雪のてぶくろ
その朝、木かげ町はすっかり白い世界に変わっていた。
夜のあいだに降った雪が、屋根や道や木の枝をまっしろに染めている。
足を踏み出すたびに、「きゅっ」と音が鳴った。
さやは、手袋をはめながら外に出た。
空から落ちてくる雪のかけらが髪の上に乗って、すぐに溶けていく。
「わぁ……すごい雪だ」
吐いた息が白く、ふわりと空にのぼっていった。
家の前の道も、木かげ坂も、すべてが静けさで包まれている。
風の音も、鳥の声も、遠くの鐘の音も、すべて雪の膜に吸いこまれていくようだった。
さやは手をこすり合わせて、両手をあたためた。
けれど、雪玉を作って投げているうちに、片方の手袋がいつのまにかどこかへ転がっていってしまった。
「……あれ? 手袋が、ない」
あたりを見渡しても見つからない。
さやは雪の上にしゃがみこんで、手の跡を追いかけてみた。
すると、足跡の向こうに、人の影があった。
真っ白なコートを着た、小さな女の子。
雪よりも白い髪に、淡い水色のリボン。
その手に、見覚えのある赤い手袋が握られていた。
「それ……!」
さやが声をかけると、女の子は振り返った。
頬は雪のように白く、目は氷のかけらみたいに透きとおっていた。
けれど、その瞳の奥にはやわらかな光が宿っている。
「これ、あなたの?」
「うん。ありがとう、拾ってくれたの?」
「うん。雪の中で、待ってたの」
女の子はそう言って、にっこり笑った。
「待ってた?」
「この手袋をね、もう片方を持ってる人と出会うのを、ずっと待ってたの」
さやは目をぱちぱちさせた。
女の子の右手には、確かにもう片方の赤い手袋がはめられている。
左右でまったく同じ模様。それは、さやのものとおそろいだった。
「え……じゃあ、あなたも、この手袋持ってたの?」
「うん。風が運んできたの。きっと、もうひとつの持ち主がいるって思ってた」
「……風が?」
女の子は小さくうなずく。
雪の結晶が彼女の髪にふれて、光の粒になって消えていった。
「わたし、ユキノ。雪の精なの」
「雪の……精?」
「うん。冬のあいだ、木かげ町の雪を見守るのが仕事」
「じゃあ、いつも空から見てるの?」
「そう。でも今日は、降りてきたの」
ユキノは、両手に赤い手袋を掲げた。
「これを返すため。そして、あわせるため」
「……あわせる?」
「うん。見て」
ユキノは、さやの手を取った。
さやの左手の手袋と、ユキノの右手の手袋。
ふたつがぴたりと触れた瞬間、指先に小さな光がともった。
雪の上に、淡い光の輪が浮かび上がる。
その中で、雪の結晶たちがくるくると舞い、ふたりの周りをやさしく包みこんだ。
「……あたたかい」
「ね。雪の光は、冷たいけど、やさしいの」
ユキノはそう言って、手袋の境目をそっとなでた。
すると、そこから白い糸がほどけるようにのびて、空の方へ溶けていった。
「この手袋、ふたつがそろうと、冬の空が見えるんだよ」
「冬の空?」
「うん。雪の上からじゃなくて、“雪の中”から見る空」
ユキノが手を上げると、光がふわりと舞い、まるで世界が裏返るように景色が変わった。
◇
そこは、雪の中の世界だった。
空が透きとおっていて、白の中にいくつもの光の層が揺れている。
風は音を持たず、でも、やさしいリズムを奏でているようだった。
雪の結晶たちは、まるで小さな妖精のようにひとつひとつが呼吸している。
「わぁ……きれい……!」
「ここはね、願いが眠るところなの」
「願い?」
「うん。雪の中には、人の心の奥にある“静かな願い”が眠ってるの。誰にも言わなかったけど、たしかに心の底で思っていること。たとえば、誰かの笑顔がもう一度見たいとか」
ユキノの声が、雪の音に溶ける。
「だから、雪が降る日はね、たくさんの願いが空から降ってくる日でもあるの」
「……それって、風の糸車の糸と、ちょっと似てるね」
「風の……?」
「ううん、なんでもない!」
さやは少し笑った。
風のつむぎのことを思い出していたのだ。
「さや」
「うん?」
「あなたの願いは、なあに?」
ユキノが、手袋を合わせたまま、そっと尋ねた。
「……うーん」
さやは少し考えてから、空を見上げた。
白い空の向こう、淡く滲む光が重なって、どこまでも広がっている。
雪の音が、心の中にまでしみこんでくる。
「……また、春に会いたい。みんなに。風にも、花にも、雲にも。木かげ町が、ちゃんと春を迎えられますように」
ユキノは微笑んだ。
「うん。素敵な願いだね」
ふたりが見上げた空の奥で、光の粒がやさしく瞬いた。
◇
気がつくと、さやはいつもの道に立っていた。
雪はやみ、あたりは静かだった。
けれど、空には薄い虹色の光が漂っていた。
自分の手を見下ろすと、赤い手袋の中で指先があたたかかった。
手袋の境目には、ほそい白い糸が一筋、残っている。
それはまるで、雪の中の記憶のように光っていた。
さやは空を見上げた。
「……ありがとう、ユキノ」
その声に答えるように、風がふわりと吹いて、粉雪を舞い上げた。
小さな結晶が陽の光を受けて、まるで笑っているように輝いた。
そのどこかに、ユキノの笑顔がまざっている気がした。
◇
その夜。
木かげ町の空には、まるい月が浮かんでいた。
窓の外で雪がきらきらと光るたびに、さやはあの手袋を見つめた。
片方は、自分のもの。
もう片方は、雪の精のもの。
ふたつが合わさることで、ひとつの“ぬくもり”になった。
冬の中にも、あたたかさはある。
冷たさの中にも、やさしさは生きている。
手袋を胸にあてると、指先の奥で小さな光が灯った。
「……おやすみ、ユキノ」
雪の降る音が、まるで子守唄のように、静かに部屋を包みこんでいった。




