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コンコン、と控えめなノックの音が響いた。

すると、私が扉を開けるよりも早く、カチャリと扉の鍵が回る音がして、ゆっくりと扉が開いた。


目の前に現れたのは、予想通りの姿。

扉を開けてくれたのはノクス様だった。


最近のノクス様は、私が訪れるのをなぜか察知できるらしく、ノックをするとすぐに扉の前まで来て自ら開け、私を迎え入れてくれる。まるで待っていたかのように、いや、実際に待っていてくれているのかもしれない。


(足音とかでわかっちゃうのかしら?察知能力高すぎでは?)


そんなことを思いつつも、彼の行動が可愛らしく思えてしまい、思わず苦笑する。


「どうしました?」


ノクス様は私を見つめながら、柔らかい笑みを浮かべて問いかける。


「中へどうぞ」


言葉はいつも通りの丁寧なものなのに、どこか嬉しそうな響きを帯びている。その微妙な変化を感じ取って、心の中がくすぐったくなる。


「ありがとうございます」


微笑みながら応え、自然と彼の手を取る。そうして手を引かれるままに部屋へと足を踏み入れた。


室内には、穏やかな静けさが満ちていた。

書類が整然と積み重ねられた執務机。その上には、未処理のものと処理済みのものが几帳面に分けられている。普段から几帳面な彼らしい光景だ。


「仕事中にごめんなさい。今来てしまって大丈夫でしたか?」


気を遣いながらも、申し訳なさそうに告げる。


「問題ありません」


ノクス様は少しも迷わずにそう答えた。


その声音はいつものように冷静で、それでいてどこか安心感を与えるものだった。本当に無理をしていないのか、私は彼の表情をじっと観察する。


(うん、大丈夫そうね……)


どこかほっとして、私は微笑んだ。


「……それで、今日は?」


ノクス様が穏やかに問いかける。


私は、彼の金色の瞳を見つめながら小さく息を吸い込んだ。


「少し、お話ししたくて」


それだけを告げると、ノクス様はふっと目を細め、私の手をそっと握り直した。


「ええ、もちろん喜んで」


柔らかい声色が、どこまでも優しく響いた。





執務室の奥にあるソファーに、私たちは並んで腰を下ろした。


どうしたんだろう、と言いたげな表情でこちらを見つめるノクス様。その金色の瞳が、静かに私を映している。そんな彼に微笑みながら、私は口を開いた。


「もうすぐ、あなたの誕生日でしょう?」


ノクス様の表情が少し驚いたように揺れる。


「今まではお祝いしなくていいと、家臣たちにも言っていたみたいですけれど……今年はどうしましょうか?」


私は彼の反応を見つめながら、続ける。


「私としては、愛しい私のノクス様が生まれた素晴らしい一日をお祝いしたいと思っているんだけど」


それを聞いたノクス様は、ゆっくりと目を瞬いた。

そういえば誕生日か、そんな風な表情を浮かべる。おそらく、あまり考えていなかったのだろう。


私は静かに彼の返事を待つ。


しばらく考えるように沈黙していたノクス様は、やがて小さく息を吐いて言った。


「……あなたがやりたいようにしてください」


それを聞いて、私は首をかしげる。


「無理はしていないですか?嫌ならそう言ってくれて構わないの」


すると、ノクス様は最近癖になりつつある行動——私の手をそっと握り、視線を落としながら言葉を紡ぐ。


「今までは、母上のおっしゃられていた言葉がすべてで……自分のようなものが生まれてきてしまった日なんて、なくなってしまえばいいと思っていました」


その言葉に、胸が痛む。

それでもノクス様は、少しだけ微笑んで続けた。


「でも……アイリスに出会ってから、少しは考えを改めてもいいのではないかと思ったのです」


そして、ゆっくりと顔を上げる。


「無理はしていません」


まっすぐな金の瞳が、私を捉えた。


「でも……」


ノクス様は少し困ったように眉を寄せる。


「ノエルの時のように、パーティーをするのは……正直、気恥ずかしいのです。祝ってもらえるのは、ありがたいですが、そういった会はいりません」


そう言って、少しだけ照れたように視線を逸らす。


「代わりに……あなたとノエルと、三人で、いつもの休みの日のように過ごしたい、です」


その言葉に、私は笑顔で頷いた。


「わかりましたわ!そうしましょう」


それでいい。それがいい。


少しずつ、ノクス様も前へ進み始めている。

そのことが、心から嬉しかった。



◇ ◇ ◇




そして、ついに当日になった。


(今日はノクス様の誕生日!素敵な日ね!)

 

それだけで嬉しくなって、ふふっと自然と笑みがこぼれてしまう。


今日の私の装いは、薄い黄緑色の生地を基調とした爽やかなドレス。装飾には、自分の髪色よりも少し濃い紫の宝石が散りばめられ、髪には旦那からもらった金色の薔薇の髪飾りを添えた。


今日はノクス様が選ぶ服装に色合いを寄せようと決めていた。

 

事前に彼にどんな服を着るのか尋ねたところ、淡い紫を基調とした、さっぱりとした衣装を選ぶつもりだと見せてくれた。それなら、と私は以前からノクス様用に用意していた服飾品の中から、黄緑のペリドットが飾られたループタイを取り出し、「これなんかどうでしょう?」と提案した。


「いいと思います」


ノクス様は、そう穏やかに同意してくれた。


それなら、と私も同じような色合いで自分の服を揃えた。そして、ノエルの装いも黄緑と紫を基調としたものに。




「どうしてこの衣装を選んだのですか?」


そうノクス様に問いかけた時のことを思い出す。


「あなたの髪の色と似ていたので」


ノクス様は、まるで当たり前のように言った。

その時の私は、少し恥ずかしくなってしまった。


普段、私はノクス様やノエルに「あなたの色を纏いたい」とよく言っているし、それに合わせてドレスや装飾品を選ぶことも多い。しかし、いざ自分が同じように言われると、思った以上に照れてしまうものだ。


(ノエルに言われた時はただ可愛らしいと感じたのに、ノクス様に言われるとなんか破壊力が違うのよね……。なんでかしら?)


思い出しながらも、頬がじんわりと赤く染まるのを感じた。


鏡の前に立ち、全身を確認する。

 

(うん、問題なさそうね)


そう頷いたところで、扉の外から控えめな声が聞こえた。


「姫様、閣下がお迎えに来られました」


アンドレアが知らせに来たのだ。


「えぇ、今行くわ」


そう答えて、心を落ち着けながら、私は愛する旦那様の待つ方へと歩き出した。



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