番外編 風のポスト
木かげ町のはずれに、一軒の空き家がある。
古いけれど、屋根はまだしっかりしていて、庭には季節ごとの花がこっそり顔を出している。
だけど、人の気配はもうずいぶん長いことなかった。
木の門のそばに、小さな赤いポストが立っている。
少し錆びていて、差し口のふたもかたくなっていたけれど、風の日だけ、そのポストが“カタン”と鳴る。
◇
その日の木かげ町は、春と夏のあいだみたいな風が吹いていた。
さやは学校の帰り道、道ばたのシロツメクサを編みながら歩いていた。
そのとき、ふっと横の道から白い紙が舞ってきた。
「……手紙?」
拾い上げると、それは少し古びた封筒だった。
宛名のところには、やさしい字でこう書かれていた。
『木かげ町のだれかへ』
切手は貼られていない。
でも封のところには、小さな風のマークが押されていた。
「風の手紙……?」
さやは少し考えて、ふと思い出した。
町の西はずれにある、あの空き家。
“風のポスト”と呼ばれている場所だ。
「もしかして、そこに届けてほしいのかな」
さやは封筒を大切に胸に抱え、坂道をのぼっていった。
◇
空き家は静かだった。
でも、まるで誰かが「おかえり」と言ってくれたみたいに、風がそっと門を開けた。
庭にはスミレとたんぽぽ、そして木の陰には名も知らない白い花が咲いていた。
ポストは門の横。
赤い色はすっかりあせていたけれど、どこか懐かしいぬくもりがあった。
さやは封筒を見つめ、そっと投函口に入れた。
カタン。
その瞬間、風がひとつ吹いた。
さやの髪がふわりと浮かび、耳のすぐ近くで小さな声がした。
『ありがとう』
「え……?」
振り返ったけれど、誰もいない。
ただ、ポストの中からかすかな光がもれていた。
恐る恐るのぞいてみると、中にもう一通の封筒が入っていた。
今度は淡い桃色の紙。
宛名にはこう書かれていた。
『春より 木かげ町のさやへ』
◇
封を開けると、風の香りがふわっと広がった。
手紙の中には、小さな花びらが一枚だけ入っていた。
そして文字が、ひとことだけ。
『花たちは笑っているよ。ありがとう。』
「春さんからの……お返事?」
さやは胸の中があたたかくなった。
あの日、“花びらの手紙”を拾って風に乗せたことを思い出す。
もしかして、あのときの春の精“みどり”が書いたのかもしれない。
「お返事書いてもいいのかな」
そう言って、さやはランドセルからノートを取り出した。
小さな紙を破って、鉛筆で書く。
『ありがとう。木かげ町のみんなも元気です。
またあそびにきてください。』
そして、もう一度ポストに入れた。
カタン。
風がやさしく舞い上がり、庭の白い花を揺らした。
◇
次の日。
木かげ町の空は、すこしだけ夏の色をしていた。
さやがポストをのぞくと、今度は青い封筒が入っていた。
宛名はこうだ。
『夏より 木かげ町のさやへ』
封を開けると、かすかに潮のにおいがした。
中には、水のしずくが一粒。
それはまるで光を閉じ込めた宝石のようだった。
『海も川も笑ってる。せみたちのオーケストラも、もうすぐ始まるよ。』
「せみのオーケストラ……!」
あの真夏の朝を思い出して、さやはくすりと笑った。
「ありがとう、夏さん」
その声にこたえるように、空の上から遠くもくもくの影がのびた。
少しだけ、風が強くなった。
◇
その次に届いたのは、茶色の封筒だった。
『秋より 木かげ町のさやへ』
封を開けると、色づいた小さな葉っぱが一枚。
そして、やわらかな文字。
『風がくるくる回って、葉っぱたちが笑いながら踊ってる。
木かげ町は、いまいちばんきれいな色をしてるよ。』
さやはその葉っぱを拾いあげて、手のひらの上でそっと回した。
すると、不思議なことに葉っぱがひとりでにふわっと宙に浮かんで、風にのっていった。
「またね」
葉っぱが空に消えた瞬間、木かげ通りのあたりで赤い光がひとすじきらめいた。
まるで絵描きさんが筆をひとふりしたように。
◇
冬の日の午後。
空は灰色で、吐く息が白くなる。
でも、木かげ町の空気はどこかあたたかかった。
さやが空き家に行くと、ポストの前で風がくるくる回っていた。
小さな雪の粒をいくつも巻き上げて、まるで踊っているみたいに。
「こんにちは」
さやが声をかけると、ポストの中からカタンと音がした。
中に入っていたのは、真っ白な封筒。
『冬より 木かげ町のさやへ』
封を開けると、中には綿のような雪の結晶がひとつ。
そして、たったひとこと。
『春を、すこし分けてね。』
「春を……分けて?」
さやはポストのそばにしゃがみ込み、両手をこすりあわせた。
手のひらのあいだに息をふっと吹きかけて、小さなぬくもりをつくる。
「これ、あげるね」
手のひらをポストにかざすと、風がくるくると集まってきた。
雪の結晶がそのぬくもりにふれた瞬間、ぱっと光って消えた。
そのあとに、風の声が聞こえた。
『ありがとう。木かげ町は、もうすぐ春になるよ』
◇
それからというもの、さやは季節が変わるたびに“風のポスト”を訪れるようになった。
春の風の日、夏の夕立のあと、秋のはじまり、そして冬の静けさの中で。
ポストは必ず、手紙をひとつだけ届けてくれた。
送り主は、いつだって季節たち。
どの手紙にも、たったひとつの共通した言葉が書かれていた。
『見ていてくれて、ありがとう。』
◇
ある日の午後。
風はそよそよと優しく吹き、空にはもくもくともふもふの姿があった。
さやは家の庭で、今日もポストに向かって小さな手紙を書いていた。
『こちらこそ、ありがとう。』
『また、会える日を楽しみにしています。』
風が通りすぎて、ポストのふたが軽く鳴った。
カタン。
音のあと、空の上でふたりの雲がくすくす笑った。
木かげ町の空に、手紙は今日も届く。
風が運ぶそのひとことが、町じゅうを包んでいく。
『ありがとう。』
『またね。』
それは、季節と少女が交わし続ける、
終わらないやさしさの往復書簡だった。




