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「んん……」
朝日が差し込んでいる。まぶたの裏がじんわりと明るくなり、私はふと目を覚ました。
どうやら愛する旦那様の看病をしながら、そのまま寝入ってしまったらしい。
昨夜は、夜中に何度かノクス様がうなされて目を覚ますたび、冷たい布で額を拭いたり、水を飲ませたりしていた。そのまま付き添っていたはずが、いつの間にか寝台の端で眠ってしまっていたようだ。
ゆっくりと顔を上げると、目の前には寝台の上で体を起こしたノクス様の姿があった。
金色の瞳がこちらを見つめている。そして、彼の手がこちらへと伸ばされ、不自然な位置で止まっていた。
(きっと、私に声をかけようとして、触れようとした時に目が覚めたのね)
そう思いながら、私はノクス様の方を見て、穏やかに微笑んだ。
「おはようございます、ノクス様」
私の声に、ノクス様は少しだけ間を置いてから、伸ばしていた手を引っ込める。そして、静かに「おはようございます、アイリス」と返した。
顔色は悪くなさそうだったが、念のため確認しようと、私は寝台の上へと身を寄せ、片手をノクス様の額へとそっと当てる。
彼は何も言わず、大人しくされるがままだった。
(熱は……ないわね)
安堵の息をつきながら、私は彼に微笑む。
「熱、下がったみたいでよかったです」
すると、ノクス様は少し考えるように視線を落とし、ぽつりと呟いた。
「……ずっと、ここにいてくれたのですか?」
「もちろんそうですよ」
当然のことのように答えると、ノクス様は微かに目を見開いた。
「……誰かに看病されるのは、初めてです」
それを聞いて、私は少し切なくなる。
(彼の過去を思えば、それも当然なのかもしれない)
そう思いながら、私は続けた。
「でも、これからはあなたに何かあれば常に私が看病するのですから、慣れた方がいいですよ」
そう言うと、ノクス様は一瞬きょとんと目を瞬かせた。そして、ゆっくりと微笑む。
「……そうですか」
朝日に照らされた彼の微笑みは、あまりにも美しくて眩しかった。
(やっぱり、私の旦那は素敵だ。本当に)
そう思いながら、私も同じように微笑み返した。
「着替えます」
そう言うノクス様に、私は服を選んでやることにした。
少しゆったりとした首元の空いた紺色のシャツに、合いそうなズボンを合わせる。落ち着いた色合いで、彼の金色の瞳によく映えるはずだ。
(やっぱり誰かの服を選ぶのって楽しいわよねぇ)
そう思いつつ選んだ服を手に取り、寝室へ戻ると、ちょうどノクス様が服を脱いでいるところだった。
露わになった背中には、痛々しい傷跡が刻まれている。
私は思わず足を止め、そっと口を開いた。
「……触ってもいいですか?」
ノクス様は振り返ることなく、静かに答える。
「聞かなくても、好きにして構いません」
その言葉を受け、私は昨日と同じように光系統の魔法をかける。
淡い光が手のひらから広がり、彼の背を優しく包み込んだ。癒しの魔力が傷跡に染み込んでいくのを感じる。
施術を終え、そっと指先で触れると、昨日よりわずかに薄くなったように見えた。
(やっぱり、完全に消すのは難しいわね……)
傷跡を見つめながら、完全に消し去る魔法はないかしらと考える。
あとで調べてみようか。
そう思いながら、私はノクス様の背中から前へと回り込み、選んだ服を手渡した。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
ノクス様は受け取ると、いつものインナーを着てから、紺色のシャツを羽織る。
その仕草すら優雅で、思わず見惚れてしまう。
「……今日も素敵ですわ」
自然と呟いた言葉に、ノクス様はわずかに動きを止める。
そして、ほんの少し恥ずかしそうに目線を逸らした。
その反応が微笑ましくて、私はくすりと笑った。
◇ ◇ ◇
着替え終わったノクス様が、私の方を見て尋ねる。
「アイリスも着替えに戻られるのですか?」
「そうしますわ」
そう答えると、ノクス様はわかりましたと軽く頷いた。
そして、何の躊躇もなく執務室へ向かおうとする。
私はすかさず、彼の手を掴んで引き止めた。
「……?」
驚いたように振り返るノクス様に向かって、私ははっきりと言う。
「今日はお仕事はしちゃダメです。一日お休みです」
ノクス様は少し口を開き、「いえ、私は大丈夫です」と言いかけた。
ちょうど「大丈夫」のあたりで、私は言葉を被せる。
「大丈夫はまだ禁止!」
ノクス様は目を瞬かせ、「あ、そうだった」と言わんばかりの顔をした。
そして、少し考え込むように視線を彷徨わせた後、ぽつりと呟く。
「じゃあ……なんて言えばいいんでしょう……?」
困ったような表情を浮かべるノクス様が、なんだか可愛らしくて、思わずくすりと笑ってしまう。
「ダメなものはダメです」
私はきっぱりと言いながら、さらに念押しをする。
「違う言葉にしたって、今日は一日仕事はさせませんからね」
ノクス様はまだ何か言いたげな様子だったが、私の次の言葉で完全に沈黙した。
「そもそも、今日の分の仕事は私とジェラールですでに片付けてありますから」
ノクス様の目が大きく見開かれる。
「……いつの間に?」
「あなたが寝ている間に」
驚きの表情を浮かべるノクス様に向かって、私は胸を張って宣言する。
「今日は一日、私と一緒に休んでもらいます!もちろん大丈夫と言う言葉も禁止です!いいですね?」




