#1 変わり者の私
親がいなくて可哀想と言われた事がある。
両親も祖父母も親戚もいない。
所謂、天涯孤独ってやつ。
両親を亡くした頃、まだ幼かった私は、故郷である福岡県の北部にある児童養護施設に入れられた。
あの町は素晴らしい。
アメリカよりも自由が溢れているから。
朝はババアが庭のベランダで大麻を育て、昼はバイクに跨るヒャッハーが町を凱旋。
夜は銃声と怒声が飛び交い、たまに手榴弾の爆音が鳴り響く。
そんな修羅の国(脚色はあるけど)の施設に入れられた私。
それはお淑やかで、品行方正な大和撫子に育った。
『男も大人も私様に従えッ! ここでは私様が法律だァァッ!』
『私様のプリン食った奴出てこい! イチモツ引き千切って墓石におっ立てんぞオラァッ!』
『何が神様の罰が当たるだよ! 見ろ、聖書を燃やした私に天罰が下ったか!? この世界に神なんていない! いいか、私が神だァァーッ!』
けれど中学卒業と同時に施設を追い出され、私は東京の会社で働く事になった。
まあ、心身が成熟した今なら理由はよく分かる。
渋谷にある小さな音響制作会社。
そこで私は全てを学んだ。
天性なのか、昔から比較的なんでも出来た私は、次々と大きな仕事を貰えるようになった。
「またクライアントからメール来た……仕事に関係ねーメールすんなっつーの」
2007年──夏。
東京23区の某所ビル3階、社内オフィス。
有限会社ガンマ・フォーラム。
「音彩さーん。この英語字幕データ、こっちでスポッティングしちゃうよ?」
「あー、了解。箱割りだけお願い。後はこっち送っといて」
パソコンの前で画面と睨み合う女が一匹。
これが私、黒埜音彩。
黒いネクタイシャツを着たピチピチギャルの21歳。
音響や映像の制作会社で、映像作品の字幕翻訳や校正を担当している正社員だ。
「かー、終わったぁ……んじゃ、お疲れ様っす〜」
「お疲れ様で〜す」
アメジストのインナーが入った黒紫色の姫カット。
全身ピアスで穴だらけ。
チョーカーと指輪はマストアイテム。
タバコも1日最低1箱は吸う。
こんなナリでも、仕事が出来れば誰も何も言わなくなるんだから、結果っていうのは大事ね。
「ん、何?」
東京区内にあるマンション。
その自宅前で立っていた見知らぬ男は、いきなり私に話しかけてくる。
名刺を見て、児童相談所の職員という事が分かった。
「黒埜音彩様ですね。単刀直入にお願いします。亡くなったお姉様の5歳の子供──白依奏君を引き取ってほしいんです」
開いた口が塞がらないとはこの事だ。
私に姉がいたのなんて知らないし。
しかも死んでるし。
挙げ句、子供を引き取れってオイ。
「証拠という訳ではありませんが、これが写真です」
うわ、マジだ。
写メに写ってたのは両親と見知らぬ女の子。
多分、この女の子が姉なんだろう。
襟足長いし眉毛がない。
親の事は聞かされてこなかった。
幼い頃、黒い服を着た大人達が死因がどうのとか、ごちゃごちゃ言っていたのも聞いていなかったし。
でも多分、事情がロクな事じゃないのは察していた。
というか、今ハッキリしたって感じ。
なんだよ実は姉がいたって。
「戸籍を辿った所、響希さんには妹さんがいらっしゃる事を確認しまして。そこで私共は、是非黒埜様に未成年後見人になっていただきたく──」
「ちょ、待って下さい。いきなりすぎて話が……ていうか、なんで私なんすか」
男は小さく俯き、無言で1枚の紙を渡してくる。
そこには様々な名前がリスト化されていた。
姉の白依響希、死亡。
夫の白依剛、逮捕。
祖父母、連絡付かず──私の名前以外全てにバツ印が付けられていた。
なんだよこれ、本当にロクな家族がいないな。
ていうか名前にバツ印すんなよ。
ホラーサスペンスかっての。
「このように両親共に親権執行不能でしてね。そこで私共が黒埜様を親族として見つけ、家庭裁判所に後見開始を申請させていただきました」
「な、何を勝手にっ」
「黒埜様の経済力ならば、十分に養育可能かと思われます」
経済力って……はぁ、どこで調べたんだか。
正社員とはいえ給料は安い方だ。
イイ所でバイトしてる大学生とかに全然負ける。
まあ恋人もいないし?
