星の音がきこえる
夜が早く降りてくる季節になった。
木かげ町の空は、昼のあたたかさをすっかり手放して、澄んだ冷たさをまとっている。
その日、夕方からしんしんと曇りはじめ、夜になるころには、星がひとつも見えなくなった。
雲は重く、空を覆って、まるで世界をふたで閉じたみたいだった。
「……星、見えないね」
さやは家の窓辺でつぶやいた。
いつもなら、台所からこぼれる明かりが通りを照らして、向かいの家の窓にもオレンジの灯がともっている。
けれどその夜は、ひとつ、またひとつと、灯りが消えていった。
まるで夜そのものが、町の中に溶けこんでいくみたいだった。
「なんだか、静かすぎる……」
遠くの電灯がひとつ、ふっと消えた。
風の音もしない。雪の足音も聞こえない。
世界が息をひそめているようだった。
◇
次の朝になっても、空は晴れなかった。
学校へ向かう坂道も、町の広場も、薄い灰色の光の中に沈んでいる。
木かげ川の水面さえ、いつもより色をなくして見えた。
「……星たち、どこに行っちゃったのかな」
さやは、心の中がぽっかり空いたような気がしていた。
夜空が見えないだけで、こんなにも寂しいものなんだ。
そんな思いが胸の奥に広がっていく。
放課後、帰り道の途中。
ふと、古い雑貨屋の前を通りかかった。
その店はもうずいぶん前から閉まっていて、窓には白い布がかけられ、看板の文字も消えかけている。
けれど、ドアのすき間から小さなきらめきが見えた。
「……?」
さやはそっと扉を押した。
鍵はかかっていなかった。
中は、ほこりの匂いと古い木の香りが混ざっていて、時が止まったように静かだった。
棚の上に、小さな箱が置いてあった。
丸い金属の蓋には、うすい星の模様。
手に取ってみると、箱の底には小さなゼンマイがついている。
オルゴールだ。
「これ……まだ鳴るのかな」
さやは、ためしにねじをゆっくり巻いてみた。
カチ、カチ、カチ……
やがて、かすかな音が流れはじめた。
最初は頼りない響きだったが、少しずつ広がっていく。
その音は、どこかで聴いたことがあるような、懐かしい旋律だった。
やさしくて、すこし切なくて、まるで夜空のどこかで星たちが歌っているみたいな。
「……これ、“星の歌”だ」
小さな声でつぶやいたとたん、空の色が変わった。
◇
音が流れた瞬間、曇り空の上で、何かがゆっくりと動いた。
もくもくと友だちの雲だった。
「……あっ!」
さやは外に飛び出した。
冷たい風が頬をなで、空の雲のあいだからふたつの影が降りてくる。
「もくもく! それにお友だちも!」
ふたりの雲が、うれしそうにくるくると回りながら地上へ近づいてきた。
もくもくは少し大きく、もふもふは丸くてやわらかい。
ふたりの姿を見たのは、秋の夕立以来だった。
「久しぶりだね。わたしはもふもふ」
「ひさしぶり~! さや、また会えたね!」
雲たちは声を弾ませながら、さやのまわりをぐるぐると回った。
「あのね、空がずっと曇ってるの。星の音も聴こえないし、町の灯も消えちゃって……」
さやが言うと、もふもふがしょんぼりと形をしぼませた。
「やっぱり……ちょっと眠りすぎちゃったのかも……」
「え?」
「星たちの歌を運ぶ風を、俺たちが止めちゃったんだ」
もくもくがうなずいた。
「雲の上で冬の雲たちが集まってね、ちょっとみんなで眠る前に“光を閉じこめよう”って話してたんだ。でも、それが思ったより長くて……」
「それで、星の歌が届かなくなっちゃったんだね」
「うん。でも、今のオルゴールの音で、俺たち目が覚めた」
もくもくが、ふわっと体をふくらませる。
オルゴールの音色はまだやさしく響いていて、どこか遠くから星の光の粒が少しずつこぼれてくるようだった。
「これ、星たちの歌とつながってるんだね」
「そう。あの旋律は、星たちの“拍”なんだ」
「拍?」
「ひとつの星がひと息つくたびに、音が生まれるんだよ。空の上では、それが“歌”になる」
もくもくが、静かに言った。
「さや、オルゴールをもう少しだけ回してくれるか?」
「うん!」
さやはゼンマイをもう一度巻いた。
チリ……チリ……と音がして、ふたたびメロディが流れ出す。
その瞬間。
空の上から、まるで雲が裂けるように光が差しこんだ。
灰色の空の奥で、見えなかった星たちが少しずつ顔を出していく。
町の屋根、通りのランプ、窓の明かり。
ひとつ、またひとつと灯がともりはじめた。
「やった……!」
もふもふが歓声を上げる。
もくもくは空を見上げて、深く息を吸いこんだ。
「星たちの声、戻ってきたな」
空のどこかから、やわらかなハーモニーが流れてきた。
それは風のようでもあり、水のようでもあり、あたたかな心臓の音のようでもあった。
◇
しばらくのあいだ、三人は黙ってその音を聴いていた。
星の歌は、言葉にならないやさしさを持っていて、聴いているだけで心があたたかくなった。
やがて、オルゴールの音が小さくなっていった。
星たちの歌も、静かに遠のいていく。
「ありがとう、さや」
もくもくが、やわらかく言った。
「俺たち、また空へ帰るよ」
「うん。また会える?」
「もちろん」
もふもふが笑った。
「次は、春の風といっしょに!」
ふたりの雲は、光をまといながらゆっくりと上昇していく。
その後ろ姿を見上げながら、さやは手を振った。
空の端で、星たちの光がふたつの雲の形を包みこみ、まるで拍手をするように瞬いた。
◇
夜。
さやは、机の上にオルゴールを置いた。
ゼンマイを少しだけ巻くと、またあの星の歌が流れ出す。
カラン、コロン……
窓の外、空には星がびっしりと並んでいた。
ひとつひとつが息づくように輝いている。
「もくもく、もふもふ。ちゃんと聴こえてるよ」
小さくつぶやくと、どこか遠くで風が答えるように吹いた。
オルゴールの音に合わせて、星たちがまたひとつ、瞬いた。
やがて、その音は夢の中へと溶けていく。
静かな夜の中で、木かげ町はゆっくりとまばたきをするように灯をともしていた。
星の音がきこえる。
それはきっと、“やさしさ”が空を渡る音。
そして、それは誰かの心に届いた小さな歌なのだ。




