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自室に戻ると、すでに情報収集を終えたらしいアンドレアが私たちを出迎えてくれた。
「姫様、おかえりなさいませ」
「えぇ、アンドレアもおかえりなさい」
アンドレアは、ノエルを抱えて帰ってきた私を見ても特に顔色を変えずに言った。
「すでにお風呂の用意は整えておりますが、どうされますか?」
「流石だわ、アンドレア!お風呂にしましょう」
一緒に行動していなかったのにキッチンでノエルにあったことを知っているらしい。
私は抱っこしたままノエルに話しかけた。
「さぁノエル、ご飯の前に綺麗にしてきましょう?」
「お風呂…お風呂は、ゆるしてくささい…」
ビクビクと私の様子を伺いつつ、それでもノエルは嫌だと言った。
「あら、お風呂は嫌い?」
「お風呂は寒いから…風邪ひいちゃうから…」
ノエルの言葉に私もアンドレアも困惑する。お風呂が寒いってどう言うこと?冷水でも浴びせられたって言うのかしら?こんな幼い子に?本当にそんなことをしていたのだとしたら、なんて最低なことをするのだろう。
とりあえずノエルを安心させるように私は言った。
「寒くないわ。暖かいお湯で綺麗にするから大丈夫よ?」
「…あったかい?」
「そう、本当よ。一緒に行ってみましょう」
不安そうにしているノエルを抱いたまま、お風呂のある場所へと向かった。浴槽にはられているお湯に手を入れて暖かいことを確認してから、ノエルにも同じようにしてごらんと手を触れさせる。お湯であることを確認したノエルから不安が少し消えたようだった。
「ね?大丈夫でしょう?」
「本当だ…!」
「ここにいる侍女たちに手伝ってもらって入りましょうか?」
「お、お姉さんいなくなっちゃうの…じゃなくて、いなくなっちゃうんですか……?」
待機していた私の侍女たちを見て、また不安そうに私の服を掴みながら私を見上げるノエル。
(うっ!なんて可愛いの!!)
最初よりはだいぶ警戒が解けたようで安心しつつ、ノエルに言った。
「いなくならないわ!すぐ隣の部屋で待っているから綺麗にしてこれるかしら?」
「本当?いなくならない…ですか?」
「えぇ、本当よ。約束しましょう」
こうやってやるのよ?と指切りをして約束をすると、初めてやったのか不思議そうに小指を見つめていた。その仕草も可愛らしくて、内心悶えそうになりながらなんとか理性を保った。可愛すぎてつらいとはこのようなことを言うのよね。
侍女たちに連れられてお風呂に入りに行ったノエルを見送って、私も先程ノエルを抱っこしたせいで汚れてしまったドレスを着替える。私が着替え終わった少し後に、ノエルは侍女に連れられてお風呂から出てきた。
「おかえりなさい、ノエル。お風呂はどうだった?ちゃんと暖かかったでしょう?」
「はい…!あったかかったです!」
「そう!それはよかった。こっちへおいで?」
私がノエルに自分のところまで来るように言うと、素直にトコトコと走り寄ってきた。私はやってきたノエルを自分の膝の上に乗せ抱っこする。まだ少し湿った黒髪は、さっきまでの埃だらけでくすんだ状態からツヤツヤのふわふわになっていた。そんなノエルの頭を撫でながら、私は話しかけた。
「さぁ!綺麗になったところでご飯にしましょうか!お腹空いたでしょう?」
「ご飯?一緒に食べてもいいんですか?」
「もちろん!私と一緒に食べてくれるでしょう?」
「はい!」
気持ちよさそうに私に頭を撫でられながら、嬉しそうに頷くノエル。年相応の幼さの残る返事に微笑ましくなりながら、私はアンドレアに食事の用意を手配させた。
◇ ◇ ◇
アンドレアが使用人たちに指示を出してから数分後に、食事がワゴンに乗って運ばれてきた。今回は私の部屋にあえて用意させることにした。普段使う場所だと距離感が遠いし、一緒に食べにくい。何よりノエルも普段とは違う場所というだけで不安なこともあるだろうと考えたからだ。窓際の程よく明るい場所に設置してあるテーブルに食事を用意してもらい、ノエルを自分の横に座らせた。
