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それからしばらくして、ノクス様が目を覚ました。
(あら、もうお目覚めなのね?もう少しこの美しい寝顔を堪能していても良かったんだけれど)
金色の瞳がゆっくりと開かれる。
その瞳がこちらを捉えると、彼は静かに瞬きをした。寝起きのせいか、普段よりも柔らかな印象を受ける。その表情が、さっきまでよりもいくらかスッキリして見えたことに、私はほっと胸を撫で下ろした。
「よく眠れましたか?」
私の問いに、ノクス様は少しだけ考えるように間を置いてから、ぽつりと答えた。
「……アイリスの近くにいると、なんだかよく眠れるような気がします」
思わず微笑んでしまう。そう言ってもらえるのが、なんだか嬉しい。
「それは良かったですわ」
すると、ノクス様はふと遠くを見るような表情になった。
「……今まで、あまり深く眠ったことがなかったので」
私が黙って続きを促すと、彼は淡々と語り始めた。
「今までは仕事に追われてばかりで、気を失うように数時間眠ることが多かったのですが……。ちゃんと眠ってみると悪夢を見ることがほとんどで……飛び起きることもしょっちゅうだったから、そもそも寝ることが好きではなかったんです」
ノクス様の表情は至って淡々としている。それがかえって、彼がどれほど過酷な日々を過ごしてきたのかを思い知らされるようで、胸が締めつけられる。
(全く、この人はどれだけ大変な日々を過ごしていたのかしら……)
「でも……」
彼は続けた。
「アイリスに出会ってから、休みましょうと誘われることが増えました。そうして、ふとした時に眠くなることが多くなったのです。それに、夜にきちんと眠れるようにもなった。悪夢を見ることも、以前よりは少なくなった……梅雨の時期はやはり見てしまいましたが」
最後の言葉には、わずかに自嘲の色が混じる。
しかし、それでも以前よりも良くなっていることが分かり、私は少し安堵した。
これまで、ノクス様が休みの日はノエルと三人で川の字になって寝ることが多かった。しかし、それ以外の日は別々の部屋で寝ることがほとんどだった。私はノエルと一緒に寝ることもあったし、ノエルが自分の部屋で眠るときは、一人で眠る日もあった。
(ノエルも最近一人で寝れるようになってきたしね……それなら)
「じゃあこれからは、毎日一緒に寝ましょうか?」
ふと、そう提案してみる。
ノクス様は一瞬、驚いたように目を見開いた。
しかし、次の瞬間には、じんわりと表情が綻びる。
「……いいのでしょうか?」
その声には、明らかな嬉しさが滲んでいた。
「ええ、もちろん」
私が笑顔で頷くと、ノクス様の目が柔らかく細められる。
(……可愛い。本当に可愛い)
そう思った私は、よしよし、と言わんばかりにノクス様の頬を撫でた。
「これからは、毎晩一緒に眠りましょうね」
笑顔でそう囁くと、ノクス様はほんの少し赤くなりながら、ゆっくりと目を伏せた。
◇ ◇ ◇
「さて、そろそろ仕事をしなければ」
そう言って、ノクス様がゆっくりと立ち上がった。だが、私はそれを許さない。
「今日の仕事はもちろん無しです」
さらりと告げると、ノクス様は驚いたようにこちらを見た。
「……無し?」
(なんかこのやりとり毎回してる気がするわね……)
仕事は無し、やってはダメという度に驚きの表情を浮かべる彼に笑ってしまう私。続けて彼にこう言った。
「ええ。すでにジェラールと私で片付けてありますもの。今日絶対にこなさなければならない仕事はありません」
「そんな……あれだけあった仕事を?」
「正直、結構な量がありましたので、昨日は私も頑張りましたわ」
そう言うと、ノクス様は少し申し訳なさそうな表情を浮かべ、ぽつりと「……ありがとう」と呟いた。
「なんてことないですわ」
私は笑って答える。
(ノクス様でないとこなせない仕事は残っているのだし、私にできることなんて高が知れているのだけれど。それでも疲れて帰ってきたこの人が絶対にしないといけないものは無くしているし、ちゃんと休んでもらわないとね…)
「それより、せっかくのお休みなのですから、少し外の空気でも吸いましょう」
そう促し、私たちは部屋を出て廊下を歩き始めた。
◇ ◇ ◇
廊下の向こうから、ちょうどレオが歩いてくるのが見えた。
「閣下、お戻りになられてたんですね」
朗らかに声をかけるレオに対し、ノクス様は若干気まずそうな顔をしながら、短く「ああ」とだけ返した。その反応に、私は小さく笑みをこぼす。
「そうだ、レオ。ノクス様ったら貴方に嫉妬していたみたいよ?」
私がさらりとそう言うと、レオは目を瞬かせた後、すぐに苦笑した。
「いやいや、それはないでしょう」
「最近私たちがやけに一緒にいることが多かったからって」
「あ〜まぁ確かにそれはそうかもしれないけど、まさか……」
レオは困ったように頭を掻きながら続ける。
「俺に対してそんなこと思う必要なんてないですよ。姫さんのことは主君としても友人としても尊敬していますし、好きではありますが……俺たちの間に恋愛感情なんて一度もありません。それに——」
そう言って、レオはノクス様の方を真っ直ぐ見つめる。
「俺が今までずっと姫さんの近くにいた中でも、ここまで愛情を表す相手は閣下とノエル坊ちゃんだけです。だから安心してください」
その言葉に、ノクス様の目が大きく見開かれる。
「……そうなのですか?」
疑うように問うノクス様に、私は小さく微笑んだ。
「それに」
少し言葉を切ってから、私は続けた。
「レオが好きなのはヴィヴィだものねぇ?」
それに驚くノクス様とは対照的に、レオははっと渇いた笑いを漏らす。
「……その通りですよ。なので閣下が俺なんかに嫉妬する必要性は全くないんですよ」
ヴィヴィもまた、私の幼馴染の一人。そして、幼馴染同士である彼らは、恋人同士でもあった。