金のかかる趣味もないから?
ガキが1匹増えてもギリ問題はないだろうけど?
でも余裕は必要じゃないかな。
使いはしないけど、一応取っておきたいっていうか。
将来使う機会があるかもしれない自己投資のお金を、腹を痛めた訳でもない子供の為に使える程、私の道徳心って養われてたっけ?
「ただ、もしお断りするならば、奏君は児童養護施設へとお返します。強制力はありませんから……」
「……」
嫌な事を言うねえ。
タバコに火を付け、夜空に向かって煙を吐く。
その子は私が断れば施設に入れられる……と。
親が欲しくなかったと言えば嘘になる。
学校でも、親がどうのこうのって愚痴る友達が羨ましいと思っていた。
夜に絵本を読んで抱っこしてもらったり。
弁当の具材で揉めたり。
学校に行きたくないと言ったり。
ママに内緒でパパに映画に連れて行ってもらったり。
そういう家族らしさが羨ましいと思っていた。
施設は別に嫌な場所じゃない。
幸せだったし、大人達は何不自由なく育ててくれたしね。
他の子供達とも仲は良かった。
でも、施設の人を家族だと思った事は一度もない。
家族だと言われたけど、内心は違うって思ってた。
親じゃなくて、勤務時間の中で分け隔てなく愛してくれる大人。
兄弟姉妹じゃなくて、寝食を共にする数年間だけの友人。
その程度の認識だった。
皆は優しかった。
けど、私を抱きしめてくれた人は1人もいなかった。
誰かを独り占めできる時間なんてなかったから。
それが集団生活だって分かってたけど。
結局、全員家族の代わりでしかなかったんだ。
「ふう……今、ここで少し考えさせて」
「はい、もちろん」
やっぱ、どうしても自分と重ねてしまう。
ここで突っぱねたら、その子は一生、家族の愛情を知らないまま生きていく事になる。
親がいなくても死にはしない。
そういう意見は理解はできるし、頭の片隅に存在もする。
でも、受け入れられるという選択肢がある中で、この話を断ってしまったら、きっと生涯後悔する事になる。
ババアになってからが特に響きそうだ。
救えた子供がいたのに、どうしてあの時の私は……と。
受け入れずに後悔するなら、受け入れて後悔した方が絶対いいに決まっている。
やるか、やらないかの話でもないのかも。
これが大人としての責務ってヤツなのかもしれない。
「……分かった。引き受けますよ。後見人でも養子でも何でもやってあげる」
「ありがとうございます! では、早速ですが書類手続きを──」
戸籍謄本、身分証明書、収入証明。
私は言われるがままに煩雑な書類手続きを終える。
そして家庭裁判所に後見開始の申立書を提出し、これで手続きは終了。
「あーあ。相手もいないのに、21歳でフダツキか」
暫く経ったある日の休日。
児童相談所から連絡がくる。
いよいよ引き取り日らしい。
お気に入りのパンク服に身を包み、区内にある相談所へ向かう事に。
「顔も知らなかった姉の5歳の子供ねえ……どんなクソガキなんだか」
私はタバコの吸い殻を捨て、マンションを出発した。
2007年の夏──今日は晴れのち曇り。
いつもより響く私の足音は、渋谷の喧騒に溶けていくのだった。




