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ノクス様が眠りについたのを確認し、そっと寝室を後にした。
廊下に出た瞬間、ちょうど侍従長のライナーと鉢合わせる。彼は私がノクス様の部屋から出てくるのを見て、軽く目を見開いた。
「ノクス様は、中におられますか?」
彼の問いに、私は頷く。
「いるわ。ただ、今は休ませているところなの。熱を出したから、寝かせたところよ」
ライナーの表情が一瞬強張った。
「ノクス様が……熱を?」
驚きを隠せない様子の彼に、私は落ち着いた声で続ける。
「だから、悪いけど看病するために必要なものを用意して持ってきてくれるかしら」
私の言葉に、ライナーはわずかに戸惑ったようだった。
「姫殿下自ら看病をされるのですか?」
「もちろん」
即答すると、ライナーは一瞬息を呑んだようだったが、すぐに表情を引き締めた。
「かしこまりました。では、すぐにご用意いたします!」
「それと、あまり弱ったところを見られたくないみたいだから、ノクス様の元へ人を遣わさないようにお願いね」
「承知いたしました。ジェラールさんがそろそろ戻られる頃かと思いますが、ノクス様の部屋には行かないように伝えておきます」
(ジェラールは今日は外に出ていたのね‥‥)
そう言って、ライナーは深く一礼し、必要なものを準備しに戻っていった。
それを見届けて、私は今日やる予定だった仕事を取りに、自室へと向かうことにした。
自室に戻ると、そこにはレオとノエルがいた。
「お母様、どこに行っていたの?」
ノエルが私を見上げながら尋ねてくる。その瞳には純粋な好奇心が宿っていた。
「あなたのお父様のところよ」
「閣下に何かあったのか?」
レオが軽く眉をひそめながら聞いてくる。私は曖昧に微笑みながら答えた。
「今日は夜までずっとノクス様についてることにするわ」
その言葉に、ノエルが反応した。
「どうしてお父様のところに行くの?」
私はノエルの頭を軽く撫でながら優しく言った。
「あなたのお父様、少し体調が悪いみたいなの。だから、私が一緒にいるのよ」
ノエルは少し考える素振りを見せたあと、こくりと頷いた。
「……わかった」
最近、ノエルは私から離れて行動することも増えてきた。
こうして私の言葉をしっかりと受け止め、納得する姿は頼もしい。
そして、ぽつりと呟いた。
「……辛い時、僕もお母様がそばにいてくれて嬉しかった。だから、お父様にもお母様がそばにいてあげるのがいい」
その言葉に、思わず胸が温かくなる。
私はノエルの頭を優しく撫で、「さすが私の可愛いノエル。偉いわね」と褒めた。
そして、机の上に置いてあったやりかけの仕事をいくつか抱え、二人に向かって微笑む。
「じゃあ、私はノクス様の部屋にいるから、何かあったら知らせてね」
「わかった。姫さんも無理はしないでくれよ」
レオが軽く手を振り、ノエルは私を見上げながら「行ってらっしゃい」と言った。
私は彼らに手を振り、仕事を持ってノクス様の寝室へと向かった。
◇ ◇ ◇
ノクス様の自室へ戻り、持ってきた書類を机の上に一旦置いた。
その瞬間、部屋の扉がノックされる。
「どうぞ」
私の声に応じて扉が開かれ、ライナーが入ってきた。彼は寝室の方を一瞥し、少し心配そうな面持ちで私に尋ねる。
「ノクス様のご様子はいかがですか?」
「一旦、今日は休ませて様子を見ようと思うわ」
私の言葉に、ライナーは小さく頷くと、持ってきた看病に必要なものを私に手渡した。
「ノクス様をよろしくお願いいたします」
そう言い残し、ライナーは静かに部屋を後にした。
一人になった私は、彼が用意してくれたものを手に取り、寝室へと向かう。
薄暗い寝室へ足を踏み入れると、寝台の上には深く眠っているノクス様の姿があった。
「ちゃんと眠れていそうね」
そう呟きながら近づくと、ノクス様の額にはうっすらと汗が浮かんでいる。そっと持ってきたタオルを手に取り、その汗を優しく拭ってやる。
静かな寝室の中、彼の寝息だけが規則正しく響いていた。
しばらく様子を見た後、私は再び仕事に取り掛かることにした。ノクス様の執務机から、私が片付けられそうな書類をいくつか持ち出し、自分の仕事とともに寝台の近くにあった椅子に座る。
(どうせ仕事について心配するのでしょうし、できるものはやってしまいましょう)
補佐官であるジェラールやそれ以外の家臣たちもいるのだから、少し彼が休んだところで問題はないのだが、気にしてしまうのも彼の性分だろう。
ペンを走らせながらも、時折、愛する旦那様の様子を伺う。寝苦しそうに眉を寄せると、その度にそばへ行き、冷えた布を額に乗せたり、乱れた布団を直したりと、甲斐甲斐しく世話を焼く。
ふと、ノクス様の意識が浮上し、ゆっくりとまぶたが開かれた。
金色の瞳がぼんやりと私を映し出す。
「……アイ、リス……?」
掠れた声でそう呼ばれ、私は微笑んだ。
「はい、ここにいますよ。まだ熱がありますから、無理しないでもう少し休みましょうね?」
ノクス様は、私がそばにいることを確かめるように瞬きをしてから、再び静かに目を閉じる。
安心したような表情を浮かべながら、ゆっくりと深い眠りへと落ちていった。
私はそんな彼を見守りながら、再び手元の書類へ視線を落とす。
そうして、その夜は静かに更けていった。