ハンス料理長がノエルに用意してくれたのは、柔らかく煮込まれた野菜が浮かび、香草のほのかな香りが漂ったポタージュスープだった。私のリクエスト通り、胃に優しそうな料理にしてくれたらしい。
「さぁ、召し上がれ」
ノエルにそう言うと、不安そうに私や周りの大人たちの様子を伺う様子を見せた。食べても良いのだろうか、といった思いがノエルの表情に浮かぶ。そんな表情に切なくなりながら、目の前のスープをスプーンで掬って、私はノエルの口元まで運んだ。
「はい、あ〜ん」
口元まで運ばれたスープをみて、ノエルがパクリとそれを口に含んだ。次の瞬間、彼の表情がふわりと緩んだ。その美味しそうな表情に安堵しつつもう一口、ノエルの口元へスプーンを運ぶ。そうやって数回繰り返していくとあっという間にスープがなくなってしまった。
「どう?美味しかった?」
「はい!美味しいです!」
「そう、それはよかった。他にも食べれそうなら好きなものを食べていいのよ」
美味しいと顔を綻ばせるノエルにそう言って、テーブルに乗っている他の食事もすすめてみる。その後、自分で食べれるとノエルが言うので好きにさせつつ、私も自分の食事を始めることにした。
メインの料理を食べ終わり、デザートが運ばれてきた。フルーツの盛り合わせとアイスが乗った皿が目の前に置かれる。初めて見るのか、ノエルはキラキラと目を輝かせてそのデザートたちを見つめていた。
「デザートが来たけど、まだ食べられる?無理はしないでね?」
「これ、食べてもいいの…ですか?」
「もちろん!何から食べましょうか?このイチゴなんてどう?」
私は手に取ったイチゴをノエルの口元へと運んだ。それをパクリと食べたノエルはイチゴの甘さに感動したのか、嬉しそうに咀嚼している。
「アイスもあるわね?はいどうぞ?」
そんなノエルが可愛らしすぎて、今度はアイスをスプーンで掬ってノエルの口元へ運んだ。それもパクリと食べたノエルは冷たさにびっくりした様子で、でも美味しかったのか興奮した様子で私を見る。
「冷たい!甘いです…!」
「美味しいみたいでよかったわ。また今度出してもらいましょうね」
「また、食べてもいいんですか…?」
「もちろん!あなたが食べたいならまた出してもらうから食べましょう」
私の返事にふふふと嬉しそうな表情を見せたノエル。出会ったばかりのさっきよりも警戒心がなくなり子供らしい表情を見せるようになったようだ。そんな姿に安心しつつ、私は彼の黒髪を撫でた。
そうしてしばらくノエルはデザートを食べたりして、私は食後の紅茶を飲んでいた。少しすると、ノエルのまぶたは重たそうにゆっくりと下がり、こくり、こくりと頭が揺れ始めた。そのたびに、はっと目を開けて背筋を伸ばすが、またすぐに眠気が襲ってくる。ご飯を食べて眠くなったようで、ノエルは必死に眠気と戦っていた。
「眠くなっちゃったわね?お昼寝しましょうか」
私は眠そうなノエルに声をかけた。そっと声をかけると、ノエルはこちらを見上げたが、その瞳はすでにとろんとしていた。優しく抱き上げると、ノエルの体はふわっと力を抜き、小さな手が私の服をぎゅっと握る。そうして抱っこしたまま私の寝台へとノエルを運んだ。ゆっくり下ろそうとしたが、ノエルは掴んだ私の服を離そうとしない。眠気と戦いながらも不安そうに私をみて、少ししたったらずな口調で言った。
「お姉さん…いなくならないで…ください…」
「いなくならないわ。大丈夫よ、ここにいるわ」
「本当…?僕の…近くにいて…くれる…?」
「えぇ、約束するわ」
私の言葉に安心したのか、ノエルはふっと笑ってそのまま瞼を閉じた。そんなノエルを今度こそ寝台の上におろし、布団をかける。
「おやすみなさい。良い夢を」
静かに寝息を立て始めたノエルの髪をそっと撫でながら、私は少しでも幸せな夢を見れますようにと祈りながら微笑んだ。
無事にノエルにご飯を食べさせてあげれました。
子供が健やかに過ごせることほど大事なものはないですからね。
良い夢を見れますように。