だちと話しているように感じた。

 でも、それが不思議じゃなくなっていた。

 木かげ町では、そういうことがよくあるのだ。

 冬は静けさの中に、次の春の音を隠している。


     ◇


 ノートの最後のページには、「春を待つ町」と書かれている。

 去年の冬の終わりの日、さやが欅の木の下で芽を見つけたときのこと。

 「また、会えるよね」と言っていた。

 そのときの写真。

 手のひらの上で小さな芽が光っている。

 でも、あとで現像して気づいたの。

 光のそばに、もうひとつ、淡い影がある。

 まるで小さな妖精が「うん」とうなずいているみたいだった。


     ◇


 私はページを閉じて、ノートの表紙をなでた。

 このノートの中には、見えないけれど確かにあった“季節たちの足跡”が残っている。

 花の香り、風の音、木漏れ日のゆらぎ。

 そのすべてが、さやと私の毎日をやさしくつないできた。

 もうすぐ、さやは中学生になる。

 ランドセルを背負って駆けていた背中が、少しずつ遠くに見えるようになった。

 でも、ページを開けばいつでも会える。

 四季ノートの中で、あの子は笑っている。


     ◇


 夜。

 さやが寝静まったあと、私は新しいノートを机に置いた。

 まだまっ白な表紙。

 だけど、もう知っている。

 この町には、目には見えないけれど、確かに優しさがある。

 風のポストも、雲のともだちも、季節の精たちも。

 私はペンを取り、最初のページに書いた。

『春の光の下で、今日も笑顔が咲いています。』

 その瞬間、窓の外で風がそっと鳴った。

 カタン、と小さな音がして、机の上に一枚の花びらが落ちた。

 それを拾って、ノートの最初のページにはさむ。

 春の香りが、ほんのすこしだけ残った。

 私の四季ノートは、今日もつづく。

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